こんにちは夢のような日々

『バトルランド』などという、ここがテキサス州である事実を差し引いてもふざけているとしか思えない名前のテーマパークの地下は、たぶん世界中で一番うるさい場所であるはずだ。
理由はもちろん、廃園になって久しいここに彼らが(“私たちが”とは言いたくない)住み着きはじめたからである。
しかもテーマパークの土地をまるごと買い取っていることから永住する気満々なのは明らかで、それはつまり、運悪く巻き添えにされた私が家に帰れる可能性が限りなく低いことを示している。
そのうえさらに悪いことに、私はここが本当の家からどのくらい離れた場所に位置するのかすら知らなかった。
1時間毎に「帰りたい」とぐずる段階も4時間毎に魂が抜ける段階も乗り越えたとはいえ、私は何をやっているのかと未だに考え込んでしまう。
路肩に転がるアルマジロの死骸と、時おり大発生しては通行の邪魔をするタンブルウィード、そしてソーヤー家の存在以外には取り立てて危険のない片田舎での生活が懐かしい。

ふいにスパイシーな香りが鼻腔を突いた。顔をあげると、調理場として使っている奥の部屋からドレイトンがひょっこり現れて、こちらにやってくるところだった。

「おい、あいつらはどうしたんだ? 飯の時間だと言ってるだろうが」
「いや、いま初めて聞いたんだけど」
「なんだと?」

どっしりとした大きな鉄鍋を抱えたドレイトンは、私の口答えが気に入らないかのように唇をゆがめた。
普通なら痴呆でも始まったかと疑いたくなるところだが、彼はいつでもどこでも常に理不尽なので心配しないでほしい。
あちこち汚れたワイシャツとスラックス姿の中年男はやせ形で、重たい鍋をかかえているせいで姿勢の悪さが際立って見える。
一見親切そうに見えなくもない黒目がちな瞳は苦悶するかのように細まって、そんな姿を前にしたら、「大丈夫?」と訊かざるを得なかった。
ここに来てから……と、言うより、あの家を捨てることになってから、ドレイトンのくたびれたような哀愁はいっそう深さを増した気がするのだ。
どんっと響く音をたてて、鍋が食卓に置かれた。

「ぐだぐだ言っとらんでさっさとあいつらを呼んでこい!」
「はいはいはい」

ほらね、やっぱりいつでも理不尽だ。


食卓を片付ける私の周囲にはまだチリの香りが濃厚に漂っている。埃臭さや血生臭さよりはいくらかマシとは言え、心安らぐ香りとは呼べない。
ソーヤー家の末っ子であるババは私の回りをうろちょろ歩き回りながら、それでも『他人の仕事の邪魔をしてはいけない』という我が家の第一ルールに則って、片付けが終わるのを手出しせずに待っている。

「よく食べられるよねー」

人の肉どうこうの話じゃなくて、

「一週間も毎日三食同じメニューを」

近々催されるチリコンテストに向けてレシピの改良に余念のないドレイトンのおかげで、最近の食事には毎回チリソースが登場する。
私は二日目の夜でリタイアしたっていうのに、この人たちはよくもまあこうも味のくどいものを続けて食べられるな、と変なところでソーヤー家の変人っぷりを再確認させられた。

「飽きたりしない?」
「ぅあ、いぃ! あう……うぎ、にゃ」
「うん、そっか。っていうか最後にゃって言ったね。よし、終わったよー。そっちの用事はなに?」

皮マスクの顔が嬉しそうに輝く。
彼はその大きくて分厚い手のひらに乗せたキラキラ輝く小さなアクセサリーを、ずいっとこちらにつきだした。

「ヘアピン? つけてほしいの?」
「ぁ、うぅ!」
「いいよ、じゃあそこに座って」

そっか、今までこういう仕事は全部チャーリーがやってあげてたんだっけ。
いつもはうるさいヤツとしか思ってなかったけど、いなくなると恋しい気がする。ちょっとだけね。
彼がいた頃は……そう、私がこうやってババの髪をいじってると、どこからともなくチャーリーが飛んできて下手だのなんだの言い出すのがいつものパターンだったっけ。
で、それを聞き付けたチョップトップが場を焚き付けようと騒ぎ出して、テンションの上がったババが叫びはじめて、しまいにはドレイトンに全員まとめて叱られる、と。
鼓膜がどうかなりそうな双子のステレオ口喧嘩も、今となっては懐かしい。

「さみしいね」

黒い髪をブラシで整えながら呟くけど、ババは何の話かわからないみたいできょとんとして私を見上げる。真ん丸な目を見開いて、まるで私の顔の上に答えを探してるみたいにじぃっと。

「前向いてて。ババは二人のこと好き? ドレイトンとあいつのことだけど」
「うぃ!」
「チャーリーのことも好き?」

ババを混乱させてしまう気がして、あえて過去形にはしなかった。
するとババは当然だと言うように繰り返しうなずいた。それから獣じみた唸り声と身ぶり手振りでもって、大切な家族、グランパとグランマの存在を私に思い出させた。

「あ、そうだね。ごめんごめん、忘れてた訳じゃないんだけど」

ごめん嘘。
本当はあのおじいさまに関しては忘れてたかった……彼の健康と長寿のために定期的に血を捧げさせられている私としては。
たちまちブルーになりかけたものの、ババの甲高い呼び声が私を現実に引き戻した。椅子の上で身をよじり、半分だけこちらを振り向いたまま、腕をばんばんと叩いてくる。

「いー!」
「もしかして私のこと言ってくれてる?」
「い、ぁう!」
「そっかぁ」

素直に嬉しいような、やつらと同列に並べられて屈辱なような……。

「おい! ひひひっ! おぉぉおおぉおぉーい!」

にわかに空間に騒がしさが満ちた。
頭痛がするようながなり声と落ち着きのない足音を引き連れたチョップトップが、こちらに向かってぴょんぴょん跳ねながら近づいてくる。
高身長でひょろりとした体格がチャーリーそっくりな双子の片割れは、ミイラ化した兄の死体の腕を掴んで振り回し、まるで生きているかのように操りながらまくし立てた。

「よう! お前ら暇なんだろ、車でま、町までいこうぜ! あ、兄貴がさ、肉の調達に行けってさ……へへ、へ」

チョップトップは『ふしぎの国のアリス』のチェシャ猫みたいにいつもニヤニヤ笑っている。たぶんあの猫と同じく、首だけになっても笑うのだろう。
しかもこの紫色の縞模様のシャツ。もはや本人も狙ってるとしか思えない。

「悪いけど全然暇じゃないや」

と、即座に首を振ったのに、チョップトップはいつものように私の言葉を右から左へ受け流してしまう。
私が「うん」と言うまで引き下がらないつもりなのは見え見えだった。絶対に、絶対に言わないけど!

そうそう呼び名の由来だけど。戦争で負傷した頭部に埋め込まれた金属プレートが露出しているからチョップトップ。
いや、手術ミスじゃなくて。こいつの悪癖のせいである。つまりいつでもどこでも持ち歩いている針金ハンガーの先端で頭皮をこそげ取って喰うという悪癖の。
ハンガーの先を炙る、ジジッという音がやたらと耳について私は顔をしかめた。

「ね、チェシャ? 私は行けないけどこの子連れてくのは反対しないよ? 二人で行ってきたら。ねえババ?」

ババがチョップトップとミイラ・チャーリーの顔を見比べ、私を見て、また二人に視線を戻す。まるで肉の調達と家の手伝いのどちらを選ぶか決めかねてるみたいに。
その間にもチョップトップはその青白く痩せた身体からは想像もできないほど激しく、脳みそがシェイクされるんじゃないかって心配になるほど一人で激しく踊り狂っている。
多分もうシェイクされまくってるからコレなんだろうけど。

「ひひっ! おうババ、行くぞ!」
「うん行ってらっしゃ……お? え?」

ぴょんぴょん跳び跳ねるプレート頭に気をとられているあいだに、ババが背後に回っていたらしい。
後ろから太い両腕でがっちり捕らえられて、私の足はいともたやすく地面から浮き上がった。
あっ、私、このパターン、知ってる。


いかにもテキサスの田舎らしく信号の無いまっすぐなハイウェイを、おんぼろ車は土ぼこりと排気ガスを巻き上げながら猛スピードで突っ走る。
ババとチョップトップお気に入りのラジオ局にセットされたカーステレオから流れてくる音楽よりもずっと激しく、速く。
ただでさえ狭い助手席でババの膝に座らされて(と言うより抱きすくめられて)窮屈さとめまぐるしさに吐き気を感じてる暇さえない。

「チェシャ! スピード出しすぎだってば!」

私は本気で怒ってるのに、返ってきたのはタイヤが砂利道を蹴りつける音に負けないくらい大きくて不気味な、ひゃひゃひゃ、という笑い声だった。

「だってこ、この方が、早く着くじゃんか、なぁ? だろ! おいババ、窓開けな!」
「いー!」

チョップトップがさらにアクセルを踏み込むと、周りの風景が嘘みたいなスピードて飛び去っていく。
あぁなんて夢のような日々——夢は夢でも悪夢だけど!

「停ーめーてー!」

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