正しさの限界はとうにすぎ

さっきから繰り返し繰り返し、同じ考えが頭の中を廻っている。
何度振り払おうとしても離れてくれない馬鹿げた物思いは、イザベルを大いに戸惑わせた。なにせ自分がこんな欲求を抱こうなどとは今日まで思ってもみなかったのだ。
そもそも基本的にイザベルが他人に何かを望むことはない。
あり得るとすれば、それは「もっと撃ちやすい位置に立ってもらえると助かるんだけど」とか「風向きが変わりませんように」だとか、そんなような内容ばかりだ。

それが今はどうしたことだろう――笑ってみてほしい、だなんて。

物静かな男の端正な横顔を盗み見る。
眉間に皺を寄せ口元を厳しくこわばらせたハンゾーは完全に自分だけの思考の海に沈んでいる様子だった。
彼の顔立ちは端正だ。少なくともイザベルはそう思う。
しっかりとした鼻梁や、整えられた髭や、凛々しい眉や、大きくて平べったい耳が至近距離だと特に印象深い。
だけど謹み深く引き結ばれた唇がなにより一番“彼らしい”と、イザベルは再確認した。
この唇がほころぶ瞬間はあるのだろうか。そしてその瞬間に立ち会った人間はいるのだろうか。

渦巻くもどかしい気だるさにチリチリ胸を焼かれた彼女はわざとゆっくり息を吐く。
見上げる薄暗がりの天井は低く、今にものし掛かってくるのではないかとさえ思える。
ハンゾーといるときの沈黙はそう嫌なものではないとはいえ、こうして何をするでもなく壁にもたれて過ごすことすでに数十分。イザベルが退屈を覚えはじめるのも無理からぬ話ではあった。

何気ないふりをして隣に寄りかかってみれば、たくましい肩がぴくりと揺れる。突然のことに驚いたらしい彼は、それでも身を引いたり彼女を押し返そうとはしなかった。
次いで偶然にも指と指が触れ合ったとき、思いがけずひやっとしたことに今度はイザベルの方が驚いた。そういえば東洋人は平均体温が低いのだと昔どこかで聞いた気がする。
彼と自分の温度がこうも違っていることさえ、今の今まで知らなかった。

この無口な恋人について自分が知るのはほんの一握りで、ちょっと後ろを振り返ってみれば秘密が大山を成している。
でも、いや、だからこそ。特別な相手の特別な表情が見たい、頭の中まで覗いてみたいと望むのはおこがましいことだろうか。
彼も同じ思いを抱いていてくれたらと願うのは子供じみているだろうか。
なんだかいつも自分ばかりがやきもきさせられている気がする。

(そんなの全然フェアじゃない)

指先に感じるハンゾーの気配が動いて、イザベルはこのまま彼が離れていくのを予感した。ゆったりとした呼吸のリズムもタバコの残り香もずっとずっと手の届かない遠くへ去ってしまうのだと。
だが実際には違った。
硬くて荒れた掌が手を包み込んでくれただけだった。
ずっと目を閉じていたせいか、ハンゾーはイザベルが眠っていると思ったらしい。

肩を抱いてくれるわけでもなければ頬を撫でてくれるわけでもないが、これが不器用な彼なりの表現なのだとイザベルはわかっていた。彼女が知る数少ない“秘密”のうちの一つだった。

静寂は澄んだ湖のさざ波のように広がり、部屋を満たした。イザベルの鼓動だけが、徐々に、徐々に大きくなり、それを埋めていく。
この鼓動が続く限り、本当に眠ってしまうことはできそうにもなかった。

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