助手と夜更けの孤独

この頃のリプリーからは、以前までの反抗的な態度はほとんど消え失せていた——あるいは、うまく隠しおおせていた。
私とゲディマン博士は常に彼女の絶対的な味方であろうと務め、彼女の態度の軟化と、人道的な環境下における研究の有用性を盾に、彼女の扱いに関する改善を求め続けた。
もともとリプリーに対して良い感情を抱いていない他の博士たちやペレズ将軍などは最後まで難色を示していたが、かといってこちらの提案を棄却するほどの根拠も持ち合わせていないし、そもそも他人を煙に巻く能力なら私たちの方が上だった。

そんなわけで、リプリーはようやく厳重な監視体制から解放されることになり、今や小さなベッド付きの個室を与えられるまでに漕ぎ着けた。
もちろんまだまだ制限も多いが、狭くて暗い独房に身一つで監禁されていた当初を思えば破格の待遇と言っていい。
ただ、それでも科学研究員の個室が並ぶこのフロアへの侵入は認められていないはずで……。

「それで? このままずっと起きてるつもり?」

てっきり眠ったとばかり思っていたリプリーが急に言葉を発したので、私はぎくりとして目を開けた。
向かい合って身を横たえる彼女と至近距離で視線がぶつかると、急に恥ずかしさが込み上げてきたが、リプリーは少しも目を逸らさない。彼女はいつだって全てを見通している。

「だって眠れないんです……落ち着かなくて」
「そうなの。どうして?」

冷たい手が後頭部に添えられる。いたずらを楽しむような気配は、私がどう反応するか見たくて仕方がないからだろう。
そのまま有無を言わさず体を抱き寄せられて、室内の闇がひときわ濃度を増す。髪のあいだに滑り込む長い指は、いったい誰を撫でているつもりなのだろう。
こうしているときリプリーはいつも誰か——私以外の相手を思い出しているんじゃないかという気がする。彼女には人間だった頃の記憶がいくらか残っているらしいから。
そういえば、いつだったかの認知テストで金髪の少女のイラストを突きつけられたリプリーが見せた、異様に過敏な反応は関係があるだろうか?
今にも壊れてしまいそうなあの表情は忘れたくても忘れられない。
いったい誰の面影がリプリーを痛めつけたのか。娘かもしれない。
オリジナルのリプリーが愛したかけがえのない家族。成長を見届けることも死に目に合うことも叶わなかった、たったひとりの娘……

そこでふと、自分の両親へと思いが至った。
父も母もいい親であろうとの努力を惜しまず私を愛してくれたが、しかしほうぼうの土地を飛び回る学者の二人が忙殺の日々を過ごしていたのも確かで、思い返せば両親にゆっくり抱きしめられた記憶というものがほとんど無い。
それを恨んだりいじけたりするつもりはなくても、幼い日のささやかな欠落をこうして埋めてもらうことに悪い気はしないのもまた確かだ。

ではリプリーは、私のことを娘のように見てくれているということ?
オリジナルのエレン・リプリーは19歳で子供を産んでいる。今のリプリーは外見だけで判断するなら人間の40代なかばから50歳くらいにあたるのではないか、ということなので、私との年齢差を考えると……そうね、あり得ないことではない。
だけど私は自分自身の思いつきに全面的に賛成できないでいた。
根拠は特に無いが、なんとなくしっくりこない感じがする。
そもそもリプリーの精神年齢はもっと若く(ありていに言えば幼く)思えるし、さまざまな面でヒトの尺度を超えたこの人を、私たちと同じに扱っていいのかもわからない。

私は枕の上で頭の位置を整えた。こうして目を閉じていても、その体温や呼吸の音や香りから、リプリーの存在を強く感じられる。
私は、私は……この人に娘として見られたいのだろうか?
不思議なことに、リプリーは私以外の人間にはほとんど興味を示さない。少なくとも、今のような親密な接触を試みたことは一度もなかった。
よく見知ったカーリンにも、若くて美人な大学院生のトリッシュにも、こんなことはおろか目すら合わせようとすらしない。
あからさまな態度の違いに少しだけうぬぼれたくなるのは多目に見てほしい。

「まだ朝じゃないわ」

私が急に起き上がったので、リプリーは面白がるようなほのかな笑みを浮かべて、大きな瞳をこちらに向けた。
私は自分の唇に指を添えて静かにするよう合図を送る。
マットレスに肘をついた姿勢のままで耳を澄ませていると、リプリーも気だるげに上半身を持ち上げた。
からかいと嘲笑のこもった視線を間近に浴びて、不意の警戒心は自信をなくす。

「なにか音がした気がして……」
「だれかが探しにきたんじゃない? 私を」
「そうでしょうか。部屋を抜け出したのがばれたんだとしたらもっと大騒ぎになってると——」
「ステラ」

筋張った腕がこちらに伸びてくる。あまりに力強いそれによって、私の体はやすやすと狭いベッドに押し戻された。

「それとも“助手さん”? どっちで呼ばれる方がいい?」

リプリーはその言葉の響きが気に入っているのか、もう一度、「助手さん」と繰り返す。
日頃、周りの研究者や兵士たちから『8号』という無味乾燥で見下した響きの名でしか呼ばれない彼女なりの皮肉が込められているのだろうけど、不思議と嫌な感情は抱かない。

「リプリーさん。その、もう寝ましょう」

大きな身体が覆いかぶさってくると、ふたり分の体重を受け止めたマットレスが沈む。
この人はときどき愛の真似事をする。私を試すように、追い詰めるように、いたぶるように。
しょせん真似事であって本物ではないその行為が彼女にとってどれほどの意味を持つのかはわからないが、今も私から片時も視線を逸らさないまま顔を寄せてくる。
こめかみに冷たい唇が触れたとき、一瞬視界も白むような痺れが背中を駆け抜けたが、息を詰めてやり過ごした。

「今日は随分とお利口さんね」
「……もう眠くて」

顔を背けて視線を遠ざける私の耳元に、またしても唇が触れた。先ほどよりもずっと長く意地悪く、まるで、嘘つきねって責めるみたいに。

「もう、そういうのいいですから」

背中を丸めて逃げる醜態がよほど面白いのか、押し殺した笑いが吐息となって耳に押し入ってくる。
リプリーはふたたび私の隣に横たわり、毛布の中にするりと潜り込んできた。
するといきなり後ろから髪を引っぱられたので、てっきり乱暴なことでもされるのかと思って身構えてしまったが、後頭部をくすぐられただけだった。
さきほどまでの怪しい手つきとは違う、まるで子供をからかってあやすような指の動きに驚いたが、それが嫌だとは全く感じない。
それどころか頭の奥がじーんと熱く溶けてしまいそうで、心地よくて安心できて……やめないでほしい。ずっとこうしていてほしい。

「リプリーさん」

8号、という呼び名は嫌いだった。
彼女が試験管の中で生み出された人工物で、檻の中で飼い慣らされた獣として生きることを余儀なくされた存在であったとしても、私にとってこの人はエレン・リプリーで、初めて出会ったその日からずっと変わらない。
そして私はただの私で、失った娘の幻影などではなく、ただのステラであればいいと願う。

「あの、いまから変なこと言うので怒ってくれていいんですけど、もし嫌じゃなければ……」

きつく抱きしめられる不自由は拘束にも似ていたが、それもやっぱり嫌ではなかった。
きっと、そう、愛の真似事を求めているのは私もおなじなのだから。

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