正解を探すのはいつだって難しい

「不本意な人生だ」

いつだったか、彼がそうこぼしていた。
その本当の意味をイザベルは知らない。知りたいとは思う。だが当人に訊く気にはなれなかった。
ハンゾーは答えたくない質問は苦笑ひとつで退ける人だったし、その答えたくない質問というのは例外なく自分自身に対する事柄だったので、どうせ無駄な徒労に終わるであろうことは想像に難くないからだ。

完璧とは呼べない空模様から足元へと視線を移し、イザベルはなおも考え続けていた。
不本意な人生か。自分の人生だってそうなのかもしれない。
思えばずっと、他人の望むがままに生きてきた。敷かれたレールはあまりに強固で、自分の意思を差し挟む余地などどこにもなかった。
したかったこと、やれるはずだったこと。考えればたくさんある。

じゃあ……彼の本意はどこにあるのだろう。掴み取れなかった羨望はどこに? 案外、田舎の片隅でひっそり暮らすのが望みだったりして。
そんな想像に思わず短い笑いがこぼれ落ち、隣のハンゾーが不思議そうに頭だけこちらを向けた。無言の視線がくすぐったくてイザベルはわざと退屈そうに頬杖をつく。

「別になんでも」

視線の先で、汚れた編み上げ靴の先を虫が通りすぎていく。あまりにも足に馴染みすぎた武骨な軍靴、これを履かない人生もあったのだろうか。
その人生を生きるもう一人の自分は今日こうして異国の男と一緒に縁側で物思いに耽っているだろうかと疑問がよぎり、ほんの一瞬だけ胸が締め付けられた。
再び灰色の空を仰ぐ。梅雨まっただ中の空気は重苦しく、まだ夏には一歩早いと言うのにこめかみが汗ばむほど暑い。

「なに? どうしたの?」

ハンゾーが急に立ち上がったので、イザベルは困惑気味に訊いた。
紺色の着流しをまとった体は姿勢がよく、すっと天に伸びていくようだ。日本人にしては上背に恵まれた彼が空を睨んだまま微動だにしないのは妙に迫力がある。
こちらを向き直ったハンゾーは、相も変わらずの無表情のまま『中に入れ』と目鼻で示した。
イザベルはそれを訝しげに振り仰いだまま、訳がわからないと眉根を寄せる。だが次いで「なんで?」と口にしようとしたその瞬間——庭に散弾が降り注いだ。
膝にも冷たいしぶきが跳ね返り、慌てて足を引っ込める。なかば呆然として見つめる景色は数秒前とは一変して、まるで滝の裏側にいるかのようだ。

「すごい雨」
「じきに止む」

背後で障子が閉じられると、部屋には薄暗がりが落ちた。まだ午後も早い時刻とは思えないどこか秘密めいた空気が、い草の香りを帯びてあたりに漂っている。
照明の紐に手を伸ばしかけたハンゾーは、しかし直前で思い直したように手を下ろして、ゆったりとした動作で壁際まで行くとそこに腰を落ち着けた。
イザベルもそれにならって隣り合わせに座り込み、靴を脱ぎ去った自分の足元を見るともなしに見やった。
湿気で強まった畳の匂いのせいで、草地に腹這いになり敵を狙い撃った最近の記憶がほんの一瞬、よみがえりそうになる。
隣の男はと言えば、深く慈しむように目を細めて叩きつける雨の音に聞き入るばかりで、そこに生々しい血の記憶などは見当たらない。ものやわらかな瞳だった。
衝動的にキスなんかしてしまったのは、その目がどこか遠く手の届かないものに感じられたからなのかもしれない。
まるで敬虔な聖職者同士がするような、軽くかすめるだけのキス。

「これも不本意?」

挑発を込めてそう訊けば、困惑したような堅苦しい表情が寄越される。イザベルの言葉の意味を呑み込めていないのは明らかだった。
それでも、ハンゾーは苦笑しなかった。質問を退けなかった。
いつものように押し黙ったまま、指が欠損した右手でイザベルのほつれた前髪をそっと耳にかけなおした。

気のせいでなければ、今一瞬その口許に微笑が浮かんだのではないか。
イザベルの黒目がちな瞳がふっと揺らぐ。優しくされるのはくすぐったい——嫌ではないにせよ。
だけど意を決して慣れないくすぐったさを受け入れたとき、イザベルははじめて自分だけの人生を得た気がしていた。

彼の言う通り、にわか雨は過ぎ去っていた。

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