秘密を二人で半分こ

このあたりは昔から雨量の多い土地であったし、急な雨は季節の風物詩とはいえ、今回ばかりはさすがに堪えるなとダークマンは思った。
つい数分前に轟音と共に降りはじめた雨はあっという間に彼の黒いコートとその下のワイシャツを色濃く染め上げてしまったうえに、帰路を急ぐ靴の中までちゃぷちゃぷと水の音がする。
大きな水溜まりがいくつも揺れている小道を、彼はうつむきがちに走った。どんどん人気がなくなり、明かりもなくなって、もはや雨風の音しか聞こえない薄暗い道を。
そうしてやっとのことで自宅——鳩に間借りしている廃屋——にたどり着いたときには全身ずぶ濡れで、体重が倍くらいになったような気持ちがした。

重たいコートを一刻も早く脱ぎ去りたくて、『進入禁止』の札がかかったチェーンをくぐり抜け、前庭にはびこる雑草を踏みつけながら急ぎ足で玄関へと向かう。
だがその時、雨のカーテンの向こうになにか白っぽいものが見えた気がして、彼は歩みを止めた。
幽霊か? らしくもない考えが一瞬頭をよぎり、慌てて打ち消す。
ゆっくりと近づいていくと、その“白いなにか”はペンキが褪せて歪んだ玄関ドアのすぐ隣にちょこんとうずくまっている。
さらに近づく。こちらを認めるなり嬉しそうにパッと輝いたその顔は、この世に未練を残した霊などではなくよく、よく見知った人間のものだった。

「ニーナ! 何を……」

そう言ったのは、なにも彼女の訪問を疎んでのことではない。
数ヵ月前に知り合って友人になったニーナは頻繁にここに遊びに来ていたし、他に話し相手もいないダークマンにとって、彼女の訪問はむしろ嬉しい。
彼が驚いたのは、ニーナがこんな暴風雨のなかで捨て猫のように震えていたことだ。
なんとか体裁を保っているだけの張り出し屋根は穴だらけで、雨避けの役には立っていない。膝をかかえて座り込むニーナは頭から爪先までびしょ濡れだった。

「どうしてこんなところに……」
「だ、だってストーカーなうえに家宅侵入とかシャレにならない」

濡れねずみ、いや、濡れ猫がくしゅんとくしゃみをひとつ。

「今さらそんな……いいから入って、ほら!」


「びっくりしたよね、急に降ってくるんだもん」

焦げ茶色の髪をタオルでぬぐいながら、ニーナはまったくひどい目にあったと唇をとがらせた。
それにうなずいて答えるダークマンもまた、白いバスタオルで身体を拭いている。
彼女が持参したボストンバッグは本人ほど甚大な被害は受けておらず、おかげで彼も乾いたタオルの恩恵に預かることができたのである。
世話焼きのニーナはここに遊びにくるたびに今回のようにタオルや、食料や、替えの包帯や、その他いろいろな日用品を世話してくれている。
ダークマンとしてはありがたいを通り越して申し訳なくもあるのだが、「なんと言われようと私の好きなようにするよ」などときっぱり宣言されては突っぱねようもなかった。

とはいえ、今日ばかりは彼女の用意のよさが心からありがたい。おかげでこうして乾いた着替えに袖を通せるのだから。
だが不思議だ——ニーナはなぜ自分の着替えまで用意していたのだろう?
同じく服を着替えたニーナは、まだ髪をばさばさやっている。ダークマンと目が合うと、猫に似た青い瞳を細めた。

「ん?」
「ありがとう。おかげで一晩震えて過ごさずに済んだ」
「どういたしまして。濡れた服は置いといてねー。また洗って持ってくるから」

やっと髪の具合に納得がいったらしいニーナがタオルを畳む。そこへ、ダークマンは先ほどの疑問を投げ掛けてみた。

「あー。んー……」

かえってきたのは歯切れの悪い返事。こんなときのニーナの表情は、いたずらをとがめられた猫そのものだ。

「えっと、今日は泊まるつもりだったから」
「それは……ここに?」
「うん」

思わず頭を抱えたくなった。
確かに、ニーナは何を考えているのかよく分からない子だ。驚かされたのは一度や二度ではない(そもそも出会いからして突飛すぎた)。
いままではむしろそこが面白いと感じてもいたのだが……今回ばかりはさすがに危機感が無さすぎると言わざるを得ない。
ダークマンは思った。どうやら考えていた以上にあぶなっかしい生き物らしいな——このニーナという未知の生き物は。

「追い出されないって信じてるけど。……この雨の中」

若い女の姿をした未知の生き物は、まだ風が吹き付け、雨が叩きつけている屋外をちらりと見やるとそう言った。

「それは……そうだけど」
「大丈夫、絶対なにもしないから! 約束する!」
「それはどちらかと言うと僕のセリフじゃないか?」
「あれ、そうかな? そうかも」

えへへと笑うニーナ。この悪気のない顔を見るとついつい気が抜けてしまうダークマンだが、はたして、今回も完全降伏を示すはめになりそうだった。

雨風を避けて退避した部屋の一番奥で、二人は壁に背中をもたせかけ、いまだ止まない雨の音を聴くともなしに聴いていた。
ニーナの膝には一匹の猫。
この灰色の猫は、数年前、ダークマンが“研究室”から唯一持ち出してきた大切な猫である。他のすべてを捨て去っても、この小さな友人のことだけはどうしても諦めきれなかった。
もっとも、当の猫は今では彼よりニーナの方になついているのがさみしいところだが。

「僕にはそんな顔しないくせに」

ダークマンの包帯の指が、首輪つきの喉をくすぐる。猫の反応はいつも通りそっけなく、おざなり程度にごろごろ言っただけで顔を背けた。

「大丈夫大丈夫。ちーちゃんはツンデレなんだよねー?」
「なあニーナ。笑わないでほしいんだが、僕はいまだに君が本当は猫なんじゃないかと疑ってる。どうなんだい? そろそろ自白する気にならないか?」
「どうだろうねぇ。あ、雷鳴り始めた。怖いねー、ねえちーちゃん、雷だよ雷」
「またはぐらかして……」

ニーナはこの話題を必要以上に避けようとしている気がする。毎度毎度こうなのだから、科学者らしからぬ妄想も膨らむというものだ。
そんなことを考えていると、ニーナに「ねえ?」と肩をつつかれた。
本物の猫より猫らしく見える、いたずら好きな瞳がダークマンを見ている。ゆるぎない視線はそれ自体が『きらきら』と音を発しているかのようだ。

「さっき、なにもしないって言ったけど」

その含みのある声色に、ダークマンがどきりとして聞き返す。

「え?」
「手繋ぐのはいい? だめ?」

こちらを見つめる、上目遣いの青い瞳。おそらくニーナは思うよりもずっと計算高い。
だが悔しくも、彼が惹かれているのはそういうところなのだ。気まぐれで、自由で、少しずる賢くて、大人のようでやっぱり子供で。
思わずこぼれた笑い声一つと共に、ダークマンはニーナの髪をくしゃりと撫でた。

「もちろん、いいよ。じゃあ僕からも一ついいかい? 提案なんだが……」
「ハイ」
「今度から中で待っててくれないか。雨でも、そうでなくても」

包帯越しにも暖かい、小さな手を強く握る。いつも通りに話せていただろうか……少し早口になってしまった気がする。
いや——と、ダークマンは混乱を起こしそうな思考を慌ててなだめた。落ち着け、なにもおかしな提案ではないではないか。
自分はただニーナの身を案じているだけでそれ以外の意味はないのだし、そう、だから……
こつん、と肩にぶつかる重み。
はっと我に返ると、ニーナがこちらにもたれかかっていた。はにかんだ表情の頬は赤い。

「うん、わかった」

素直にうなずくしぐさが可愛くていとおしくて、気がつけばダークマンは包帯越しの口づけを、その小さな頭のてっぺんに贈っていたのだった。

「でもこんなところで眠れる?」
「大丈夫! マイ枕持ってきたから!」
「……本当に用意周到だね……」

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