琥珀を隠したてのひらに

後悔先に立たずと言うが、まさに今この瞬間、私は言葉の意味を痛感していた。
まさかこんな森のど真ん中で迷子になるなんて……。
戻る道も行く道もわからないまま空腹を抱えて両脚をくたびれさせた私にできることなんて、もはやその場に座り込むくらいのものだ。
せめてものなぐさめは、このところ晴れの日続きだったおかげで地面が気持ちよく渇いていることだった。

「はあ」

鳥のさえずりが綺麗。現実逃避のあまりまぶたが重くなるが、こんなところで寝てたら蚊のドリンクバーになる。
ああもう、困った。
二回目の溜め息をついた、ちょうどその時だった——背後で草葉を掻き分ける音がしたのは。

三メートルほど後ろに居たのは野犬でもリスでも熊でもなく、チェックのシャツにブルーのサロペットを着た長身の男だった。
いや、服装よりも、薄汚れた白い袋で顔を隠している異様さにまず触れるべきだったかもしれない。
正直今までの人生で一番驚いた。そりゃそうだろう。
自分でも不思議なのは、叫ぼうとか逃げようだとかの気がすこしも起きなかったことだ。当然そうしてもおかしくない状況なのに。

だが向こうは違ったらしい。
サロペットの男が注意深く片足に重心を移す。まるで逃げるタイミングを計る野うさぎのように。
それを引きとめようとして慌てて立ち上がったのがいけなかった。

「あっ、ちょっ、と待って!」

驚いた男は一目散に駆け出すとあっという間に木々の間に姿を消してしまったのだ。

「あ、ああー……」

やってしまった。
一度人の姿を見た後だと、ひとりぼっちはなおさら寂しくて怖い。いつの間にか陽は傾き始め、落ちる影も長くなっていた。
そのままどれくらいのあいだそうしていただろう。1分か、10分か。
オレンジ色を増した森の中で相変わらず膝を抱えていると、またしても背後で草が音を立てた。
飛び上がるかと思った。だって、振り返った先にはさっきの男がいたのだから。

押し黙ったままの彼が何を考えているのか、なぜ戻ってきたのか……解らない事は山ほどあったが、いま声をかけてしまったらまた逃げられてしまうような気がした。
そして見つめ合うこと数秒、男がゆっくり首を傾げた。おそらく成人しているであろう男性には似つかわしくない、あまりにも純真なしぐさに気が抜けてしまいそうだ。

「……ね、あなた迷子なの?」

布袋の男は押し黙ったまま左目の部分にひとつだけある穴から私を見つめていたが、やがて静かに否定の意を示した。
この人は喋れないのかもしれないな。

「えっと、じゃあこの辺りに住んでるの?」

今度は首を縦に振った。

「町から戻ってきたところなんだけど迷っちゃって。それで、もしよかったらちょっとだけでも一緒に歩いてくれない?」

わあ。近づいてくると思ったよりもでかい。袋男は相変わらず何も喋らず、まじまじと私を見下ろしている。
この無言は失礼を咎められているのかもしれない。
そう思って謝罪を口にしかけた瞬間、男に腕を掴まれた。そのままくるりと背を向けると、私の手を引いて歩き出す。
無口だけど、見かけによらずいい人みたい。

「ありがとう!」

広い背中に礼を言うと袋に覆われた顔が少しだけ振り返った。淡い光に照らされた瞳は、とても優しげに見えた。

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    13日の金曜日ジェイソン
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