さよなら平穏な日々

まず私をたじろがせたのは、屋内から漏れ聞こえてくる喧騒だった。普段から賑やかな一家ではあるが、それにしたってちょっとこれは普通じゃない、というレベルの。
そのうえなぜか玄関扉は斬り壊され、窓が割れ……まるでこの家にだけハリケーンが襲来したかのような有様がますます私を混乱させるのである。
一体何があったというのか。

「ババ? おはよー、遊びにきたよー。おじゃましま——」

言い切るよりも早く、奥の部屋から身長二メートルの子供が飛び出してきて渾身のタックルをくれた。
彼の重さに耐えきれずに、吹き飛ばされるように後ろにすっ転ぶ。殺す気か!と叫びかけて、でも私の肩口に顔をうずめるババの様子がいつもと違うことに気がついてやめた。

「……なに? どうかしたの?」

すると突然我にかえったかのようにババが何事かをまくしたてはじめた。
大きな身体を小動物のように縮めて、ぱたぱたと両手を振り回しながら、言語にならない声でしきりに何事かを訴えかけてくる。
なんだかおかしい。この声、もしかして泣いてるのだろうか?
その態度からなにか大変なことが起きたらしいことだけは理解できた。

「この馬鹿がヘマをしおって一人取り逃がしたんだ!」

朝食の後片付けも済んでいないダイニングに入った途端に、しゃがれた怒号が飛んできた。
ソーヤー家の長男、ドレイトンは怒り心頭の面持ちで部屋を歩きまわり、かと思えば急に叫びはじめて、手に持った箒でババをやたらめったらに叩く。
すると当然のようにババは近くにいる私に助けを求めてしがみつくわけで、それが気に入らないらしいドレイトンの機嫌は悪くなる一方だ。
それでも男かとか、なぜ女一人捕まえられんのだとか、ぶつぶつつぶやきながら、再び散らかった部屋を行ったり来たりしはじめる。

「事情は分かったからとりあえず落ち着いて……それでどうするの?」

この家を捨てる、というのが彼の答えだった。戦争で負傷して入院中の弟を拾って、どこか別の町でやり直すのだと言う。
弟か……あれ、そういえばその双子の片割れが見当たらない。

「ババ、お兄ちゃんは?」
「チャーリーは死んだよ」

私の疑問に答えたのはドレイトンだった。

「は? なんで?」
「トラックだよ、トラックに轢かれたんだ! ついさっきな」

それはまた急な……。
チャーリーとババは仲が良かったからさぞかし打撃も大きいのではと心配したが、ババには兄のお叱りの方が重大らしかった。たぶん、そもそも死の概念を理解できていないのだ。苦しむよりはそのほうがいいのかもしれない。
そんなことを思いながらぼんやりたたずむ私の頭上に特大の爆弾が落ちてきたのはその時だった。

「何を突っ立ってるんだ! お前もさっさと荷物をまとめて車に載れ」

……はい?

「手伝えと?」

やっとのことでそれだけ訊くと、ドレイトンはますますいらだたしげに腕を振り回した。
曰く、「ここに残るつもりか?」だそうだが、そりゃそうだ。私何もまずいことしてないし、逃げる必要ないし。他にどんな選択肢が。

「手伝いならするけど……」

私は行かないよ、と言いかけてふと隣を見るとババがひどく悲しそうな、それでいて驚いたような顔でこちらを見つめていた。
いや、びっくりしたのはこっちなんだけど……なんで私もついていくこと前提なのさ。
なんだかんだでソーヤー家にはお世話になってるし、特にババのことは弟のように大切に思っているが(彼の方がはるかに年上であるという事実は差し置いて)だからといって……。

「私には私の生活があるし」
「ふむ」ドレイトンが唸る。「仕方ない」

ふと立ち込めた不穏な空気に気づいた私が逃げ出すよりも、ババの行動の方がいくらか早かった。
抱擁と呼ぶには少しばかり乱暴な強さで腕の中に閉じ込められて、あっという間に身動きが取れなくなる。背後のババからはむせ返るような汗と土埃と血のにおいがした。

「えっ、ちょっ、いや、冗談よね……?」

もちろん本気に決まっている。その証拠に、長いロープを手にこちらに近づいてくるドレイトンの目はこれっぽっちも笑っていなかった。


「……あのさあ、絶対おかしいと思うんだよねこの状況」

言いたい事がありすぎて逆に言葉が出てこない。
あれよあれよという間に奇怪な家族の引っ越しに巻き込まれ、かわいそうな私は手足を縛られたままおんぼろトラックの助手席に放り込まれた。
荷台にはソーヤー家の祖父母ならびにチャーリー(ちなみにうち二人が死体だ)とババが乗せられ、そして更に遠からずうるさい双子の片割れが加わる予定なのだから恐ろしい。
そもそも私関係ないのに! 全然関係ないのに! そりゃ文句の一つ二つも言いたくなるってなものでしょう?
なのに運転席のドレイトンが理不尽にも「静かにしてられんのか」なんて怒鳴るものだから、私の不満は募るばかりだ。

「ちょっともうほんと意味わかんないんだけどなんで私まで……ごめんわかった黙るから雑巾はやめて雑巾は……叩くのやーめーてー!」

ガタガタと地面を蹴るタイヤの振動が私たちが着実に町から遠退きつつあることを教えてくれる。こうなったらどうにでもなれ!
とりあえず、あと一言だけ、これだけは言っておこう——

「さよなら平穏な日々」

    拍手ありがとうございます!とても嬉しいです!

    小説のリクエストは100%お応えできるとは限りませんが、思いついた順に書かせていただいています。

    選択式ひとこと

    お名前

    メッセージ



    悪魔のいけにえババ
    うりをフォローする
    タイトルとURLをコピーしました