あなたのための日

付き合って一年半(と少し)も経てば、相手について知ってることも多くなる。
そのうちのひとつは、イザベルはレスポンスがあまりマメじゃないってことだった。
たとえば遠く遠く離れて過ごしているとき、ちょっと話でもしたいなと思ってメッセージを送っても、それがどうでもいいような雑談だとあっけなくスルーされてしまう。
ほとんど独り言みたいな近況報告をいくつも送り続けて、そのうちやっと一通返事がくるかどうか……規律と秩序を重んじる彼女の中ではいつだって物事の優先順位がはっきりしている。
だから、ついさっき送った『ケーキ買ったから今から帰るね』というメッセージにすぐに反応があったのは、正直意外だった。

『わかった』

そのあまりに簡素な数文字を、ばかみたいに何度も読み返した。
指紋で汚れた画面をデニムジャケットの袖でぬぐう。それからまた同じところを読んだ。
春の陽気に誘われた人々で賑わう大通りから歩き慣れた脇道へと逸れると、そこで足を止めて文章を打ち込む。

『バス逃しちゃったから20分くらいで着くと思う』

そのあと携帯をバッグに仕舞いかけて思い直して、片手にぎゅっと握ったままなるべく前を向いて歩き出す。
白い花をつけた垣根。名前も知らない街路樹。濡れた芝生の家。路上駐車の白いセダン。噴水がある公園。それらの前を足早に通り過ぎる。
いつもは期待なんかしないのに、彼女に言葉が届けば十分だって割り切ってるのに、今日はこんなにそわそわしてしまう。
やっと手の中で短い通知音が鳴って、私はそちらに視線をやった。瞬間、どうしようもなく口元が緩むのを自覚しながら。

『迎えに行ってもいいけど』
『大丈夫。ケーキのカロリー分歩かないと』
『じゃあ5時間後に』
『無情……』

結局、家に着いたのは予定よりずっと早くだったけど、急いで帰ってきたのを知られるのは恥ずかしいから、しばらく玄関前で呼吸を整える時間が必要だった。
イザベルはリビングのカウチに座っていて、私に「おかえり」と言ってくれながら、仕事用のタブレットパソコンを裏返しにしてテーブルに伏せた。
それは何気ない、ごく自然なしぐさ。なのに胸が冷たくざわついたのは、彼女との別れの瞬間を意識させられたからだった。
この短い休暇が終わればイザベルはまた軍に戻ってしまうのだという現実をまざまざと見せつけられたようで……。できればずっと忘れていたかったのに。

「どうかした?」
「ううん別に。部屋の方が暑いなと思って」

冷蔵庫にケーキの箱を入れてからリビングに戻る。イザベルはまだ私の一挙一動をじっと観察していて、その訝しむような眼差しにますます恋しさが募った。

「となり座ってもいいー?」
「あんたそれ毎回言うけど。空いてるんだから勝手にしたらいいのに」
「えっ、そう? まぁ一応……?」

私があいまいに答えると、イザベルが唇をほんの少しほころばせるのがわかった。それから組んだ脚の上に肘をのせて頬杖をつく。
彼女と暮らしていると頻繁に目にするポーズだ。その姿勢のまま視線をそらすのは照れているか、ふてくされている証拠で、逆に今みたいに顔をじっと見上げてくるのは興味と好意の現れだと私は分析している。
こういうときのイザベルの、挑戦的に輝く瞳はとてもかわいい。

「で、なんでいちいち訊くの? 必要ある?」
「まぁ絶対ダメって言わないもんね。ベルは私のこと好きだからなぁ」
「……うざい」
「言うと思ったー」

ディナーを作りはじめるまではまだまだ時間の余裕がある。それまで撮り溜めのドラマでも一緒に観ようかと思ったけど、リモコンが見当たらないので諦めてカウチに腰を下ろした。
そういえばさっきから流れてる曲、私が好きなやつだ。あれ、でもイザベルってこの歌手好きだったっけ?

「ねえこれ見て。さっき公園でハトが水飲んでて。可愛かったから撮ったんだけどわかる?」

あまり上手とは呼べない写真を携帯の画面いっぱいに映し出すと、イザベルがこちらへ身を乗り出してくる。
その拍子に鼻先をくすぐった香りはあまりになじみ深く、私は空気中を漂う粒子を確かめようとするみたいに目をこらした。

「何?」
「ううん、シャンプー買ってくるの忘れたこと思い出して。昨日言ってたのにね」
「私も忘れてた。別にいいよ、またあんたの借りるから」
「うんありがと。あのシャンプーいいよねー。あれ使ってると雨の日でも泣かなくて済むんだよね」

他に見せてあげられる写真って何かなかったかな。おととい隠し撮りした寝顔は間違いなく怒られるだろうなぁ。かわいく撮れてるんだけど。
そのとき、ふいにイザベルの肩が私の肩にぶつかった。こつん、ともたれかかってくる頭をほとんど条件反射で引き寄せてから、遅刻気味の心臓がいまさらながらどきどき脈を打つ。
あ、これ、“したい”ときの合図だ……。
スキニーパンツの太ももを撫でてあげるのが私の返答だった。そこを指先だけで軽くくすぐってみると、イザベルが一瞬呼吸を止めるのがわかった。
ゆっくり近づいてきた唇が、軽やかな音を立てて私の唇を啄む。
ちゅっ、ちゅっと断続的なリズムが耳の奥でやけに大きく反響するのは、きっと神経が過敏になりすぎているせいだ。
いつもすこしだけ荒れがちで、でもやわらかい唇に触れられるとどうしようもなく気持ちがいいから力が抜けてしまう。
顔の角度を変えて舌を差し入れようとしたけど、それより先にイザベルが同じことをしてくれた。
私は喜んで彼女を自分の中に招き入れ、決して乱暴ではなく激しすぎもしない、まるでなだめるような愛撫のひとつひとつに応じた。
下腹部がちりちりと燃える感覚に、知らず知らずのあいだに腰が浮く。
私ったらいつの間にこんなことが出来るようになってしまったんだろう。でもそれはお互い様ね。
一年半前イザベルはキスが好きじゃなかったし、私はあんなにへたくそだったのに。

下唇を優しくなぞってくる舌先を捕まえて吸うと、驚いた腕が反射的に私の胸を押し返す。でも本気で嫌がってるわけじゃないみたいで、その手はすぐに撫でる動きに変わった。
ポリエステルのブラウスとブラジャーごしに指のかたちを感じる。私もイザベルの着ているパーカーに手を這わせて、ファスナーをゆっくり下ろすとやわらかい膨らみを下からぐっと持ち上げた。
その胸元から慣れた香りがほのかに立ちのぼるのは体温が上がってきたためだろう。香水を好まないイザベルはいつも同じ香りがする。
彼女が彼女である証のような、愛しくて落ち着く匂い。
なおもファスナーを引き下げる。じじっ、というかすかな音に私たち二人とも耳をそば立てて、決まり切った行く末を見守っている。

「ニーナ」
「なーに、イザベル?」

私がさんざんかき乱したせいで、彼女のトレードマークである三つ編みはほとんどほつれてしまっていた。ゆるいウェーブの黒髪がはらりとこぼれる。
きれいな顔を覆い隠す前髪を耳にかけてやり、そのまま頬に手のひらを押しつけた。すごく熱くなってるよ、とからかおうとしたけど、きっと私も人のことは言えない状態だからやめておこう。
イザベルの手が私の手の上に重なって、指の骨をなぞるみたいにくすぐってくる。これも合図ね、ちゃんと知ってる。

「今日はベルがしてくれる日?」
「嫌なの?」
「いちいち訊かないで」

私が笑うとイザベルもつられて眉を下げる。この不器用な笑顔、一年半で何度見てきただろう。
お誕生日おめでとう。一緒に過ごせて幸せだよ。愛してる。このキスが終わったら、ちゃんと言葉にしなくっちゃ。

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