好きなものだけ拾って、集めて、またあした。

昨夜の雨は、円盤型の蜘蛛の巣に無数のダイヤモンドを残していった。

森で暮らすジェイソン・ボーヒーズにとって、それ自体は珍しいものでもなんでもない。普段ならば目もくれないであろう、ありふれた物体だ。
それなのに今日に限って足を止めてしまったのは、いつかエリノアが雨上がりの蜘蛛の巣は美しいと、そう言っていたのを思い出したから。
細い透明の糸に丸いしずくが重たげに並ぶ様子はさながら空中で静止した雨粒で、まるでこの一角だけ時間が止まってしまったかのように見える。
巣が風に揺れるたび小さな宝石が一粒残らず太陽の光に輝く。これは確かに綺麗かもしれないとジェイソンは思った。
教わらなければ一生気づかなかったかもしれないような、ささやかな美しさ。
ジェイソンが思うに、エリノアはそういった片手分の幸せを見つけるのが上手だった。

白い雲が流れる水鏡をぱしゃんと踏みつけて、彼は歩き慣れた道を足早に進んだ。
はるか上空には透明な晴れ間が広がり、まだ雨のにおいを存分に残した風が木の葉の間を渡ってゆく。
雨上がりの森が好きになれたのも彼女のおかげかもしれない。枝葉を広げる濡れた木々を見上げたジェイソンはそんなことも考えた。

やがて木立は途切れ、彼はキャンプ場の名前にもなっている広大な湖の前に出た。
本来ならば掻き入れどきの季節だが、閉鎖されたクリスタルレイク・キャンプ場はしんと静まり返ってまるで人の気配がない。
だから、桟橋に見える唯一の人影は彼女——エリノア以外には考えられなかった。
ジェイソンが駆け寄ると彼女はのんびりとした動作で振り返り「おはよう」と静かに笑んだ。それからいつもと同じ調子で「元気?」と尋ねる。
対するジェイソンもいつものようにこくりと頷きエリノアの隣に腰を下ろした。この何気ないやり取りが、彼はとても好きだった。

近くの別荘に家族と一緒に泊まりにきているというエリノアとジェイソンが出会ったのは数週間前のこと。
その日の夕方、エリノアはやはりこの桟橋に座ってぼんやりと湖を眺めていたのだ。
人の気配に気づいて鷹揚なしぐさで振り返る少女も、普段ならば一目散に逃げ出すはずのジェイソンも、どちらともがしばらくのあいだ一言も発さずに見つめ合う。
やがて動いたのはエリノアの方で、彼女は麻袋をかぶった男なんて珍しくもなんともないとでも言うように「人がいるとは思わなかった」とつぶやいただけで、すぐにまた茜色の湖に視線を戻した。
桟橋のすぐそばで魚が跳ねる。すると彼女は、湖面に飛び散る水しぶきと同じくらいきらきらと輝く瞳でジェイソンを振り返った。

「いまの見た? 綺麗だったね」

密やかに笑う声は夕暮れの物憂げな湖とあまりにも、あまりにも完璧に調和していた。どこか現実味に欠けるくらいに。
そのせいで、ジェイソンは翌日の真昼に再会するまで彼女を幽霊かなにかだと思い込んでいたほどだった。

「それ」

回想の最中に突然話し掛けられたジェイソンはびくりと肩を跳ね上げた。危うく桟橋から転げ落ちそうになって、慌てて姿勢を正す。

「その服。どろどろじゃない?」

エリノアに早く会いたいがために近道をしたせいで汚れた青いオーバーオール。
だがそれを笑うエリノアの靴も同じように泥まみれであることに幸か不幸かジェイソンは気づかず、彼女は静かに話を続ける。

「そういえばね……」

エリノアには囁くように話をする癖があった。それはともすれば空気に溶けて消えてしまいそうなか弱い声だから、ジェイソンはいつも息すら潜めて彼女の話を聞いた。
彼女の好きなもの、過去のこと、未来のこと、昨日見たもの聞いたこと……どれも他愛もない話題で、だけどエリノアの話ならいつまででも聞いていたくて、彼は麻袋の中でじっと耳を澄ませるのだ。
ふと声が途切れると寂しくて、もっと話してと彼女の服を引っ張ってねだることさえあった。
たとえば、今のように。
だけど今日のエリノアはどこかいつもとは違って、桃色の唇は一向に次の言葉を紡ごうとはしない。
とうとう不安になったジェイソンがそっと腕に触れるとエリノアはようやく顔をあげたが、その表情は心なしか沈んでいる。

「ねえ——」

やがて堪えきれなくなったようにするりとこぼれ落ちたか弱い声は、だがふいに騒ぎはじめた蝉の合唱によって掻き消されてしまった。
慌てて首を傾げるジェイソンにエリノアは「……ううん、いいの」と物静かに微笑みかけると、彼の腕を引いて立ち上がった。

「サンドイッチ作ってきたの。あっちで一緒に食べよう? あ、見て、蜘蛛の巣」

——ねえ、このままずっと夏が終わらなかったらいいのにね。

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    13日の金曜日ジェイソン
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