水平線はいつか混じるだろうか

ガキみたい。そうイザベルは思った。
それは、激しく尾を震わせている魚を鷲掴みにして誇らしげにこちらに突きだしているモニカのことだ。

「どうよ!」

モニカがしたり顔を浮かべ、その顔にもう一度同じことを考えた。見たところ自分より2つか3つ年下なだけのはず……なのに何なのだろう、この無邪気さは。

「で、どうするつもり?」
「え? どうってもちろん食べるよ。焼いて!」

肩にかついだライフルが急に重たくなった気がして、イザベルは眉根を寄せた。一緒にはぐれたのがあの協調性のない男共の誰かでなくてよかったと思っていたが、その考えは改めざるを得ないかもしれない。

「次の瞬間死んでも文句言えないと思うけど。敵に居場所を教えるようなものだし」
「あ、そっか……それもそーだ」

途端にモニカの肩はがっくり落ちる。だがそれ以上にがっくりきているのは魚のほうで、見るからに弱りはじめているその生き物にイザベルは自分の姿を重ねずにはいられなかった。

「放してやったら。インテリアにするつもりだったら別だけど」
「せっかく掴まえたのに……」

モニカがしぶしぶ手を離すと、地味な銀色をした魚は大急ぎで湖を横切って逃げていった。
まったく、急に張り切って何やら始めたと思うとコレだ。まぁ、ありあわせの道具で漁網をこしらえたばかりか、実際に獲物を捕まえた腕前は評価してもいい。

「あー、残念だなぁ」

とは言いつつあっけらかんとした様子のモニカが、イザベルにならって岩棚の奥に身を隠す。
他の面々と合流を急ぎたいのはやまやまだが、真っ暗な中をやみくもに歩き回る危険をおかすのも気が進まないということで、二人は一晩をこの湖のほとりで明かすことに決めたのだった。
ふと気づくと、モニカが服のポケットを探っていた。
訝って見守るイザベルが声をかけようとしたちょうどそのタイミングで目当てのものを見つけたのか、ぱっと表情を輝かせたモニカは小さなビニールの包装を引っ張り出した。

「あった、チョコレート。イザベル甘いの好き?」
「……最初からそれ出したら?」
「ごめーん、あるの忘れてて。ちょっとぐにゃぐにゃになってるけど。暑かったもんねー」

どうしてこんな状況で笑えるのか、イザベルにはまるで理解が及ばなかった。それとも、もしも違う運命の元に生まれていたら自分もこのような生き方ができただろうか。
(羨ましい訳じゃないけど)

「はい、二つあるから半分こね」

モニカがイザベルの手をとり、革手袋の掌に小さな包みが乗せられた。モニカの指先は柔らかく、まさにごく普通の女のそれだった。
銃をぶれさせずにに保定するにはどこをどう支えればいいのかも、引き金にどれくらい力を込めてやればいいのかも知らない指。
ミルクチョコレートの甘さは舌を麻痺させ、脳を焦がし、自分が人間であることを久しぶりに——この惑星に放り込まれてから初めて——思い出させてくれた。
喉を滑り落ちていく甘さを少しでも鮮明に感じ取ろうとでもするかのように、イザベルは目を閉じた。
ここももう夜になる。瞼を開けていても閉じていても映るのは同じ暗さだけで、いよいよ自分が悪夢の渦中に放り込まれたのだという変えがたい現実を痛感した。

咆哮のように吹きすさぶ風に打たれて湖面が揺れる気配に気をとられ、再び目を開けると、薄着のモニカが自分の肩を抱いて震えていた。確かに、昼間の熱気が嘘のような冷え込みだ。
それでも疲れには勝てないのだろう、次第にあくびの多くなってきたモニカに、イザベルはそっけなく言った。

「寝たら? ひどい顔してる」
「うん……でもイザベルは? 寝ないの? 私より疲れてそうだけど」
「見張りもなしに二人とも寝るわけにいかない」
「そっか。ねえ近くにいってもいい? 寒くて」

その笑顔には他人に拒絶されることを知らない無意識の自信が覗く。
それが無性に腹立たしくて、イザベルは立てた膝を支えに頬杖をつくとそっぽを向いた。見捨てるつもりはないがいちいち相手にしていたらきりがない、と言うように。
それでもイザベルとしては最大限にわかりやすい拒絶の態度を突きつけたつもりだった。だからふいに肩に重みを感じたときには心底驚いて、思わず息を呑んでしまったほどだった。
モニカの方を向き直ると、ふわふわした髪が頬にくすぐったく触れる。モニカは満足げに目を閉じたままだ。

「イザベルが一緒でよかった。見捨てないでくれてありがとう」

一人だったら怖くてダメになってたかも、モニカは小さな声でそう付け足した。
先程までの奔放さはまるで闇に呑まれてしまったかのように消え失せて、今この瞬間、モニカはただの犠牲者だった。死のプレイヤーに選ばれ、悪夢に引きずり込まれた哀れな女。
モニカが急に泣き出したとしても、イザベルは意外には思わなかっただろう。
だが、モニカはささやくような声でこう言っただけだった。

「おやすみ、イザベル」
「……おやすみ」

初めて心を込めて、イザベルは言葉を返した。

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