知らない言葉が欲しいのです

彼と彼女の秋冬の定番スタイルは、カンガルーに似ていた。
すなわち、ダークマンがベッドの壁際の位置に腰を落ち着け、彼の膝の間にマリが挟まって座る様子がかの動物を思わせるのだ。
そして11月も終わりの今日、二人はその定番スタイルを採用して午後の時間をのびのびと過ごしていた。
とりとめもなく続くマリの話に逐一相づちを打っていたダークマンは、バイト先の愚痴が一段落した頃を見計らい、ここ数十分で急に下がった気温を補おうと自分とマリの体をひとまとめに毛布で包み込んだ。

「寒い?」

大判の毛布で首までくるまれたマリがほがらかな口調で訊いてくる。
別の部屋から上着を取ってこようか、それともストーブの温度を上げようかと提案されたが、ダークマンはどちらも断った。
確かに今日の着衣は薄いワイシャツにスラックスという頼りない組み合わせだし、おんぼろのストーブは任務に不誠実だったが、今は一秒だってマリと離れたくない。
アジア人らしく華奢な体つきをしたマリは苦労して上半身を乗り出すと、サイドテーブルから自分のマグカップを取り上げた。ぬるくなったゆず茶を立て続けにすすって、またカップを置く。
そんな彼女を見ているうち、ダークマンの心にふと疑問がわいた。

「マリ、日本語で『I Love You』は何て言う?」
「どうしたのいきなり」
「急に気になって」
「そんなのないよ。日本人はシャイだからそんな言葉使わない」

嘘だ。だがダークマンは何も言わず、マリの身体をいっそう強く抱きしめた。ぐずる子供のように白い首筋に鼻をうずめて、流れる沈黙に説得の役割を任せる。
くすぐったさに根を上げてマリが笑い出したとき、声には出さないものの「勝った」と思った。

「わかったわかった。えっと、そうだね、『月が綺麗ですね』……かな」
「ツ、ツクィ、ガ……?」

マリはまた笑った。声はさきほどよりも少し意地悪く、それでいて暖かな愛情がこもっている。

「あーもーぜんぜんダメ。超下手ー」
「そんなこと言うならもう入れてやらないぞ」
「ああっ待って私の暖房!」

昨日干したばかりでいい匂いがする毛布を引き剥がすふりをしてみれば、マリは慌てて胸に飛び込んできた。ダークマンはマリの体を抱いたまま、ベッドに横ざまに寝転んだ。

「もう一度、教えてくれ」

持ち前の諦めの悪さを発揮して、マリの頬を優しく撫でながら言う。
今度こそ正しく発音してみたい思いももちろんあるが、なによりマリの声を聞いていたかった。
優しく、切なく、明るく、時に浮かれたり沈んだりを自由自在に切り替えるその声はいつまで聞いても飽きることはない。
だが次いで声を発したのはマリではなく、彼女の携帯だった。
マリはごろりと寝返りを打ち、手近に放り出してあった携帯を拾った。画面には、同じ大学に通う日本人の友達の名前と顔写真が表示されている。
遊びをせがむ大型犬よろしくのし掛かってくるダークマンを片手で押しのけようとしながら(その効果は残念ながら皆無だ)マリは受話ボタンを押した。

「もしもし? なに……え? ああ。うん、そうそう。明日の二限ね。うん? いや、それはいらないけどこの間の——もー、重い!……あ、ごめんこっちの話」

他人の通話を邪魔するなんてマナー違反よとばかり睨み付けてくる視線を、ダークマンは気づかないふりでやり過ごした。マリにいくら叱られたところで、聞きなれない日本語の響きにもっと触れていたいという気持ちを捨て去ってしまうなんて、出来そうもない。
やがて、じっと見つめられて恥ずかしくなったのだろうか、伸びてきたマリの手のひらに視界を遮られた。薄闇のなかで、自分にはわからない言葉の羅列が際立って感じられる。
唯一ダークマンにも聞き取れた『バイバイ』を最後にマリは通話を終えた。携帯をもとのようにシーツの上に放り出し、相手に組み敷かれた格好のまま唇を尖らせる。

「重いんだってば」
「うん」
「うんじゃない」

マリが再び手を伸ばしてくる——今度は目をふさぐためではなく、男の包帯におおわれた後頭部を撫でてやるために。

「『大好き』」
「今のはなんて意味?」
「教えない」

浮かれた声のマリが、してやったりの笑みを浮かべた。

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