後先などどこにも無くて

その日の空は奇妙なほどに白かった。
遠くに見える海と空の間には僅かの境目もなく、まるで一枚のベールのように街中を包み込んでいる。
凍えそうに寒い夏の街には誰一人おらず、世界中でわたしだけが呼吸をしていた。
……いや、違う。わたしと、彼女の二人だ。子供の頃によく二人だけでかくれんぼをした樹で、わたしを待っているはずのひと。
吐いた息が泡になって耳のそばをかすめてゆく。その泡を振り払いながら、わたしはひたすらに駆けた。
息苦しさなんて気づかないふりをして。身を切る風なんて気づかないふりをして。打ちつける雨なんて気づかないふりをして。
速く、速く、どうかもっと速く。
歩道に植えられた青々とした街路樹が次々に後ろへ吹き飛ぶ。そこにしがみついている死んだ蝉が急いたように鳴いていた。

数年前に切り倒されたはずの樹は、昔と変わらぬ姿で濃い枝葉を広げていた。
そしてその根元には、ごつごつした幹に片手を沿えて佇む貞子の姿があった。
白い空に負けないほど白いブラウスとスカート、それとわからない程度の笑み。着ているものとは対照的な真っ黒い髪を風に遊ばせて、貞子は静かにわたしの名前をなぞった。

「マリ」

私たちは真正面から向かい合って、でもお互いの瞳を直視する事ができずにいる。
腕を伸ばせば、爪が割れた指にも青ざめた頬にも長い睫毛にも、どこにだって届くというのに、意気地なしのわたしの掌は濡れた幹の上に落ち着いた。

「ねえ」
「うん?」
「かくれんぼしようか」

貞子が笑い、こぽりこぽりと水泡が漂う。

「そうね。ねえ、覚えてる? いつでも私のほうが上手だったわ」

うん、うん。そうだよ、わかってる。わかってるよ。
でも今度は見つけるから、すぐに見つけてみせるから。

「貞子、大好き」
「私も大好きよ、マリ」

まるで銀色の雨に溶かされてしまったかのように、瞬きひとつの間に彼女は消えた。
世界がどろりと溶けて、凍えるような寒さも蝉の声も大きな樹も、何もかもが崩れ落ちた。
それでも、きっとあなたは、あなただけは、今もどこかにいるのでしょう。

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