願いごとなんて柄じゃない

10ヶ月前、私たちは偶然にも出会った。
その半月後、思わぬ再開を果たした。
さらに三日後、またしても。

一度目はあまりの恐怖に脇目も振らず逃げ出して、二度目は宇宙の神秘について考えさせられて、三度目に私は彼を自宅に招いた。
それはさながら野良猫を招き入れるように。
実際のところ、種族も生き方も違う私たちの共同生活はそれほど甘くもドラマチックでもない。
爬虫類みたいな宇宙人が家に住み着いたところで私の生活に劇的な変化が訪れるわけじゃなく、朝起きて、仕事をして、たまに寄り道しながら帰宅する、その繰り返しは滞りなく続いている。
変わったことと言えば語彙に「ただいま」が加わったことと、UFO関連のニュースをバカにできなくなったことくらい。

「ただいま」

今日も仕事から帰ってくると、彼——シャーマンはいつものように窓辺から夜の街を見下ろしていた。
ここは日当りだけが取り柄の古びたマンションだけど、景色はそう悪くない。

「天気がいいと遠くまでよく見えるよね」

私の声をシャーマンは無言で肯定した。
私が話して、彼が聞く。これは十ヶ月のあいだ変わらず続いてきた私たちの不文律の中の一つ。
極端に無口なシャーマンが声を発することはほぼ皆無で、そのかわり感情の読めない顔でほんのかすかに頷いたり目線を動かしたりすることが、彼にとってのおしゃべりだった。

「あそこのビルが取り壊されてから風景も全く変わったし。あんなところに公園があるなんて知らなかったもの」

シャーマンの青白い肌の模様が、ひとつだけ灯した間接照明に照らされてあたたかく浮かび上がっている。彼は明るすぎる部屋を好まない。それはいかにも彼らしく思えた。

「でもまた別のビルかマンションが建つだろうって。仕方ないね」

相変わらずの彼は、空き地の方へ目を移すことでこれに答えた。
端から見ればつまらないやりとりかもしれない。まるで倦怠期の夫婦みたいって、付き合ってもないのにそんな風に感じることもある。
だけど私にはそれで十分だった。
少しでも意思疎通ができるとそれだけで世界が輝いて見えて、私は一日を笑顔で過ごせた。
そのおかげだろうか、最近職場での友人が増えたのは。

「そういえばスズノさんこのところずっとご機嫌じゃないですか? 今日は特に」
「えっ、そう?」

翌日、隣のデスクの一つ年下の同僚にそんなことを話しかけられた。
いつも始業五分前にはデスクについている真面目な彼のことは、名前と年齢くらいしか知らなかった。
お互い嫌っているわけじゃなかったけど、喋るタイミングも話題もなかったから。なのに今じゃこうして毎日言葉を交わすようになっていた。
急に変わったよねと言ってみたら、彼は「変わったのはスズノさんの方ですよ」と笑った。私に笑顔が増えて話しかけやすくなったからだ、と。

「すごく明るくなったなあって。もしかして彼氏とか、できました?」

一瞬口にしかけた嘘を思い直して、私は首を振った。

「そんなんじゃないよ。ただ仕事にも慣れて余裕が出たんじゃないかな?」
「ほんとに? あの、じゃあ……」


「ただいま」

いつもより遅れて家に着いた。
霞がかって見晴らしの悪い夜の街を特に残念がるふうでもなく黙って眺めるシャーマンはほんの少しだけ頭を動かしたが、真後ろにいる私の姿は視界に入らなかっただろう。
それでよかったのかもしれない。もし面と向かっていたら、

「会社の人に好きだって言われた」

こんなことをうまく話せるかどうか自信がなかったから。

「でもすぐには決められなかったから、明日返事しますって」

シャーマンの腰布が揺れている。ベランダ窓が開いているのだとその時になって初めて気づいた。
長い髪をまとめる金色のバレッタを見つめる心の内で、こちらを見てほしい気持ちと振り向いてほしくない気持ちが激しくせめぎあう。
どちらにしたって、これ以上もう交わす話題もないのに。

「もう閉めないと。雨になりそう」

無言のシャーマンの横をすり抜けて、私はベランダ窓に手を伸ばした。ガラスがこんなに冷たいものだなんて今まで意識したこともなかった。
頭上からほんの小さな声が聞こえたような気がした。あるいは急に強まった夜風の聞き間違いかもしれない。
だけど顔を上げたとき、彼の淡い色の瞳は確かに私を見ていたのだ。いつも街並を見下ろしているのと同じ真剣な目で、彼はまっすぐ私を見下ろしていた。


隣の同僚はいつもと同じく、始業五分前にはきちんとデスクについていた。
その表情の変化ときたらまるで子供のようだった。
最初は落ち着かなげに、私の姿に気づいたあとは合格発表を待つ学生のようになり、そして私が微笑むと彼はその何倍も輝く笑顔を浮かべた。

「よかった……! 実は自信がなかったんです、OKしてもらえるか。でも本当に俺でよかったんですか?」
「もちろん。すごく嬉しい」

私の心は針で刺されたように痛んだ。
嬉しい、その意味がつかの間わからなくなる。刺された穴から空気が漏れ出すように、昨日の私たちが脳裏によみがえった。
今までになく近い距離で視線を交わす私と彼と。そして私を間近にとらえたまま、シャーマンは頷いた。
いつも通りの感情の読めない顔をして、月のような色をした目を逸らすことなく、一度だけ。
だから私にはわからない。彼がどんな気持ちで私を送り出したのか……
純粋なる後押しだったのか、それとも少しは苦しいと感じていてくれたのか。きっと一生わからないまま終わるのだろう。
今日の夜、彼の背中は窓辺にはないはずだから。

大丈夫、多分なにも間違ってなんかない。
私は新しい恋人を愛するだろう。隣の席からやさしげに、照れくさそうに笑いかけてくる少年のような彼を世界で一番愛せるだろう。
上司が全員をデスクにつかせ、始業の合図が下された。今日も変わらない一日が始まった。

でもね、私。
何かが変わればいいなってちょっと期待してたんだよ。

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