モーニング・コーヒー前の騒動

その夏の朝、空は青く、木々は濃く茂り、生き急ぐ蝉が大きな声で鳴いていた。
テレビのニュースは真夏日になると予報しているが、湿度は低く、爽やかな一日になりそうだ。
ベランダへと通じる窓の前に立ち、カーテンを開く。すると視界いっぱいに眩しい光が飛び込んできて、ぼやけた頭をいっぺんに覚まさせてくれた。

爪先立っておもいっきり伸びをする。

「ああ、いいてん——」

き、まで言い切ることは叶わなかった。
なぜって、突然目の前を謎のでかい物体がものすごい勢いで通り過ぎていったから。
空から降ってきたその“何か”はベランダにぶちあたって、鉄柵をへし折ったあげく、眼下の庭の芝生へとめり込んだ。

「……」

私はそっとカーテンを閉めた。


一瞬、見なかったことにして洗濯物でも干そうかなって現実逃避しかけたけど、そのためにはどちらにしろ庭に出ないといけないと気がついた。結局あれを見ないわけにはいかないのだ。
嫌だけどどうしようもない、腹をくくって外に出てきた訳だけど……。

「なにこれ」

我ながら間抜けにもほどがある第一声。これはなんだと同じ疑問ばかりが頭を駆け巡る。
唯一言えるのは、空から降ってきたのは生き物だったってこと。おかしいな、そんな予報はなかったぞ。

ざっくりと人型をしたそれの大きさは優に二メートルを越えるだろう。体には爬虫類を思わせる派手な模様が入っていて、銅色の装甲を着けている。それから、顔には金属のマスク。
明らかに人間じゃない。って言うかどう見ても宇宙人です本当にありがとうございました。
それで、どうしよう、これ。
連絡するなら大型ゴミ回収業者か、いやいやまだ生きてるみたいだからここは保健所が適切かなあなどと考えていると、ふいに“それ”が声を発した。

「キャンディ、タベル?」

レコーダーで再生したような、ノイズ混じりの声だ。驚き尻餅をつく私に向かって声は繰り返す。

「キャンディ、タベル?」
「え、いらない……っていうかなんでキャンディ……。……あの、ちょっと? もしもーし。……気絶してるし!」


さて、あれからしばらく経ったが大の字で気絶したままの宇宙人に起き上がる気配はない。私はそれを遠巻きに見守りつつ、どうしたものかと頭を悩ませていた。
首筋に垂れてきた汗を拭う(そういえば彼は汗をかいていないな、と気づいた)。
ここで死なれても困るからせめて日陰まで運んでやろうとしたのだが、あまりに重くて引きずるのも困難だったため早々に諦めた。
それにこの派手な体色からして毒を持っててもおかしくないし、へたに触らない方が——

「あ……おはよう……?」

その時、ふいに宇宙人が上半身を起こした。
しばしぼんやりした後、まるで眠気を追い払うかのごとく左右に頭を振る仕種が不気味なくらい人間くさい。触手じみた黒いドレッドヘアがぱらぱらと揺れ動く。
彼は自分の掌を眺めた。指を開閉させ、肩を動かし、異常がないことを確認している。
赤銅色のマスクからかすかな機械の作動音をさせながら、彼はゆっくりと辺りを見回し——鋭い視線がつかの間私の上に止まってぎくりとしたが、すぐに通り過ぎた——そして立ち上がった。

てっきりこのまま出ていくのだと思った。
なのに、なのにだ。一体どういうつもりか、宇宙人はのしのしとこちらに近づいてきたばかりか、さも当然のように家に上がり込みやがったのである。
ほんと、ごく自然に、「やれやれただいま」みたいな調子で。あまりのことに呆気に取られてしまい、慌てて追い掛けたときには男はすでに廊下を半分ほど進んでいた。驚くほど大きな足跡が床を汚している。

「ちょ、ば、なにして……なに勝手に入ってるの、っていうかあなた何なの!?」

たまらず腕を掴んで引き止めようとしたら、うっとうしそうに振り払われた。
うわ、信じられない! 宇宙人だかなんだか知らないが侵入者のくせにやたら態度でかいし身勝手だしで、もう怖いとかを通り越して腹が立ってきた。
ふつふつと沸き上がる怒りに任せて文句を浴びせ掛けてやろうと息を吸い込む。ところがそれよりも早く男が振り返ったので、ついたじろいでしまった。

「なっ……なに?」
「キャンディ、タベル?」

またあのノイズ混じりの声。
爬虫類じみた腕が視界に入り込む。一瞬、殴られるのを予想して目をつむった。
だけど彼はこちらに掌を突き出しただけで、その上には両端をねじったストライプ模様の包みがちょこんと鎮座している。

「キャンディ、タベル?」
「だからいらな——いや、あの、……これ家賃代わりとかじゃないよね?」

嫌な予感がして恐る恐るマスクの顔を見上げれば、宇宙人はグッと親指を立ててみせた。

「災難ダト、諦メナ」
「おまっ……ちょ、ちょっと待てー!」

その夏の朝、空は青く、木々は濃く茂り、生き急ぐ蝉が大きな声で鳴いていた……のを、私の叫び声が掻き消した。

2012-10-11T12:00:00+00:00

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