Overture

突然ぽっかりと穴の開いてしまったスケジュールを、彼は正直なところ持て余していた。
たまの休暇、平和な日々。そう言えば聞こえはいいが、行動の人であるグレイ・ベック——周りからは敬意と畏怖を込めて“エルダー”と呼ばれている——にしてみれば雑務も狩猟もない日々など退屈と言う名の敵でしかしかない。
敵か。エルダーは快適なひじ掛け椅子の中で考えた。敵。いい響きだ。さあ、どうやって狩ってやろうか?
数え切れないトロフィーが所狭しと並ぶ広々とした部屋の中に、思案に耽るエルダーの低い顫動音が漂う。やがてその目がきらりと光ったかと思うと、同時に音も止んだ。
——どれ、嬢ちゃんにでも会いに行くか。
なかなか楽しい休暇をもたらしてくれそうな自分の考えに、長老は顎を撫でながら満足げに椅子にもたれ掛かった。


小型の宇宙船を人目につかない場所に隠し、単身地球に降り立ったエルダーを慣れない大気が包み込む。
戦闘用のマスクを着けていないため視界が若干心許なくはあるものの、今日は狩りをしにきたわけではないからそれほど困ることもないだろう。それにいまさら言語翻訳機能も不要だ。
そんなことを考えながら木々や家屋の屋根を飛び回っているうちに、やがて目当ての窓が見えてきた。
二階のひと部屋から明かりがあふれている。彼はバルコニーに軽々降り立つと、ガラス窓を一度だけ叩いた。

「エルダー!」

もし彼がマスクを着けていれば、この瞬間にシャーロットの鼓動が乱れ、体温が上昇したのを感じ取れただろう。

「一年半ぶりくらい?」

エルダーを中に招き入れながら、喜びと、寂しさと、不満が入り混じった調子でシャーロットが言う。

「……もうそんなになるのか」

この星に流れる時間はなんと早いのかと、エルダーは改めて驚きを抱いた。なんという性急さだ。
時間に追い立てられたこの娘は、歳老いた自分よりもずっと早く死ぬ。命を狩り、解体するはずの手をシャーロットの頭にぽんと乗せて、その小さな頭を撫でた。
人間がみせる仕種とその意味について、彼は沢山の知識を持っていた。大人が子供の頭を撫でる意味ももちろん知っている。
だが、今日ばかりはそこになんの計算もない。ただ撫でてやりたくなった。どうしようもなく、シャーロットという存在を慈しみたくなったのだ。

「エルダー……今日はちょっと変ですね」
「そう思うか?」
「はい、思います」
「そうか。……わしもだ」

それから、二人同時に笑った。


「お前さんも頑固じゃな」

会話が一区切りついたところで、エルダーはそう切り出した。

「そうですか?」

このやり取りは二人の間でもう幾度も繰り返されていたので、シャーロットはしれっとした顔で答える。
エルダー——グレイ・ベックはかねがね彼女に対してシンプルな要求を打ち出していた。
自分のことを階級ではなく本名で呼ぶように、と。なにせ部下でもなんでもない相手に“エルダー”などと呼ばれるのは少々くすぐったい。
しかしいつものらりくらりとかわされてしまい、今日に至る。はたして今回もシャーロットは笑って首を振るだけで、「だってエルダーはエルダーですよ」と取り合おうとしなかった。
諦めて、彼は別の話題を持ち出した。

「冷えるな」

ガントレットを開いて発熱メッシュの温度を調整する。
未熟な者には堪え難いであろう大気の違いこそとうの昔に克服していたが、気温の差はどうにも参る。これも歳のせいか? 認めたくはないが、そんな思いが横切った。
エルダーの憂鬱を読み取ったかのように、シャーロットが優しく口を開く。

「真冬ですからね。今日は特に冷えるんですよ」
「ああ……」そうか、この星には四季とか言うものがあるのだったか。「悪い時期に来てしもうたな」

ところがシャーロットは意気込んだ様子で首を振った。

「そうでもないですよ? 冬は冬でいっぱい楽しみがあります」
「ほう?」
「まず、あったかいものが美味しい!」

エルダーは笑い出しそうになるのをこらえ、神妙な顔を作って頷く。

「他には」
「スノーボード。毎年行くんです。温泉巡りも! あと夜空が綺麗」
「ふむ……」

エルダーには理解の出来ないことばかりだった。
きっと短い寿命を活用するためだろう、過酷な季節にも娯楽を見出だす人間のたくましさには感心するが。
やはり寒さなど好きになれそうもないことを告げようとしたが、シャーロットがいたずらっぽい、うずうずした表情でこちらを窺っているのに気づいてやめた。

——はて、嬢ちゃんはなにを企んどる?

「もうひとつ」と彼女は言う。
そして、深い皺が刻まれたエルダーの手を握ってにっこりした。

「グレイといても暑苦しくない!」
「そうきたか!」

とうとうエルダーはカタカタと牙を鳴らして笑い出した。

「ときにお前さん、ついに名前で呼びおったな」
「そうでしたっけ?」

聞き間違いじゃないですかととぼけるシャーロットの手を握り返し、確かに冬も悪くないなと、エルダーは初めてそう思った。

2012-12-03T12:00:00+00:00

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