なんとなく嫌な予感はしてたんだよね。
今日はあいつと一緒に武装警官に追いかけられる夢をみて汗びっしょりで目覚めたし、マグカップ落として割ったし、買い物に行こうとしたらお気に入りの靴のベルトが壊れたし。
だから突然「Hello Dear!」なんて声が窓から飛び込んできたときも、正直、それほど驚きはしなかった。
ただ、この無残にも粉々になった窓は誰が片付けるのかなってことが気になっただけで。
「なんだなんだ、えっらく狭いな?」
「そうだね、そこは玄関じゃないからね」
ひどい猫背の男——ジョーカーは真夏日の空気と、よくわからない鼻歌を引き連れてカーペットの上に飛び降りた。靴がガラス片を砕いて、じゃり、と鳴る。
足取りがだらしなく歪んでいるのは元からだが、肩にかけた巨大なボストンバッグのせいでもあるかもしれない。
「来るような気がしてたのよ」
思わず漏れたつぶやきを彼が聞き逃すはずもなく、裂けた口をこれでもかと開いてけたたましく笑う。
「そうか、Honeyにはやっぱり俺が必要なんだな?」
なぜそうなる?
呆気にとられて何も言えないだけなのをどう解釈したのか、調子づくピエロが真っ赤な唇をますますにんまり吊り上げた。
私が反駁しようとするのを遮って、革手袋の指をちちち、と振った。
「ああ、いい、いい、なにも言うな」
それよりいい子のジゼルにプレゼントだ、そう結んでジョーカーが黒いボストンバッグをどすんと降ろす。勿体振った手つきでファスナーを開けるのを見ていると、図らずも心が浮き立つのを感じた。
そして、中身に詰まっていたものがごろごろ転がり出てくる。
彼はこれまでにも“プレゼント”と称して迷惑で物騒なあれこれを押し付けてくれたけれど、今回ばかりは笑わずにいられなかった。
「あァン? どうした?」
「いや……コレ、私も今日買ってきたんだよね。しかもついさっき」
散乱するカップアイスクリームは私が一番好きなメーカーのもの。一つ拾い上げると中身はまだ固く、調達のあと車をかっ飛ばしてまっすぐ家までやってきたらしい。それにしてもこの数は……店頭にある分一つ残らず強奪してきたのだろうか。
「そりゃいい! アー、あれだな、“ウンメイ”ってやつか? な? そうだろ?」
それはまたえらくささやかで可愛らしい運命ですこと。
私が冷凍庫の空きスペースと格闘している頃、ジョーカーは勝手にスプーンを持ち出してアイスをつついていた。
「なんとか入った……」
冷凍庫のドアを閉める。それから改めて迷惑な客人の姿を見て、派手な紫色のスーツが赤黒くて鉄臭い液体で汚れているのに気がついた。
「それ脱いで」
「ハ、ハ、ハ! そいつはまた……積極的だな!」
スプーンを投げ出し、ジョーカーがおなじみの声で笑う。
立ち上がり、踊るようにして近づいてくる。あっという間に鼻先が触れそうな位置まで接近したけばけばしいクラウンメイクの顔には汗ひとつ浮かんでいない。
香水だかなんだかわからない香りが漂って、何故か恥ずかしくなった私は顔を背けた。
「もー! いいから脱いでよ。早く洗って干しちゃいたいんだから」
着替え……着替えどこだっけ? 二階か、それとも段ボールに仕舞ったんだったか。もう、ほんと来るときはひとこと言ってほしい。
愚痴の合間に記憶をたどる私の黙考を遮り、ふいに紫色の腕が視界に入り込む。
「ん?」
「その引き出しの三段目。開けてみろ」
ニヤニヤ笑いのジョーカーが指差す戸棚を開けると、はたして、彼のサイズにあわせて買った服一式が出てきた。
「ああ、あったあった……ってなんで知ってんの」
「んン? 俺はHoneyのことならなァんでも知ってるさ」
真っ赤に濡れた唇はバニラアイスの味がした。