たどたどしい生粋

「あーもー、どこにもいない……」

ついつい口をついて出る愚痴はこれで何度目になるんだっけ。
言ったってしょうがないのはわかってるけど迷子の飼い犬を探すなんてのは決して楽しいイベントじゃなくて、舞台が熱帯雨林ともなればなおさらだった。

「今度はどこで遊んでるんだか」

特に今は雨季で川の水位が増してるからあまり遠くへは行ってほしくないのに。
ぬかるんだ地面はただでさえ歩きづらく、生い茂る葉っぱが視界をふさぐし、そのうえヴァニアが半歩遅れてくるせいで余計に時間がかかってしまう。

「っていうか手繋ぐ必要ある?」
「ん……ごめんね」
「や、べつに謝んなくてもいんだけど……」

なまぬるい追い風にのって慣れ親しんだ香りが嗅覚を刺激する。ヴァニアは煙草農園の娘だが、彼女自身の匂いはもっと甘い。
その匂いを感じながら考えてたのは、私たち二人とも20年以上前から全然変わってないなってこと。
子供の頃からひねくれ者で活発だった私に対してヴァニアは大人しくて真面目で、そして素直な性格をしてた。一目見て“私とは違うタイプの子だ”って子供心にも感じたくらいで、なのにすんなり仲良くなれたのは、周りに同年代がいなかったからってのが大きいのかもしれない。

気づいたら毎日遊ぶようになってて、それからは内緒話も勉強も喧嘩も大抵のことは一緒にやってきた。
一日中跳ね回って遊んだり、牛の世話をしたり、仕事を手伝ったり、今みたいに私が手を引っぱって先陣切って、大人達が禁止する場所まで冒険したりもした。
なにもかも正反対の私たちだけど懲りない性格だけはおんなじだから、迷子になってこっぴどく叱られた翌日「昨日のところもう一回行こう」って誘いにきたのは確かヴァニアの方だっけ。

鬱陶しい葉っぱやツタを払いのけて進み続け、やっとたどり着いた川は思った通り前日の雨のせいで水位も勢いも増している。
そこでヴァニアが急に足を止め、片腕で繋がった私の身体にも急ブレーキがかけられた。

「リタ、あれ。見て」

促されて目をこらす対岸に、白くぼやけた何かが見える。全身に草の実や小枝をくっつけて、見事にカムフラージュされたうちのバカ犬が嬉しげに尻尾を振っていた。

「スナイパーごっこでもしてたのかあの子は……あっ! ダメダメ来ないで! 待て、ステイステイステイ!」

やる気満々に前足を持ち上げて川に飛び込もうと身構える犬の姿が私の冷静さを打ち崩した。
あの子が危機感なんてこれっぽっちも持ち合わせてないのは知ってたけど、いくら泳ぎが上手いからって今は水深も流れも普段以上で、もし転んだりなんかしたらそのまま流されて多分どうにもならなくなる。
いやいやいや、それはさすがにやめてほしい!

思わず川に向かって駆け出して——次の瞬間、私の名前を叫ぶ声と盛大な水しぶきの音が同時に聞こえた。
自分の悲鳴は聞こえなかった……と言うか、びっくりしすぎたのと水が冷たいのと痛いのと、それから恥ずかしいのとで声が出せなくなってた。
浅い場所で良かった助かったと心臓をばくばくさせつつ考えるのが精いっぱい。
そんな私を現実に引き戻してくれたのは、こちらに駆け寄ってくるヴァニアの姿と、向こう岸の犬が水に飛び込むどぼんという音の両方だった。

「あーヴァニア! 来ちゃダメ!……あーあ」

制止も一歩間に合わず、くぼみに足をとられたらしいヴァニアが膝から川面に崩れおちる。きゃっ、なんて悲鳴が妙に女の子らしくて可愛いとかのんきな感想がよぎったりもして。

「ほーらー。だからダメって、今」

そう言う私の方こそ、水浸しの泥まみれでひどいありさまだったけど。
はしゃぐ犬を抱きかかえてヴァニアの手を借りて岸辺に上がり、真っ先に靴を脱ぎ捨てた。腰から下はどうしようもなくずぶ濡れで、そこから容赦ない冷えが這い登ってくる。

「さすがにまだ冷たいね、水。怪我しなかった?」
「大丈夫みたい……ちょっと擦りむいただけ」

水を吸って脚にまといつくワンピースの裾を泥に汚れた指が不愉快そうにつまみ上げる。赤くなった膝が痛々しい。

「リタは平気?」
「思いっきり尻餅ついたからアザにはなるかもしんないけど」

ヴァニアはしばらく黙ってスカートの裾を絞っていたが、埒が明かないと思ったのかワンピースのボタンを外すと豪快に脱ぎ去った。
下着をつけていない胸が晒され、私の目はその白さに釘付けになる。弱々しい陽の光に包まれて、華奢な肢体は幻想みたいに思えた。
すぐに視線に気づいて顔をそむけたけど、そのタイミングは少し不自然だったかもしれない。

「きみはほんとに躊躇しないね」
「リタだからだと思う」
「意味が分からない……」

ニコリともしないでそんなこと言われても。どう受け取ったらいいのか迷っていると、突然話題が飛んだ。

「怒ってない?」
「なんで? 私が勝手に滑ったのに」

服を着直したヴァニアが無言で首を振り、濡れた髪が左右に揺れる。まだ重たげなワンピースの裾を伸ばす仕草は妙にゆっくりだった。

「そうじゃない。歩くの遅くて」
「あーそのこと。それは別に……」
「そうすれば長く一緒にいられると思ったの」

私が何も言えずにいると、真剣だったヴァニアの顔にあいまいな揺らぎが浮かんで、それはまるで昔を懐かしむみたいな表情にも見えた。
びっくりすると口が利けなくなるところは20年経っても変わらないのねって、そんな風に思ってるのかもしれない。

「暗くなる前に帰りましょう」

差し伸ばされた指の先をしずくが伝う。ぽたりと落ちたそれは、目に見えない場所に大きな波紋を投げ掛けた。

「ヴァニア」
「うん」
「あの、靴が気持ち悪くて……だから歩くの遅くなる、かも」
「うん」

私の手を力強く握り返して、ヴァニアの素直な瞳はどこか嬉しそうだった。

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    ヴァニアザ・タイガー
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