相変わらず可愛いな、と思った。
もちろん、疲れた顔で昨晩の出来事をぽつぽつと説明するナンシー・ホルブルックのことだ。
生徒であふれるカフェテリアの端の席、いつもの場所で彼女の話に耳を傾ける。聞きたくもない話にじっと付き合っているのは、少しでも長く彼女と一緒にいたいから。
いやいや、勘違いしないでほしいのだが、ナンシーの話を聞くのが嫌だと言っている訳じゃない。“あいつ”の話題が嫌なだけ。
「とりあえず『変態』ってなじるのだけはやめた方がいいかもしんないね。どうせ喜ぶだけだから」
可愛いナンシーに変態と罵られるなんて、あいつにとってはご褒美以外のなにものでもないはずだ、と奴の顔を思い浮かべてうんざりする。
「もうひたすら無視してたら?」
無理だろうけど。
案の定ナンシーはなかば呆れ、なかば諦めるように首を振った。
「それができれば苦労しない」
「そうだよね」
困り果てた友人の顔を前にすると「なんにせよもうちょっと適当にあしらってればいいのに」とは言えず、私たちの間に短い沈黙が落ちる。
そしてそれを打ち破ったのは、三人目の能天気な声だった。
「やあ、ナンシー」
「クエンティン」
クエンティン・スミス。ナンシーとは六年生からの付き合いらしいが、彼女に惚れているのは誰が見ても明らかだ。ほんと、いつもいいところで邪魔するんだから……。
ただ友達として挨拶を交わしているだけ、わかっているのに仲の良さそうな二人を見ていると胸にどす黒いものが広がっていく。私、こんなに嫉妬深いタイプじゃなかったはずなんだけど。
「……眼中にないってこういうのを言うんですかね、クエンティンさん?」
目の前のサラダをつつきながら皮肉ってやると、やつは本当にいま私の存在に気付いたんじゃないかと疑いたくなるほど慌てて取り繕った。
「あ、いや、まさか! そうだカーラ、最近見かけなかったけど調子どう?」
「三日前会ったと思うけど、ここで」
「……あー……、ごめん」
まったく、腹立たしい。一発蹴りでも入れてやろうかと思ったが、ナンシーが珍しく笑っているのに免じて許してやろう。
「それで」気を取り直したクエンティンが口を開く。「なんの話? もしかしてまたフレディ?」
「……うん、そう」
言葉少なに答えるナンシーの聡明で美しい瞳はしっかりと奴を、奴だけを映していて、すっかり茅の外に押しやられた私は今なら素手でこの金属フォークをへし折れそうだと思った。
眠る前と何一つ変わらぬ自分の部屋で、私は目を覚ました。
同時に、独特のちりちりと痺れるような空気からこれが普通の夢でないこと、ましてや現実などであるはずもないことに気がつく。
この有り難くもない仮説を裏付けているのはどこからか聞こえてくる不快な音だ。神経質に金属の鉤爪をすり合わせる音。
「もう全然怖くないし、そういう演出抜きで出てきてくれていいよ」
「随分寂しいことを言うんだな? カーラ」
ちっとも寂しくなんかなさそうな調子で、フレディ・クルーガーは部屋の壁をすり抜けて現れた。すっかりおなじみとなった声でクツクツと喉を鳴らす。
「えーっとね、今日も別にふつーだったよ。あんたのせいで参ってるみたいだけど」
そう、こうして定期的に私が悪夢の中に呼び出されるのは、フレディが愛しの彼女の昼間の様子を聞きたいからだ。まったくいい迷惑だと思うが、まあ、でもそれでナンシーが今夜はゆっくり眠れるのなら我慢しよう。
いわゆる『好きな子ほどいじめたい』タイプらしいフレディは、ナンシーが追い詰められていると聞いた途端に上機嫌になった。彼女の怯える顔を見るのが楽しいのだそうだが私には理解できない。
「なら次はこれを着せてたっぷり可愛がってやろう」
そう言って夢魔が取り出したものを見て、思わず顔をしかめる。
たくさんのレースやフリルが重たげな水色のエプロンドレスなんて、一体どういう趣味なの。
「あの子に変なもん着せようとしないで」
ナンシーにはもっとシンプルなデザインのほうが似合うんだから、と言うと「わかってないな」なんて風に呆れられて毎度の事ながらすごくムカつく。
「……それにしてもほんとによくやるよね」
斬られて刺されて殴られて首撥ねられて火つけられて、あとそれからなんだっけ? と指折り数え立ててやるも、フレディはまるで動じず、「だからどうした?」と鼻で笑った。
この夢魔は十年間ずっと彼女を、彼女だけを、愛し続けてきたらしい。
「……ナンシーは私のだもん」
「お前の? 笑わせるな。第一お前は女だろう」
「だから? それを言うならあんたなんて死人じゃん」
もっと脈なしじゃないと吐き捨てるも、彼に堪える様子はなく、それどころかますます愉快そうに唇を吊り上げる。
「ああ、そうだ。だから俺の可愛いナンシーが死ねば永遠に一緒に——」
「死人は夢を見ない。あんたは例外中の例外。ほんと、ばかじゃないの」
さすがに最後の一言は相当不快だったらしく、フレディはとうとう応戦をやめて焼け爛れた顔を苦々しく歪めた。いつかはずみで殺されそうだな、私。
「残念だけどあんたか私かだったらナンシーはぜーったいに私のほうが好きだからね!……まあ私たちどっちともクエンティンには負けるんだけどな」
「……」
「……」
「……あのクソガキ、一度シメるか」
「おう、やっていいぞ」
こうして今宵、私とロリコン夢魔との間に奇妙な共同戦線が張られたとか、いないとか。