傍迷惑な純情

帰宅早々視界に飛び込んできたありえない光景を前にした瞬間、ただでさえ疲れきっている頭ががんがん痛みだし、頬が引き攣るのを感じた。
それでも次に出てきた言葉は「ごきげんよう、エルダー」だったのだから、私って人類の中でも相当にお行儀のいい方に分類されると思う。
とにもかくにもこれで最低限の礼儀は尽くしたし、さあ本題に入ろうじゃないか。

「……全員! 今すぐ! 連れて帰ってください!」

“ありえない光景”もとい無数のプレデターに占拠された部屋を指差し叫ぶ。身長二メートルの人型爬虫類に埋め尽くされたリビングは正直暑苦しいにもほどがある。
その中の一人がうるさそうにこちらを振り向いたが、すぐに目先の興味の対象——水槽で悠々と泳ぐ魚に向き直った。

「その魚絶対に捕らないでくださいね……あっ、チョッパー勝手に冷蔵庫開けないの! それヨーグルトだから! そんなの食べないでしょ!」

このうえキッチンまで荒らされてはたまらないと慌てて声を上げる。すると、背後から「ニーナ」と名前を呼ばれた。
振り返った先には堂々たる風格のエルダー、その愛称の通り一番の年長者でありリーダーの彼は呆れたように首を振り、流暢な発音でこうのたまった。

「そんなに声を荒げると近所迷惑になる」
「ちょっ、なんですかそれ近隣の迷惑の前に私の迷惑も考えてくださいよ順番おかしいですよ」

うちはあなたたちの休憩所でも避難所でもパーキングエリアでもないと何度言えばわかるのか。

「そういえばスカーは? どこ?」

彼は理性的だし協調性もある。なんとかこの場を収めるくらいはしてくれるんじゃないかと期待して名前を呼んでみたものの、返ってきたのはケルティックの短い一言だけだった。

「レックス」

要するに、恋人のところへ遊びに行っているという事だ。あの……あのリア充め……!

「じゃあケルティックがなんとかして」
「発言権がない」

だから諦めろ、と。なるほど、そういえば彼等の世界は上下関係が徹底してるんだったか。

「じゃあ……」

未成年組より上位で、かつ私が仲良いのって言うと……

「ヘーイ、グッモーニンハンターー」

ベッドで大の字に転がっているハンターの引き締まった腹に飛び乗ると、ぐえっ、なんて間抜けなうめき声とともに赤褐色の身体が跳ねた。
相当ぐっすり眠り込んでいたのか(まったく、呑気な男だ)、何が起こったのかわからないとでも言う様子で忙しなく辺りを見回している。その視線が、ようやく私の上に止まった。

「……ニーナ」

不機嫌な声。勝手に上がり込んだあげく人の部屋で爆睡してたくせにその態度はないだろう。

「起きた? っていうかこれ私のベッドなんだけど。壊れそうだからどいてよー。ハンター重いんだから」

負けじと不機嫌な声を作ってマスクの額をぺちぺちと叩いてみる。
すると寝起きの異星人は面倒臭そうに上半身を起こしたものの、ベッドから下りる気配はない。
二人分の体重を支えるスプリングが不満も露わに軋んでいるのが何よりも不安だ。

「あのさ、ハンター。下の人達なんとかしてよ」
「《下の人達》?」

私の声をおうむ返しに再生したのは、発声が煩わしいからではないだろう。彼は人間の声とか言語というものにことのほか強い興味を抱いているらしく、日頃からなんでもかんでも録音しては使いたがるのだ。
一瞬ののち、やっとここへ来たいきさつを思い出したかうんうんと頷くハンターは、だけど私の頼みを聞き入れるつもりがあるのかどうかは非常にあやしい。

「だってあの人達完全にちょっとした修学旅行気分だよ。リビング占拠されてるよ。私にあの中で夕飯食べろってか」
「《夕飯》……」

そういえば腹が減った、とくすんだ銅色のマスクが呟く。

「その期待に満ちた視線はなんだ。作らないぞ。絶対に作らない」

と、その時どかどかと階段を駆け登ってくる足音がして、この元気の良さは多分あいつだろうな、と見当をつけていた通りの巨体が開けっ放しのドアからひょっこりと顔を出した。

「ニーナー! 俺腹減ッター」
「チョッパー、頼むから……」

もうちょっと静かにして、と続けようとした私の言葉は宙に消えた。
出入口に突っ立ったままの“末っ子”が、まるで幽霊でも見たかのようにがっちりと固まってしまっていたからだ。だが彼の視線を辿って後ろを振り返ってみても、空きの目立つ本棚しか見当たらない。

「……チョッパー? なに? 怖いんだけど」

私の声に、チョッパーがびくりと姿勢を正す。かと思うと彼は不明瞭な謝罪の言葉を二つ三つ口にして、またどかどかと下の階へ戻っていった。
戸惑いをにじませたクルル、という顫動音によって、私の意識は現実へと引き戻された。
ちょっと首を傾げたポーズで「なんだあいつ」とでも言いたげに喉を鳴らすハンターがおかしくて少し笑ったけど、確かになんだったんだろう。

「ちょっと下行って聞いてこようかな」

このままじゃなんか気味悪いし、そう呟いて立ち上がろうとした時、ようやく気がついた。
その、なんだ、よりによってベッドの上で、異星人とはいえ男の身体にまたがったままであることを。

「……わりと死にたい」
「突然ドウシタ!?」
「よりによってハンターとかないわ……」

まったく、この厄介で愛すべき異星人達は毎度のように面倒ごとばかり巻き起こす。さてそれで今回の誤解をとくのにどれくらいの努力が必要だろうかと考えて、私は獣臭い体にぐったりともたれ掛かったのだった。

2012-07-19T12:00:00+00:00

タイトルとURLをコピーしました