クロノスタシス

時間を確かめるため取り上げた携帯にぽつんと光る、未読メールのアイコンひとつ。
差出人の名前を見て慌てて開いてみると実に簡素かつ分かりやすい『会いたい』の文字が浮かび上がって、それはさっきから包囲網を狭めてたはずの睡魔をたちまち蹴散らすだけの力を持っていた。
メールが届いたのは15分ほど前。たぶんまだ間に合うはずと、こちらからもシンプルに「待ってる」と送っておく。
それから散らかったソファーの上を片付けて、夕食の食器をキッチンに持っていって散乱してたメイク道具を適当に仕舞い込んだ。
開きっぱなしの雑誌は……このままでいっか。
『二泊三日の小旅行におすすめ最新スポット』の見出しにアリスが興味を持ってくれたら、今度の休みの話が切り出しやすくなるし。
さ、じゃああとは待ってる間にお風呂にでも……と思った矢先だった、ふと窓の外にまぶしい光が射したのは。
裏の細い坂道を旧型のビートルが登ってくる。頼りない街灯に照らされた車体は燃えるような赤色。
そのままいつもの場所でエンジンを止めた車から降り立つであろう人影を確認するより早く、私は玄関の鍵を開けに走っていた。

「速っ。ワープホールでも見つけたんだったら私にも教えてよ?」
「さっきのメール……車から送ったの。急に顔が見たくなって、気づいたらもうここに向かってて」

はにかむアリスが身を寄せてきて、いつもより長いハグと、友達同士じゃやらないようなキスをくれる。
唇が触れる角度が浅い。強く押し付けられることも舌先が触れることもなくて、これだけの情報があれば今日のアリスの“寂しさ度合い”を理解するには十分だった。
だから私はアリスの手を引いてリビングのソファに座らせた。
背中をさすってあげたり、お茶を入れたり、寝室に誘ったり、玄関で服を脱がせ合うんじゃなくて。
きっとアリスはこうすることを望んでるから。

「でもそれなら電話してくれれば早かったのに。あやうく気づかないとこだったよ」
「だって声聞いちゃうと会えないって言われたときに寂しくなるから」
「私だってアリスに会いたいってせがまれたらダメなんて言えないって、絶対」

静かに擦り寄ってくる背中は夜風にあたったせいなのか少し冷えていて、抱き締める腕に思わず力がこもる。
こんな薄いワンピース一枚で、しかも上着すら持ってないなんて本当に衝動的に飛び出してきたに違いない。誰のせいかなんて考えるまでもないけど。

「もし何か邪魔しちゃったなら……」
「ぜーんぜん。することないからもう寝ようかなーとか思ってたくらい暇で暇で」
「よかった」

こちらを見上げるアリスの目は潤んでいた。追いつめられて思い詰めて、なんて疲れて、怯えて、悔やんだ顔。
悲しむ目元を指先でなぞれば、まぶたが閉じられて黒い睫毛が際立つ。そこにキスしようと顔を近づけたとき、唇の端が数ミリほど切れて赤くなっているのに気づいた。
さっきのキスが控えめだったのは痛みのせいもあるのかもしれない。

「アリスにお願いがあるって言ったら聞いてくれる?」
「私にできること?」
「今日はね、誰かをすーっごく甘やかしたい気分で……付き合ってくれたら嬉しいなぁ」

返事の代わりにもたらされたのは私に抱きつく両腕の強さだった。
息を詰める気配とじわりと暖かくなる肩口が嬉しいなんて思ったら不謹慎だろうか。こんな風に信頼を態度で表されて、この人は確かに私のものだって再確認してしまうのは。

「外寒かった? 肩が冷たくなってる」
「ん……でも今は平気よ、エリノアがあったかいから」
「さっきビール飲んだからかな」

アリスと視線が絡み合う。親密さを確かめるような何かを期待してるような目が揺らぎもせずに私の瞳の奥をうかがっている。
忍び込む手のひらが私のシャツをめくりあげ、舞台の幕が上がるようにゆっくりと、素肌が電灯と視線のもとにさらされていく。 
やっぱりちょっと寒いかもとこぼす私にアリスがいたずらっぽい笑みを向け、だけどそれも次の瞬間には意外そうな表情にとって変わった。

「珍しい」とアリスが言う。「エリノアがこんな色つけてるの」
「だよね。青色なんか生まれて初めてって気がする」

普段ならまず選ばないのに、どうしても柄が気に入って買ってしまったロイヤルブルーに水彩の花が描かれたブラ。それを物珍しがる深爪の指にレースと肌の境目をじれったくなぞられて、たちまち心が溺れかけた。

「どう……かな?」
「すごく素敵」

すてき、と口にするアリスの声と言ったら!
間違いなく私のためだけのその声がどれだけ私をダメにするか。どれだけ私に自信を与えてくれるか。どれだけ、どれだけ満たしてくれるか!
突き上げる愛しさにこぼれる笑みをおさえきれず、それにアリスが訳もわからずつられ笑いするものだからもう何もかもが止まらなくて、もっとずっと溺れて溶けていっちゃう気さえした。
暖かさを取り戻したアリスの肩を抱き寄せて、鼓動が混じりそうなくらい胸と胸をくっつける。

「お風呂。一緒に入ろうか」

アリスはきっともう寒さなんか忘れていただろうけど、きらきら輝く目を細めると、傷ついた唇を私の唇に重ねて応えた。

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    アリス殺し屋チャーリーと6人の悪党
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