永遠についてなど語るまでもなく

私が愛してやまぬ町、その名も『イーグルズ・ネスト』最大の売りは、なんと言っても白い砂浜と青い海である。
バスも電車も少ない田舎町の不便さと、吊り上げるだけ吊り上げられた家賃や土地代も何のその、この美しさに魅せられて住み着く人は多いし観光客はもっと多い。
ちなみに名前に反して鷹はそれほど見かけない。今だって、視界の中を飛ぶのはウミネコばかりだった。

「アリス!」

ふかふかと柔らかい砂浜をスニーカーの底で一歩一歩踏みしめながら、桟橋の端にたたずむ小柄な背中に向かって私は声を張った。だが相手には届かなかったらしく、ターコイズブルーのワンピースの後ろ姿は白波を見つめたまま動かない。
潮を含んでべたつく風がアリスの髪を大きく踊らせている。水面と空にはわずかの境目も見当たらず、アリスがそこに立っているのか、それとも今にも水に飲み込まれようとしているのかさえわからなくなりそうだった。

「アリス!」

もう一度呼ぶと痩せた体が振り返り、その顔に笑みが浮かぶのが遠目にもわかった。さっと右手をあげて、こっちへ来てと合図している。

「今行く!」

沖へむかってまっすぐ延びた桟橋は私の走るリズムに合わせてタンタンと心地よい音を奏でた。この音色が好きだと言うアリスは、今も小首をかしげて耳を澄ましている。

「来てくれて嬉しい」

運動不足がたたって呼吸を乱す私の腕を引き寄せながらアリスが言う。その言葉通り嬉しそうな表情が、私は大好きだった。

「結構探しちゃった。てっきり岩場の方にいるのかと思ってたから」
「ごめんね。色変えたの? 素敵ね、似合ってる」

昨日染めた……と言うか、実験台兼宣伝塔として強制的に染められたばかりの髪を撫でられて、途端にうっとりする甘さが腹の奥から沸き上がる。
思わず目を閉じたらその甘さがアリスにも伝わったのか、あはっと笑う気配がした。

「いいでしょ? うちのサロンの春の新色なの。でも……まだ春は来そうにないけど」

例年からするとかなり低い気温続きの毎日に、最近の私はずっと文句をこぼしてる気がする。

「ここまで歩いてきたの? 家からずっと?」
「そう。寒かった」
「散歩日和とは呼べないものね。でも来週からは暖かくなるって」
「じゃ、これから忙しくなるね」

そう返したのは、アリスは夫と一緒に観光客向けのホテルを経営しているからだ。
だけどアリスはちっとも嬉しそうじゃなく、むしろ痛ましい顔でうつむいた。ああ、これは完全に私が悪い! DV男を連想させる話題なんかを持ち出してしまった自分自身を恨んだ。

「あ、あのさ、今シーズンはどのくらいいるだろうね? 帰りたくない、ここに住みたいってゴネる人」

すると、ぼやけた沖合いから私の顔に目を移して、アリスがやっと笑顔を見せる。

「毎年の平均でいくと……5人くらい?」
「そういう人には教えてあげないとね。“バカ高いシャッター付きの車庫じゃないと自転車も車もあっという間に錆びるし保険きかないよ。あと油断してると部屋がカビだらけになるよ”って」
「自分のときも先に教えてほしかった?」
「越してって初めて知ったんだもん。こんなにいろいろ手がかかるって。洗濯物だって乾きにくくて。でも別にいいの、おかげでアリスと会えたから」

返事はからっぽの左手に直接寄越された。少し冷たい指が私の手に絡み付いて、ぎゅっと握りしめてくれる。
嬉しくて顔を上げたけど、視線はあわせてもらえなかった。アリスがこんな風に照れるなんて珍しい。
だから、きっとそのせいだ。いつもより胸が締め付けられるのは。
アリスの体温や脈、柔らかい皮膚の感触——それらの一つひとつがあまりに深い場所までなだれ込んできて、耳の後ろをぞくぞくさせる。
そのとき、3月だと言うのにしつこく居残っている寒気が背筋をかけ上がり、こらえきれずくしゃみをするとアリスが私の肩を引き寄せてくれた。
そのままよしよしと頭を撫でられる。あ、これ、だめ。嬉しすぎてぼーっとなるから。このまま眠ってしまいそうに視界がぐらぐら揺れて……脳がとろけてしまいそう。

「アリス」
「ん?」
「もっと撫でて」
「じゃあ……うちに来る?」

いま誰もいないの。アリスの囁き声が鼓膜をするりとすり抜けた。波の音なんて、もう聞こえない。

イーグルズ・ネスト最大の売りは美しい風景だ。
だけど私にとって一番大切なのは、アリスが住んでいること、ただそれだけだったりする。

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    アリス殺し屋チャーリーと6人の悪党
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