あなたを恋う、そして乞う。

すっかり日の落ちた道を歩きながら、私はオレンジ色の明かりを放つダイナーを目指していた。色褪せて文字が読みづらくなった看板が近づくにつれ、知らず知らず歩調が早まる。
待ち合わせではない。かといって今日が特別寒い訳でも、お腹が空いている訳でもない。
今夜はあの子がお店に居るのだ。
ガラス扉を押し開けると、店内のぬるい空気と甘い匂いと、そして喧騒がどっと押し寄せてくる。
探すまでもなく、彼女は私のすぐそばにあるテーブルに残された皿を片付けているところだった。

「こんばんは、ナンシー」
「いらっしゃい」

メリナ、と名前を付け足され、途端に心臓が大きく脈打って体が熱くなるのを感じる。

「好きに座って。何にする? コーヒー?」
「あ、うん。お願い。大変そうだねえ」
「ああ……あれ?」

ナンシーが、さきほどから笑い声も高々とはしゃいでいる元気な高校生グループの方へちらりと頭を向ける。

「そうでもないわ。慣れてるから」

確かにうるさいけどね、と肩をすくめて語尾を結ぶ。

「なんか体力有り余ってそうだよね、あの人たち。羨ましいくらい」
「ほんとね。じゃあ、すぐに持ってくるから待ってて」

しゃんと伸びた背中を見送りながら、この子は本当に綺麗で、そして揺るがないなと考えた。
ナンシーは影のような女の子だった。
その思いは彼女を知れば知るほど高まった。
好きな男の子の話もしなければ、昨日観たテレビ番組の話も、ビールもマリファナの話もしないナンシーは、学校生活の大半をひとりで過ごしているようだった。
でも別にいじめられてるとかそんなんじゃなくて。それが彼女にとっての当たり前の日常で、周りもごく自然にそう捉えている、それだけのこと。
彼女は影。太陽のように崇め奉られることもない代わりに疎まれることもない、そんな存在。
だが帰路を辿る途中、夕映えに長く伸びた影にはっと心を奪われることがあるように、彼女の美しさに気づく者もいくらかいた。
かといってセックス目的の男の接近を許すほど彼女は鈍感ではなかった。そういった男はナンシーの警戒心剥き出しの態度に怯んですごすごと背中を向けるか、「つまんない女」と肩をすくめることになった。
私はナンシーの怒るところを見たことがない。泣くところも、声を立てて笑うところも見たことがない。
それはきっと、彼女の脆さの表れなのだろう。
だが店内に満ちるけたたましい声すらナンシーの静けさを汚すことはできず、まるでこの空間から切り取られたかのように、彼女だけが特別な場所に存在している。
要するに、ナンシーは芯から美しいのだ。

「おまたせ」

顔を上げると、薄暗い照明を背にナンシーが微笑んでいた。長く、すらりとした指がコーヒーカップを置く。

「ありがとう」

今日こそは、このコーヒーを飲み終える前になにかを変えることができるだろうか。
その時は……どうか、どうか、私をその脆さの内側に招いて欲しい。

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