青い鳥がなだれこむ

マスクが無ければ日常生活もままならない弱視のくせに“見る”という行為が好きなのは何故なのだろうと、私は時たま自問自答する。
それとも、弱視だからこそ見る事に執着するのかもしれない。
私は今日も見ている。色とりどりの鳥達と、それに餌をやる人間の姿を。

人間——イヴは庭先の古ぼけたベンチに腰を下ろしており、頭上の木の枝に陣取る私の存在にはまだ気づいていない。
そのことについて私はささやかな優越感を憶え……だがそれも長くは続かなかった。
ふいにイヴが顔を上げたのだ。しかも驚いたことにめし>いた目はしっかりと私のいる方向をとらえている。音も声も立てたつもりはなかったのだが。
イヴはすべてわかったような笑みを浮かべると、また足元の鳥に向き直った。その口元にはいまだ含み笑いが残る。
何もかもを掌握されているような決まりの悪さを覚えつつ、私はとうとう観念して地面に降り立つとイヴの側に立った。
小鳥のうちの何羽かは慌てて飛び去ったが、残った数羽はこちらを警戒しつつも地面の餌をついばむのをやめず、その姿は私の気持ちを和ませた。
手のひらの上の餌の粒を払い落としながらイヴが言う。

「今日、きっと来ると思ってた」
「待っていたと?」
「ううん、ちょっと違くて。来るのを知ってたの」
「ああ、鳥に……聞いたのか」

イヴは噴き出した。こんなに笑うのを始めて聞いたので、面食らった私は彼女を凝視してしまった。

「違うよ! 違う違う。もー、変なひとね。まあ、そんな能力があればいいのにと思うこともあるけど……」

それはただの強い予感で、誰に聞いた訳でもないと彼女は説明した。
そういえば私がここに通い始めてしばらく経つがこの家でイヴ以外の人間を見た覚えがない。

「今日も一匹か」
「人間はね、一般的には“ひとりふたり”って数えるの。……家族いないからね。お察しの通り友達もいない、と。それにこんな山奥でしょ、通りがかる人すら滅多にないよ。厭世家ってわけじゃないけど」

一呼吸置く。弱さをさらけ出すのをためらうような、短くも張りつめた沈黙だった。やがてイヴは囁いた。

「一人は楽だけど、世界にひとりぼっちは嫌」

驚いた。私も以前まったく同じ事を考えた経験があったから。

その時、私のガントレットが呼び出しが入ったことを知らせる単調なピープ音を発した。

「なんの音?」

イヴの声にさっと緊張が走る。目が見えないものにとって、聞きなれない音は生死を分ける場合がある。
黙ってイヴから顔を背け、受話ボタンを押した。マスクの内臓スピーカーからトラッカーの声が溢れ出す。

『今どこ? 遅いってリーダーすんげぇキレてんだけど?』

それは私を案じてのことではなく、単に自分の“家来”が勝手に動き回るのが気に入らないだけに違いない。

「獲物の偵察に来ている」

イヴに私たちの言語が理解できるはずがないと知りつつも、私は知らず知らずのうちに声を落としていた。
反対にトラッカーの声はやたらと大きい。ブラックだけでなく、奴も苛ついているらしかった。

『なー、じゃあさ、メス一匹連れてこいよ! リーダーにさ、渡すのに。でないとマジ機嫌悪ぃしやべーって』

ブラックは人間の雌を犯して殺すのが好きだ。
口には出せない不安をぶちまけるように、彼女らを貫き、引き裂き、壊して捨てる。訳もわからず死んでいく人間の絶叫を聞いた回数は知れない。
思い出しながら、私は自分が初めてその行為を不愉快に感じているのに気づいた。
今日まではどうでもいいと思っていたはずなのに……

視界の端で退屈そうに揺れている二本の脚が見える。イヴの悲鳴が頭の中で響く。残酷なまでに生々しい映像と共に。

『なあファルコナー! おまえさー、聞いてんの?』

それを打ち消してくれたのはいらいらしたトラッカーの声だった。
だが感謝する気にはなれず、ただ吐き気が込み上げる。奴の声も、奴の後ろでうるさく吠えたてている犬どもの声も、どちらもカンに障る。

「すぐ戻る」

それだけ言うと、私はやや乱暴に通信を打ち切った。
沈黙が重苦しい。明敏な彼女のことだから、なにかを感じ取っていてもおかしくはないのだが、イヴは何も訊かなかった。

「急用が出来た」
「そう。じゃあ、またいつでも帰ってきてね」

“帰って”——イヴは確かにそう言った。聞き間違いではなく。おそらく言い間違いでもなく。
私はそれに言葉少なに答えながら、いつのまにか腹の奥にわだかまっていた不快感が消えてなくなっているのに気がついた。
代わりに感じられたのは、二人の間に流露している奇妙な連帯感……とでも呼ぼうか。馴染みのない感情は私を戸惑わせたが、決して嫌な気分ではない。

「いってらっしゃい」

明るいイヴの声を背に、私は鳥のごとく木の枝に飛び上がった。
今度来るときは『ただいま』と言ってみようか、などと半ば本気で考えながら。

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