One and One Makes Two

ヴェロキラプトル研究計画の調教主任を務めるバリー・センベーヌは、ここからの眺めが好きだった。
ここ——八角形のアリーナに十時型に張り渡されたキャットウォークからは、この施設のほとんどをすべてを見通せる。
夜中の大雨があちらこちらに残していった水溜まりが太陽を呑み込んで眩しく輝いている今日のような日は、なおさら景色がよく感じられた。
まだ雨露がついたままの手すりから半分だけ体を乗り出して、足元のアリーナを見下ろす。
6500万年前の森を模して造られた広い運動場にはラプトルの代わりに何名かの工事業者とスタッフの姿があり、ぬかるんだ地面に苦戦しながらも整備を進めている。
先月の悪天候のせいで工事に幾分かの遅れが生じたものの、無事完成まで漕ぎ着けられそうなことに安堵しつつ、バリーはキャットウォークを離れるとアリーナの外壁に沿って設えられた細い通路に出た。
そこで彼の視線は、階段のすぐ下に立っているニーナ・ウォーカーの上にとどまった。
若き調教アドバイザーは頭上から観察されていることには気づいていないようで、手元のタブレットPCと真剣な顔をして睨み合っている。
いつも通り背筋を伸ばし、足を肩幅に開いて立つ凛とした姿は勇ましい軍人のようだった。
身長160cmもないほど小柄なのに妙に目を引かれるのは、彼女が常に胸を張って堂々と振舞っているためだろうか。
ニーナはその場を立ち去ろうとしたが、古参スタッフのスペンサー・ラングに声をかけられて足を止めた。
気安い挨拶のしぐさが交わされ、男が親しげに距離を詰める。すると、しばらく彼の話に頷きながら応じていたニーナの態度に急な変化が生じたのが、バリーのいる位置からでもはっきりとわかった。
彼は人類学のプロフェッショナルではなかったが、身を守るように腕を組んで肩をそびやかす姿が何を意味するのかなど考えるまでもない。
バリーが階段を降りていくと、足音で2人が同時に気づいて顔を上げた。

「スペンサー?」
「はい、主任」

バリーはニーナにほんの短いアイコンタクトを投げたあと、男の方に向き直った。

「もし手が空いてたら厩舎の様子を見に行ってもらっていいか? 作業が押してるらしい」
「わかりました」

男が行ってしまうと、ニーナはやっと腕をほどいた。

「ありがとう」
「もうちょっと様子を見たほうがいいか迷ったんだけどな」
「ディナーに誘われて。一回やんわり断ったんだけど、なぜか食い下がってこられたんでどうしようと思ってた」

ラングは悪い人間ではないが、自信過剰気味で押しの強いところがある。ニーナもその意見に同意を示して、さっき彼が去っていった方向に困ったような笑顔を向けた。

「実は最近彼氏と別れたばかりで」

今度はバリーが曖昧な笑みを浮かべる番だった。
ニーナは知らないだろうが、彼にはその話に覚えがあった。
つい何週間か前に、電話で誰かと揉めているのを立ち聞きしてしまったのだ。彼はこのちょっとした秘密が良心にトゲを刺すのを感じたものの、あえて正直に打ち明ける場面でもないだろうと自分を説得した。

「別れるときに結構ゴタゴタしちゃって。向こうは……こうなったのは私のせいだって、私がこの仕事を受けてこっちにきたからだって思い込んでるみたい」

そこでニーナは肩をすくめてみせた。そこまで深刻な話じゃない、自分は全く傷ついてなんかいないと示そうとするかのように。

「なんでだろうね。向こうにいた頃からもう……うまくいってなかったのに」

もう少し長い付き合いであれば、バリーはニーナの肩に手を置いて力づけてやったところだろう。
しかし出会って一年にも満たない相手、それも破局したばかりの相手へのスキンシップとしてはふさわしくないだろうと考え直したために、チョコレート色の手は急激に行き場をなくした。
結局その手は自分の首の後ろをなでるために費やされた。

「一つ言わせてもらうぞ? そいつは馬鹿野郎だな」
「馬鹿野郎だよね」
「なぁ、でも気づいてるか? スペンサーのやつに奢らせるチャンスを逃したってことに」
「あの人とは食べ物の好みが合わない。それに2人でディナーってなると、そのあと期待されてることって大体決まり切ってない?」
「俺の立場からはなんとも」

バリーが逃げ腰になるとニーナは意地悪にニヤニヤ笑ったが、幸いなことに、会話はそこでおしまいになった。
両脇にラプトルを一頭ずつ抱えたオーウェンがこちらにやってきて、2人に声をかけてきたためだった。
右脇にぶら下げられたブルーはだらんと力を抜いて身を任せ、反対側のデルタは尻尾をくねらせて怒っている。

「おはようさんオーウェン。随分いいダンベルだな」
「あれ、ブルー怪我してない? 首のとこ……」
「喧嘩で。二日連続」

オーウェンがうなずく。
一応獣医に診せに行くからそれまで預かっててくれと言って、不機嫌なデルタをバリーの方に押しやると、4姉妹の“母”はブルーにくどくどと説教をしながら立ち去った。
バリーが緑色の恐竜をしっかりと抱き直す。10kgの重みが両腕にのしかかり、飼育員としての満足感が胸に広がった。
バリーのたくましい腕の中でデルタはおとなしく身を委ねているが、その鼻先はどういうわけかニーナの方にばかり向けられている。
ふんふんとしきりに鳴らす鼻息がうるさいくらいに聴こえてきて、2人は揃って首を傾げた。

「何か気にしてるな」
「ね。変な匂いでもするのかな……やだな」
「いつもと様子が違うからじゃないか? デルタはそういうのに一番敏感だろ」
「それ、私が弱ってたら襲おうとしてるってこと?」
「それはデルタに聞いてくれ」
「デルタちゃーん? そうなのー? 悪いこと考えてる?」

ニーナはデルタの鼻先に腕を近づけて匂いを嗅がせたあと、その手をゆっくり移動させると、緑色の首筋をなでた。
それから小さな恐竜に向かって「大丈夫よ」というような笑みを見せたが、それは自分自身を励ます意味もあるのではないかとバリーは思った。

「そういえば最近のデルタのお気に入りの遊びって知ってる?」
「人の靴や服を隠すこと以外にか?」
「そう、それそれ」

ニーナはくすくすと声を立てた。
先日、スタッフルームのソファーや仮眠室のベッドの下に何枚ものシャツやら靴下やらが押し込まれているのを発見したことを身振り手振りを交えながら話して聞かせる。
ときおりデルタが相槌でも打つかのように鼻を鳴らしたが、それはもしかすると抗議か言い訳の類なのかもしれない。
バリーはこの話をすでに別のスタッフから聞いていたものの、服のほかに(誰も失くしたことに気づいてさえなかった)ホチキスやボールペン、ペットボトルの蓋まで出てきたことは初耳だった。
ずいぶん楽しい光景だっただろうと思うと、その場に居合わせられなかったことが改めて悔やまれる。

「みんなちょっと迷ったんだけど。撤去するのもかわいそうじゃないかって」
「せっかくいい巣を作ったのにな」
「そうなの。デルタは本当に鳥みたいなことするよね」

宝物を没収された日のことを思い出したのか、デルタが不機嫌な声で鳴きはじめたので、バリーは注意深く彼女を抱き直した。
ちょうどのタイミングで厩舎の掃除が終わったという連絡が入ってきて、それに対して労いの言葉をかけてから無線を腰ベルトに戻す。

「この子を帰して俺らも仕事に戻らないとな」
「うん……あっ、待って。ちょっとそのまま立ってて!」

急にパッと輝きを増したニーナのその表情に、バリーは嫌というほど見覚えがあった。面白いいたずらを思いついたときのラプトルそっくりの顔だ。
小さな足に不釣り合いなワークブーツを鳴らしてニーナは階段を駆け上がると、三十センチの高さを稼いだ。
ちょうどバリーと同じ背の高さになった彼女の目が束の間遠くを眺める。

「バリーって身長何センチ?」
「190くらいじゃないか」
「じゃあこれが190cmの景色……なるほどね」

ニーナがまたひとつ階段を登った。
退屈そうに唸っているデルタを見下ろしながら、この子たちだってあっという間に私より大きくなるんだよね、と語る声には寂しさとも憧憬ともつかない響きが含まれている。

「もし選べるなら、あなたやオーウェンみたいになりたかった」
「まぁでも、ニーナの強さは体の大きさや性別には関係ないって俺は思うけどな」
「そう見える?」
「自分でもそう思うだろ?」
「うん、強くありたいとは思ってる。見かけで判断してくる人たちを黙らせたいし、後悔させてやりたいから」
「お、それでこそニーナだな」

バリーが拳を突き出すと、ニーナも笑ってそれに応じた。その手は華奢だが、とても力強かった。

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