Like Heaven

ジュラシックワールド就職2日目にして足を踏み入れた特別屋内トレーニングルームは、その名の響きには似つかわしくなく、ありふれた民家の一室といった出で立ちだった。
それだけじゃない。部屋に入って早々視界に飛び込んできた光景も、私の予想からはあまりに大きく外れていた。

「これって普通ですか? 異常事態ですか?」

私をここへ案内してくれた主任のバリーは、唇を苦笑の形に歪めることでこの質問に答えた。

「早めに慣れといたほうがいいぞ」

なるほど、なるほど。ここでは調教師と恐竜が一緒のタオルケットにくるまって昼寝してるくらいでいちいち驚いてたら身がもたないらしい。

「しかし邪魔なとこで寝てんな」

バリーがぶつぶつと文句を口にしながら、床に転がっている男の体をまたぐ。
まだ猫ほどの大きさしかないラプトルの一頭が目を覚まし、グルルルと唸って歯をむき出したが、しばらくバリーとアイコンタクトを交わしただけでまたすぐに顔を伏せた。
前足を突き出してぐーっと伸びをする姿は本当に猫のようだ。
保育器を卒業して間もないこの子たちはまだミルクが必要な月齢だそうで、なるほど歯にも爪にもあどけなさが残っている。
ふたたび眠りに落ちた小さな小さなレディを、私は見つめ続けた。しぐさの一つ一つが愛しくて切なくて胸が締め付けられるようだ。

「襲ってはこないんですか?」
「本気でそう思うか?」
「バカなこと聞きましたね。すみません、でもなんていうか……」

何もかもが覚悟してたのとは正反対だったから。

「オーウェンは特別なんだよ。いわばこの子らの親だからな」
「じゃあ生まれてからずっと一緒なんですね」
「いや、それを言うならその前からだな。この子らが卵だった頃から一番身近にいた。まさに母親だろ?」

それでも、とバリーは真剣な顔つきで言葉を続ける。

「今の関係がいつまで続くかが問題だな。ラプトルは恐竜であって犬じゃない。ま、説得力もないだろうが」
「いえ、わかります。私もずっと猛獣や猛禽を世話してきましたから」

私もバリーの後を追いたかったが、グレイディさんとラプトルたちをまたいでいく勇気はなかったので遠回りして向こう側に渡った。
ぐっすり眠ったままのグレイディさんの腕の中から這い出してきた、さっきとは違うラプトルが私に気づいて品定めの視線をそそぐ。まばたきもせずに、じっと。

「かわいい……あれ、この子だけ瞳孔が丸い?」
「お、やったな。教えられないで気づいた奴は初めてだ」

バリーがそばのテーブルからタブレット端末を取り上げて手慣れた風に操作する。何百枚もの写真のなかから緑色っぽいラプトルの顔が大写しされているものを探し出すと、目元を画面いっぱいに拡大した。

「彼女は末っ子のチャーリー。何のDNAがかけ合わさってると思う?」
「なんだろう、きれいなトラ模様だけど……トラだとこういう色合いにはならないですよね」
「グリーンイグアナ」
「ああ言われてみれば確かに」

チャーリーの観察はまだ続いていた。開いた瞳孔は警戒の証で、鼻腔をさかんに膨らませているのは私の匂いを覚えようとしているのだろう。
小さな彼女は一声も発しなかったけど、まるでテレパシーで通じ合っているかのように他の三匹も次々に起き出してタオルケットをゴソゴソさせた。
一番最後に夢から戻ったのはグレイディさんだった。

「よお……」
「やっと起きたのか。というかよくそんなところで寝られるなお前」
「おはようございます、グレイディさん」

まだ眠たそうに眉間にしわを寄せた男は、青いラプトルの後頭部から背中にかけてを繰り返し撫でさすっている。この子が長女のブルーだろう。
寝ぼけたこの人が何を思うのかなんて知るよしもないけど、私に対する目つきには心なしか疑問符が混じっている気がする。
昨日挨拶したばかりの相手をさっそく忘れるなんて、まさかありえないと思いたいけど。

ほの白い電灯に照らされたブルーの瞳がキラキラときらめいている。彼女がグレイディさんの頬に自分の頬をすり寄せる時、その琥珀色の輝きはもっと確かなものに変わった。
守られていることを理解しているような、安心しきった表情。なるほどバリーの言うとおり完全な親子関係が出来上がっている。
これまで多くの動物たちを——とりわけ肉食獣を世話してきた私にとって、いま目の当たりにしている光景は感動的な奇跡と呼べた。この先いつどこでバリーの懸念が現実になるかはさておき奇跡は奇跡だ。
出会ったばかりではあるが、私はこのオーウェン・グレイディというひとに尊敬さえ抱きはじめていた。
そう、彼が大して興味もなさそうに私から視線を逸らしてタオルケットを頭からかぶり、再びいびきをかきはじめるまでは。

「いや、寝るんかい」

おまけにラプトルたちまで揃って引っ込んでしまい、私はやり場を失った熱意と賛辞の言葉とを両肩にぶら下げたまま、錆び付いたブリキ人形みたいにゆっくりとバリーを振り返った。
今なら眉間に紙くらい挟めそうな気がする。きっと今の私、そんな顔をしてるはず。

「グレイディさんてちょっと失礼ですよね?」

バリーがまたしてもいたずらっぽい笑みを浮かべた。
“だから言ったよな、早めに慣れておけって”。きっとそう言いたいに違いない。

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