とりあえずはゆるぎなく

…あそこで踊ってる黄色いエプロン姿の巨体、あれ嫌というほど見覚えがあるんだけど人違いかな。まさかな。

物寂しい夜のこと、話し相手のいない部屋に閉じこもっているのが退屈になった私は、目的もなく細い砂利道をぶらついていた。
気温は高く、湿度も高く、おまけに風もほとんど吹かない今夜は心地良い気候とは呼べなかったけど、血とほこりとエンジンオイルの匂いが充満する家の中よりいくらかはマシだ。
とにかく、今の私には気晴らしが必要だったのだ。
しばらく道なりに行くと、こじんまりとしたガソリンスタンドにたどり着く。オレンジ色の室内灯が、タバコのヤニで曇った窓ガラス越しにほんのりとした輝きを道に投げかけている。
そしてそこで件の人物を見つけたというわけ。

「ババ? なにして——わっ、こっち向けんな!」

うっかり近づいた私が悪いんだけど、危うくチェーンソーダンスの餌食になるところだった。
ババはあたふたとチェーンソーのエンジンを切って、ごめんねと肩を落としたが、すぐに気を取り直してぴょんぴょん跳びはねながら私に抱き着いてきた。この子はいつでも忙しい。

「うんうん、わかったってば。それでなにしてるの?」

私はいくらか慌てて早口にたずねた。周囲はとっぷりと暮れて人の気配はなく、見咎められる気遣いはなさそうだが、ここはドレイトンの店である。
こんなところで遊んでいるのを見つかったら、たっぷりお叱りを受けること間違いなしだからだ。
ババはばたばたと両腕を振り回しながら——またチェーンソーがぶつかりそうになった——言語にならない獣の唸り声を発して懸命に説明を試みる。
わかりづらいことこの上ないが、少しばかりの推理力を動員して考えるに、獲物を追い掛けてきたはいいけどガソリンスタンドの中に逃げられた……ということらしい。

「あー、いつものパターンだね。どうせドレイトンが連れて来るよ。だから帰って待っとこ、うろうろしてたら怒られるよ」

ババの手を握ろうとして、寸前でやめた。私の中に、ちょっとしたいたずら心が芽生えたのだ。

「ねえババちゃん、……家まで競争っ!」

言い終わる前に、私は林に向かって駆け出していた。
固い地面を蹴る自分の足音が夜の闇にやたら大きく響く。
夏の木々は陰惨な亡霊が腕を広げるがごとく太い枝を左右に伸ばしているが、遊び慣れたこの林をいまさら怖いと思うはずもない。それにこのあたりにいる『怖いもの』なんて、それこそソーヤー家の皆さんくらいしか思い付かないし。
奥行きのないのっぺりとした紺碧には丸い月が浮かんでいる。それがあんまり明るく輝いていて、まるで太陽みたいだなあ、なんて見とれていたら背中をどんっと押されて転びそうになった。
振り返るよりも早くひょいと抱き上げられて、無邪気な声が鼓膜を叩く。
ババの口から飛び出すのが不鮮明なうめき声だけでも、私はその意味をちゃんと拾い上げることができる。彼はこう言っているのだ——「つかまえた!」

「全然気づかなかった」

びっくりしたよ、と言うと、ババは嬉しそうに笑って私の体を揺さぶった。大きな手がぺたぺたと私の頬に触れる。

「ババちゃん、もしかして眠い?……手が熱い」

ほんの少しいたずらっぽい気持ちで、子供みたいだと笑うとババも同じように声を立てた。私は彼のこういう素直なところがすきで、すきで、本当にすきだと思う。

抜きつ抜かれつの鬼ごっこを繰り返していた私たちは、ほとんど同時にソーヤー家の玄関にたどり着いた。
転がり込むみたいに中に入るとなんだか無性におかしくなって、その場に座り込んで大笑いしてしまう。
ああ、でもこんなところでゆっくりしてる場合じゃないんだった。チャーリーとドレイトンが帰ってくる前に夕飯の用意をしなくちゃ。
ババも同じことに思い当たったらしくて、太い腕で私を引き起こしてくれた。

「楽しかったね。今度またやろっか、鬼ごっこ」

すると彼は何度も何度も頷いてくれるから、私、やっぱりババのことがすきですきでだいすきだなって、心からそう思った。

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