飼い馴らされた心臓

「…………間に合ってます」

ばたん、と閉めたドアにチェーンを掛け終えた瞬間、厚い板が勢いよく軋み出した。
どん、どん、と一定のリズムで響く振動にあわせて、可哀想なドアはミシミシと嫌な音をたてる。

「うわああわかった! わかったから体当たりはやめて! ドアノブの存在意義を否定しないでええええ」

しぶしぶ鍵を外すと、焦げ臭い体がするりと滑り込んできた。

「うわ」

マイケルの有様ときたら、思わず動揺してしまうほどのひどさだった。納屋は全焼し母屋もあちこち崩壊状態らしいので、その渦中に居たのなら無理もないだろうが……。
街はマイヤーズ家で起きた事件の話題で持ち切りだった。一昨日からニュースも新聞も同じ事件の報道ばかりを繰り返し、警察は今もブギーマンことマイケル・マイヤーズの行方を血眼になって探している。
ハロウィンの悲劇再び、だ。
私に言わせれば彼は自宅でくつろいでいただけで、そこに上がり込んでぎゃあぎゃあ馬鹿騒ぎしていた方に少しばかりの非があるんじゃないかと思うんだけど。

「今回に限っては本当に気の毒だったと思うよ。勝手に自宅を観光名所にされるとかたまったもんじゃないよね」

うん、とマイケルが頷いた拍子に合成繊維の髪がはらりと乱れて、煤けてところどころ溶けているマスクの額にかかった。

「ただそれと私とは何の関係もな……ちょっなに勝手に上がっ、ああっ靴! その靴は脱いで!」

大きな足が踏みしめた床には、べったりと赤い靴跡が付いていた。


まったく、マイケルにはもっともっと感謝してほしいと思う。
こうしてせっせと血痕の後始末をしているばかりか、ものすごく嫌な匂い——皮膚とか髪の毛とか、ゴムマスクが焼けた匂い——をさせていた彼のためにお風呂まで用意してあげたんだから。

「ふー……終わったあー」

家の外もきっちり掃き清め、いちじく色に染まった雑巾を包んだゴミ袋をぶら下げつつ、あとで服も買いにいかないとなんて考えながらリビングに戻ったのと同時に部屋の反対側からもドアノブが回る音がした。

「……あれ?」

驚くことに、脱衣所から出てきたマイケルはすっかり綺麗になっていた。
おなじみの青い作業着は少しくたびれてはいるものの、どこも焼けたり破れたりしていない。マスクだって真っ白で、髪はぴったりと後ろに撫で付けられている。
うちの脱衣所が秘める謎の神秘に一瞬戦慄したが、どうやらそういう訳ではなく、マイケルが前もってセット一式を隠しておいたらしい。
うん、備えあれば憂い無しって言うもんね。でも私の家はあなたの緊急避難所じゃないんだけどね。

「なんという計画的犯行……あっ」

そういえばさっきは混乱していて気が回らなかったが、服があの様子じゃ相当酷い火傷を負っているんじゃ……。

「マイケルちょっと手上げて、両手」

素直な彼が両掌をこちらに向けて持ち上げた。

「あー、やっぱり結構ひどいね。病院連れて行きたいけど無理だしなあ……いや、そんなしょんぼりしなくていいから。頑張って手当してみるから!」

顔や体も心配だったのだが、マイケルが服とマスクを脱ぐ事に対して抵抗を示したので諦めた。
聞くところによると二十年前にもガス爆発に巻き込まれて昏睡に陥る程の大怪我を負ったらしいし、そこから生き延びたのなら今回も死ぬ事はないだろう。

「じゃ、そこに座って手こっちに出して。うん、そう、そのソファに座って」

救急箱の中身を総動員して治療に当たる間、時折ぴくりと跳ねる手がおかしくて「そんな大怪我してるんだから、これくらい何でもないでしょ」と笑うと広い肩がすこし落ちるのがまたおかしかった。

「はい、終わったよ。で、これ鎮痛剤、こっちが化膿止めね。必要なら飲んで……なに?」

ふと顔を上げれば、彼は机に並べた飲み薬のパッケージではなく私を見つめていた。
かと思うと包帯で分厚くなった掌が伸びてきて、ぎくしゃくと私の頭を撫でた。痛むはずの手が、何度も、何度も、髪の上をすべる。

「感謝してる?」

白いマスクが首を縦に振る。

「じゃあ居てもいいよ」

でも、できるだけいい子にしててよね。うちの近くで殺しはやめて。家事もちょっとは手伝って。あんまり怪我したりしないで。その全ての言葉に、マイケルは従順に頷いた。

「ふふ。……ううん、なんでもない」

さあ、これからしばらくはまた二人暮らしだ。
それを少し楽しみに思うあたり私はすっかり飼い馴らされているのだろうが、それも悪くはない……よね。

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