MISTY

——埃とカビの匂い……
壁が、床が、天井が軋みながら動き出し、パズルのように複雑に組み合わさって行く手を阻む。一世紀分の塵と埃が舞い上がり、降り注ぐ。
こうして、二人の男女はあと十分間は開かない石造りの“牢獄”に完全に閉じ込められた。

「自分たちを閉じ込めるなんて、いいアイディアね」

憎々しげにそう吐き出したのは女の方だ。
つややかな黒髪と濃い色の肌によく映える赤い防寒着を纏う彼女の名前はレックス。
彼女はしばし男を睨んでいたが、相手が皮肉に動じないと見ると諦めて石の壁に背中を預けた。
ここで気を抜いたら二度と立ち上がれなくなるのではないかと憂慮はしたものの、しかし疲れた体はどうしようもなくそのまま床に座り込む。
自他ともに認める“タフな人間”であるレックスも、休む間もなく異常事態に見舞われるこの状況はさすがに堪えた。
視線は自然と一つ所に注がれる。異常事態そのものと言ってもいい、不気味で巨大な異星人に。

男——レックスはこっそりと彼に“スカー”という呼び名をつけていた——は先の戦いで割れたり溶けたりして用をなさなくなった装甲の部品を一つ一つ外す作業に没頭している。
爬虫類じみた鱗肌が徐々にあらわになっていくのを何とはなしに眺めながら、レックスはひょいと肩をすくめた。

「あら、そんなに焦らないでよ、タイガー」

こんな状況下でも自分が正気を失ったりユーモアを忘れたりしないでいられることが不思議だった。
そして、今の正気をつなぎ止めてくれているものは他でもないこの醜悪で凶暴な異星人なのだ——その事実もまたレックスを不思議な気持ちにさせた。


この不気味な物音がどうかネズミの足音でありますように。ううん、南極にネズミなんかいるわけないじゃないの。レックスは息を切らせ走りながら怯えていた。
このままだと神経がどうにかなってしまいそうな緊張。それでも今は進まなくてはならないのだ、出口を目指して。
先導するスカーの背中が遠退きつつあることに気がついて、彼女は慌てて声を張り上げた。

「ねえ、もうちょっとゆっくり走ってよ。追いつけないわ」

すると驚いたことに、スカーは要求に従って足を緩めた。ちっぽけな人間のことを同等と見なしはじめた証だろう。
それを嬉しく思うべきなのか、それとも不快に思うのが正しいのか、レックスには判断ができなかった。

厚く積もった雪を穿ち、二本の力強い脚が地を駆ける。
全身を打ち付ける吹雪に逆らうように、遺跡から脱出したスカーは見捨てられた捕鯨基地目指して全速力で走っていた。身じろぎも許さぬほどしっかりとレックスを抱きかかえて。
腕の中のレックスは半ば呆然として、おとなしく運ばれていた。景色が背後に飛び去っていく。

スカーが設置した爆弾の威力は凄まじく、神殿を出発点としたクレーターは見る見るうちに広がって二人を飲み込まんとしていた。
衝撃でバラバラになったピラミッドや家屋が何百万トンという氷といっしょにいともあっけなく地球の内部に沈んでいくのを見て、レックスは寒さからではなく身震いした。
両腕をスカーの首に回し、ぎゅっと目をつむる。終わらない悪夢の中で、そこにだけ希望が残されているとでも言うように。

吹雪は少し収まっていた。
地響きも、無慈悲な海の捕食行為も終わった今、二人の周囲は無音だった。

「生きてるのね……私達」

レックスの茶色い瞳とスカーのオリーブ色の瞳がまっすぐに視線を切り結ぶ。
見つめ合っていたのはほんの数秒だったが、何時間も経ったような気がした。
先に動いたのはスカーの方で、彼は腰のベルトに下げていた小さな何かを手に取って、レックスの目の前に突き付けた。敵である別種の“エイリアン”から折り取った指先。
それを使って何をしようとしているのかは考えるまでもない。

レックスは彼の目を見たまま厳粛に頷き、顔を背けて頬を差し出した。強酸の血液が肌を焼き、滑らかな肌に戦士の証である模様が刻まれる。
簡略化された稲妻のようなその模様は、スカーが自らの額に彫りつけているのとまったく同じものだ。
スカーが満足げにこちらを見下ろしている。その瞬間、レックスは奇妙な感覚に包み込まれた。

誇り、喜び、畏敬。複雑に絡み合う様々な感情。

悪夢のような気分はまだ残っていたし、仲間を殺されたのを忘れたわけでもない。だが今はもう恐ろしくはなかった。
どんなことにでも立ち向かっていける、そんな確信めいたものがある。
レックスの豊かな唇が薄く開いて、何かを言いかける。だが、声にはならなかった——その時背後で爆発音が轟いて、エイリアン・クイーンが姿を現したからだ。


レックスは雪の上に膝をつき、目の前の光景をただ見下ろしていた。
丸腰の自分のために武器と防具を作ってくれたスカー。一緒に脱出しようと言ってくれたスカー。宙高く投げ出された体を抱きしめて守ってくれたスカー。
なのに、どうしたことだろう。そのスカーが今は力無く横たわっている。レックスの膝に頭を乗せ、腹からはおびただしい血を流して——

「ねえ……」

レックスは言い淀んだ。ひどい吐き気がこみ上げてくる。頭の隅がガンガンと痛む。めまいがする。
震える二本の腕でスカーの頭を抱き寄せつつ、自分がどうしようもなく泣いていることに気づいた。
スカーの喉がごぼごぼと弱い音を絞り出す。驚くほど人間に酷似した穏やかな目が真っすぐにレックスを見た。

傷だらけの手が持ち上がり、レックスの頬の稲妻模様を撫でる。彼は弱々しく口を動かして、いつかのレックスのせりふを真似た。

『敵の敵は……』

そこでレックスは目を覚ました。
しばらくの間はなにもわからず、自分がまだあの石畳の部屋にいるような気がした。あるいは、たくましい腕の中に。
だけど彼女の鼻腔をくすぐるのは甘ったるい埃の匂いでも、カビの匂いでもない。ただ湿っぽい風が運ぶ草の匂いがするだけだった。

大木にもたせかけていた体を起こして時計を見る。眠っていた時間はほんの10分程度だと知った瞬間、えも言われぬ喪失感が胸を貫いた。
もう何ヶ月も前に過ぎ去った出来事なのに、今でも夢に見るなんて。

霞混じりの空に風が吹いた。
頭の中まで風にさらわれて消え失せてしまいそうで、レックスは頭を抱えてうつむく。
両手でふさいだ耳の内側でスカーの声を、ぎゅっとつむった瞼の裏に仕草を思い描こうとするけれど、なにも聞こえず、見えなかった。

そのままどれくらいそうしていただろう。
やがて彼女はゆっくりと腕を下ろして、絶望的な気持ちで目を開けた。緩慢に瞬きをする——何度も、何度も。
そうすれば何かが、誰かが“あの場所”に自分を連れ戻してくれる、そう信じているかのようだった。

——敵の敵は……

「……私の味方よ、スカー」

頬の傷跡を、涙のしずくが静かに撫でた。

    拍手ありがとうございます!とても嬉しいです!

    小説のリクエストは100%お応えできるとは限りませんが、思いついた順に書かせていただいています。

    選択式ひとこと

    お名前

    メッセージ



    スカー×レックスAVPスカーレックス
    うりをフォローする
    タイトルとURLをコピーしました