助手と魔女

その朝も、彼女は昨日と同じ場所で目覚めた。
陰気な円筒形の狭い部屋の中だ。
しばし虚空を見つめ、やがて気だるそうに身体を起こした彼女の名前はエレン・リプリー。
このオリガ号のほとんどの職員からはリプリー8号、あるいは単に8号と呼ばれている。
リプリーは光の届かない壁沿いから部屋の中央へと移動して、降り注ぐ暖色の人口光を浴びた。その光は彼女のブルネットの髪を明るく照らしてくれる。
回した首がコキンと鳴った。肘の裏側に刻印された“8”の数字を何気なく撫でさすりながら、彼女は天井を仰いだ。
上の階を歩く見張りの兵士の靴底が、強化プラスチックの天井を透かして見える。彼がちらりとでも下を向いてくれれば、蔑んだ視線をねじ込んでやることが出来るのに。

しかし、これでも彼女の扱いは向上した方だ。
目覚めたばかりの頃の彼女は意思を持つ生物とは見なされておらず、試験官から生まれたいびつなおもちゃとしてのみ扱われていた。
一日の全ての時間を培養液の中で眠らされることに費やす日々が長く続き、そして、ある日から突然この部屋に閉じ込められるようになった。
子宮から本来の目的—クイーンを取り出したことで、役目を終えた彼女は皮肉にも“生物”に昇格したのだ。
用済みになった自分がどうして殺されずに済んだのか、リプリーにはわからなかった。決して同情や優しさからではないだろう。それだけは断言できる。
ともかく檻の中の動物としての日々を余儀なくされた彼女に出来ることは多くはなく、耐え難いほど退屈な毎日を無気力に数えている。
(先日、常々気に喰わないと思っていた研究員の喉を締め上げてやったのは愉快だったが、そのあとテーザー銃の電流を食らったのは余計だった。次に誰かと遊ぶ際には気をつけなければならない。)
いまいましく手足を痛めつけてくる金属の拘束具の存在や、身体検査や知能テストと称して部屋を連れ回され、くだらないゲームに付き合わされる腹立たしさは……今のところ我慢するしかなさそうだ。
そうしていればいつか、そう、いつかここを逃げ出すチャンスが巡ってきて、人間らしい自由を手にする日がくるのかもしれない。

——人間らしい? いいえ、違うわね。私は人間じゃないもの。

自分自身を内心であざけったリプリー8号は、うんざりした気分で無機質な壁とドアとを睨んだ。
まるでそこから“退屈”という敵が押し寄せてきて、執拗な攻撃を仕掛けてくる……そう信じているかのように。
だがその次の瞬間、ドアを開けて入ってきたのは退屈などではなかった。
それは白衣を着た女で、彼女はリプリーに向かって軽く頭を下げると朝の挨拶を口にした。

「おはようございます、リプリーさん」

この顔には見覚えがある。この船で働く科学研究者の助手で、名前は確か……そう、ステラと言ったか。
まだ年若く、船員を年齢順に並べたとしたらリストの最下層に名を連ねるだろう。助手とはいえよほど優秀なのだろうか。どこにでもいそうな小娘で、とてもそんな風には見えないが。

「今日はここでお体のチェックにお付き合いいただいてもいいですか? 2、3分で済みます」
「ねえ、何が悲しくてこんなつまらない仕事してるの? あなた」
「そう見えます? 結構楽しく暮らしてたりするんですが……」

リプリーは嘲笑を浮かべたが、ステラはまるで気にする様子もなく携帯用の記録装置をてきぱきと操作している。
そこでドアのロックが解除される『ビーッ』という音が鳴り渡り、二人は揃って後ろを振り向いた。
自動ドアが招き入れたのはメイソン・レン博士だった。リプリーが先ほど思い出していた、“気に食わない研究員”まさにその人だ。
護衛の兵士を三人も引き連れて胸をそらして立つ姿は、威厳と虚栄心に満ちている。

「お前一人か?」

彼の疑ぐり深い目がまず最初にステラを睨め付けた。それからもちろん、リプリーのことも。

「はい、そうです。ゲディマン博士は他に用事があるとのことで、今日は私が受け持つことになりました。でもご心配なく、すべて滞りなく進んでいます」

いわば上司の上司である相手の顔をまっすぐに見つめて答えるステラの声からすっかり色が失われているのを、リプリーは敏感に感じ取った。
先ほどまでのくつろいだ態度はどこへやら、今は緊張とは別のものに起因する無表情が、顔だけでなく全身を覆っている。
二人は仕事の打ち合わせを始めたが、リプリーは内容を聞いてはいなかった。ただ目の前の小娘に対する興味がじわじわと沸き上がり、観察の視線を外せなくなっていた。
ふたりの間でリプリーにはわからない内容のやり取りが交わされて、やがて納得したメイソン・レンと護衛が部屋を出て行くと、ステラは両肩からやっと力を抜いた。長い長い溜め息のおまけ付きで。

「それで何の話を……あ、そうそう。ずっとこんなところに居たんじゃリプリーさんこそつまらないでしょう? 私がうまいことやっとくんで息抜きしてきてください」

リプリーは黙ってステラを見ている。

「でも7階から12階までは全エリア立ち入り禁止なのでご注意を。14階のエリアBからD全区も。24階のエリアA4区から9区では現在実験を——」
「ねえ」
「はい?」
「もっと近くに。こっちいらっしゃいな」
「何か……?」

警戒の眼差し。それほど馬鹿な人間というわけでもないようだ。

「だけど」

白衣の腕を引き寄せ、

「お利口さんってわけでもなさそうね」

逃げられないよう腰を捕まえた。

清潔だが動きづらそうなロング丈の白衣越しに、驚きに張り裂けんばかりに上下する胸の温もりを感じる。
胸ポケットには連合軍マークの刺繍。そこに触れるとステラがぎょっとしたように身をよじった。顔がみるみる赤く染まっていく。

「その、私で暇を潰そうとするのはいかがなものかと」
「いけない?」
「良い悪いで判断するなら後者ですかね」

右肩の部分で留めるようになっている白衣のボタンを一つずつ外していく。ぷちん、ぷちんという軽快な音と、慌てたステラが腕を押し返そうとするしぐさが愉快だった。

「本当に! 時間がないので!」
「あなたってそんな顔も出来るのね。初めて見たわ」
「ストレスたまるのもわかります! 毎日実験だの研究だのにおつきあいいただいて本当に申し訳ないと、あの、これからは頻度を落とすよう博士に打診してみるので、だから——」
「あの子の匂いがする」
「は?」

鼻と鼻が触れ合うほど顔を近づけて、“あの子”の祖母であるリプリーは繰り返した。

「私のベビーよ。クイーン」
「それは……さきほど女王陛下のご様子を伺ってきたばかりなので」

突破口を探そうと必死なステラの視線があちらこちらに飛ぶ。その様子に喉の奥で忍び笑いを漏らしながら、リプリーはステラの耳元に唇を寄せた。

「耳まで真っ赤だけど。熱でもあるんじゃない?」
「もともと体温が高いだけです」
「そう」

だしぬけにリプリーが両腕の拘束をゆるめたため、バランスを崩したステラがよろける。
彼女はいよいよ相手の気まぐれについていけなくなったと言うようにしばらく呆気にとられていたが、次の瞬間ハッと我に返ると、小動物じみた俊敏な動作でリプリーから距離をとった。
もう何があっても捕まるまいとこちらを牽制しながら出口の方へじりじり後ずさっている。もっとも、いまだ赤いままの顔で睨まれても怖くも何ともないのだが。

「何かあれば私は15階の研究室にいますから」
「じゃあね、助手さん」

廊下を走る足音が遠ざかっていき、残されたリプリーは気怠く笑った。
どうしようもない程くだらなくてつまらない船だと思っていたが、やっと面白いおもちゃを見つけた今になって、何もかもを興味深く感じ始めていた。
まずはあの子の言う通り、船を探訪して回るのもいいかもしれない——そんな風に考えながら、リプリーは陰気な部屋を出て行った。

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