エンドロールのあとで

勤務時間の過ぎたオフィスはしんとしていた。
蛍光灯の落とされた室内にいつものざわめきはなく、代わりに卓上デスクの明かりがぽつりぽつりと咲いている。
白い明かりが一つ、次いでもう一つ消え、「おつかれさま」の声が交わされるのがジヴァの耳にも聞こえてきた。
声の主のうち片方はエレベーターに乗り込んだが、もう一人はこちらに歩いてきたので顔を上げて出迎える。

「やっと終わった?」

そばまでやってきたニーナは軽くうなずくことでこれに答えた。報告書としては今までで最高の出来だと言って、しかしその言葉とは裏腹にどこかうんざりしたような色を浮かべる。
生真面目で実直な眼差しのニーナは一見すると典型的なオフィスワーカーだが、実際は自他共に認める現場人間だ。
厳しいトレーニングの後でさえはつらつとしている彼女なのに、ほんの数時間パソコンに向かっていただけでこんなにやつれて疲れ果てた顔をしている事実にもそのことが現れている。
いつも一分の隙もなく清潔な服装と髪型が今夜はどちらも覇気を失くしていることが、ジヴァには妙におかしく思えた。

「これで再提出とか言われたらもう無理。ごめんね関係ないのに待たせちゃって」
「もうあと5分遅れたら帰ろうと思って準備してたけど」
「やだジヴァが冷たい……ひどい……っていうかギリギリ間に合ったんだから無罪にしてください」
「まぁ、待ってる間に空き巣ははこ……はど……『はかどった』? 正解?」
「そこは合ってるけど、空き巣はちょっとシチュエーションが違うような」

トニーのデスクに尻を乗せてくつろぐジヴァは手にした雑誌に目を落としたまま「そう?」と肩をすくめた。
どぎつい配色の表紙では下着姿の女性が微笑んでいる。さっきこのデスクの引き出しから失敬したものだった。

「知らないんだからね。いい加減本気で怒られても」

そう言うニーナも勝手にジヴァの椅子に座り込んでデスクの上のものをいじりはじめたが、ジヴァは気にも止めずにページをめくる。

「これ見て。面白い特集やってる」
「んー『恋人を欲情させるキスのすべて』? なにそれ、中高生向きの雑誌じゃあるまいし」
「結構バカにできないよ」

しなやかな動作でデスクから飛び降りたジヴァは、悪巧みの得意そうな顔に有無を言わさぬ笑みを浮かべたまま、素早い動作でニーナをキャスターチェアごと壁際まで追い詰めた。
ニーナの姿を浮かび上がらせていたライトの光を背中で遮ってしまうと、なぜかこの世界に自分たち二人だけが残されたような気分がした。
ぼんやりとした薄暗がりに他の一切合切が呑み込まれて消え失せたかのような。

「ニーナだって好きじゃない? こういうの」

唇を撫でたのはほんの一瞬だけ。触れるか触れないか、そんな力加減でかすめただけ。
なのに、ただそれだけの行為もニーナを怖気付かせるには十分だったらしい。
こちらを物言いたげに見上げてくる、いたぶられる獲物の視線をジヴァは真正面から受け止めた。この世界には、二人だけ。

週末の午後を費やして気がすむまでじゃれ合うのも悪くはないが、今のようなスリルもジヴァは嫌いではなかった。
ニーナに言わせれば、そのような考えは破壊的願望とやらに通じているらしい。先週の金曜日の夜遅く、ベッドの上でそんな風にしつこくからかわれたのをよく覚えている。
ジヴァが突然上機嫌になったのは、そのお返しをまだしてなかったと思い出したからだった。
相手の吐息が感じられるほど近くまで顔を寄せる。ささやき声にはわずかなヘブライ語訛りが混じっていた。

「ほら、やっぱりバカにできなかったみたいだね」
「やめてよ、そんなんじゃ……そんないきなり触られたら誰だって」
「ふーん」

ジヴァが目を細めた危険にニーナが気づいたとしても、それは少し遅すぎた。
身構えようとした時にはジヴァはすでにニーナの脚の間に膝を割り入れていて、可哀想な獲物が椅子から立ち上がるのを完璧に阻止していた。
背後の壁に押し付けられた椅子がガチッと嫌な音を立てる。慌てるニーナが体をそらして距離を取ろうとしているが無意味な抵抗でしかなく、ただ背もたれが軋んだだけに終わった。
柔らかなぬくもりに挟まれた膝をなおも奥へと押し込むと暖かいを通り越して熱く感じた。
くたびれたシャツ越しの肩がこわばるのも腰が揺れたのもジヴァは見逃さず、意地の悪い充足感が首筋をチリチリと焦がしながら駆け上る。

キスはしない。してやらない。まだ今は。

リップグロスの落ちた唇に指を触れる。今度はかすめるだけでなく、押しつぶすように力を込める。
漏れる吐息も侵入をせき止める壁にはならず、舌をかき撫でる中指を通じてニーナの体のこわばりと震えが伝わってくる。
呼吸が荒い。目は悩ましげに閉じられたまま、眉間に薄くシワが寄っている。

「その顔。私の知ってるニーナの顔してる」
「ジヴァ……楽しんでる?」
「それはこれからの反応次第だけど。でもそうだね、ニーナは私を楽しませてくれるのが上手だから」
「もう、こういうとこなんだよね。こういうとこが……」
「“破滅的願望”?」
「破壊的。私が言ったのは破壊的願望で似てるけど違——」
「黙って。でないと黙らせるよ。もうどっちでもいいんだから、そんなの」

そして、最後の明かりが消えた。

2017-08-20T12:00:00+00:00

    拍手ありがとうございます!とても嬉しいです!

    小説のリクエストは100%お応えできるとは限りませんが、思いついた順に書かせていただいています。

    選択式ひとこと

    お名前

    メッセージ



    NCISジヴァ
    うりをフォローする
    タイトルとURLをコピーしました