現実はどこにある

今現在、他の面々が例外なく感じているであろう感情を、もちろんハンゾーも抱いていた。
それは焦燥と腹立ちと困惑。そしてもうひとつ——時間が経てば経つほどに色濃く大きく膨れ上がってきた“享受”もそうだ。
彼は現実的なたちだったので、こうなった以上、無事に地球へ帰り着ける可能性は万に一つより低いであろうことを重々理解していた。
ただ、そのこと自体はさほど口惜しいとは思わない。あの地には愛着こそあるものの必死にすがり付くだけの価値はないし、それに、何としてでももう一度会いたい人物も思い当たらない。地球にとって自分が必要な存在だとは、間違っても思わないし。

ハンゾーは鳥がうるさく鳴き交わす頭上を仰いだ。残酷な現状には不釣り合いに美しい木漏れ日に眩しさからだけではなく目を細め、また少しだけ享受に心を傾ける。
ふいに煙草が恋しくなったが、残念ながら仕事の遂行直後に誘拐されてきた彼のポケットは空っぽだった。湖に脱ぎ捨ててきたジャケットの中にだって、飴玉ひとつ入っていやしないだろう。

苛立ちを追い出すように短く息を吐く。
改めて思い返せば、自分の人生は不本意なことばかりだったように思う。それがここにきて最上級まで高まったというわけだ。
最後に望めるならば、死に方くらいは自分で決めたいと彼は願った。自分を——自分達を見くびっているらしい“奴ら”に一泡吹かせてやるのだけがもはや自分に残されたたったひとつの希望と言えよう。

その時、耳に不自然な物音を捉えたハンゾーは、口寂しさをまぎらわすために噛んでいた小枝を地面に吐き出した。鳥と虫の声の合間に確かに聞こえる足音に、黒い銃の撃鉄を引き起こして次の行動に備える。
だが、生い茂る雑草を掻き分けて現れた人物を目にすると、ようやく警戒を解いた。

軍服に身を包んだ狙撃手はまず周囲に注意深い視線を走らせてからやっとこちらを見た。芯の強そうな美しい顔立ちをしている。
さっき水に飛び込んで濡れた服は強い日差しによってほとんど乾いていて、くせ毛の黒髪だけがまだしっとりしていた。
ハンゾーは彼女の名前を知らない。ただ、協調性に富んだたくましい人物であることだけは確かだ。寄せ集めの面々がなんとかチームの形を保っているのは彼女のおかげと言えた。

「来て。作戦がある」

女は言葉少なにそう言って背後に顎をしゃくった。
そしてハンゾーのうなずきを確認しようともせずに背中を向けると今来た獣道を戻り始めたが、数歩行ったところでふいにブーツの足を止めた。動かない後ろ姿にハンゾーがいぶかしんでいると、ぽつりと呟く声が聞こえた。

「……なんで連れてこられたんだと思う?」

声は憤っている風ではなかった。それどころか達観に似たものさえ感じられる。……ああそうか、彼女も同じだ。

「俺がそういう人間だから」

ハンゾーが決して大きくはない声でそう返すと、女は目を丸くして振り向いた。
驚いた顔の彼女はあどけなくすら見えた。おそらくまだ26、7歳だろうと今になって気づく。それを思うとこの気丈さには感服すら覚えた。

「喋れたんだ」

口が利けないと誤解されるのはハンゾーにとっては日常の範疇だ。
そのささいな行き違いをいちいち正そうとは思わないし、それが自身にとって有利に働くと思えば、あえてそのように振る舞うことさえある。
今回の彼の返答は、少々そっけないうなずきを返すことだった。恐らくは誰もが居心地の悪さを覚えるであろう種類のうなずき。
子供の頃から機能不全ぎみな表情筋のおかげでいらぬ誤解を受けた経験ならごまんとあるハンゾーは、自分という人間が相手にどういった印象を与えるのか熟知していた。

だから予想だにしていなかった。まさか、名前を聞かれるなんて。
今度は自分の方が戸惑いながら、ハンゾーは女の問いに答えた。

「……半蔵」

スナイパーの凛とした瞳がわずかに和らぐ。目を細めたのは彼への態度を和らげたことの現れなのかもしれないし、ただ単に、射し込む木漏れ日が眩しいだけなのかもしれなかった。

「イザベル」

女はスリングベルトで肩掛けしたライフルを指先でとんとんと叩きながら、やはり言葉少なに告げた。
イザベル。それはいかにも彼女らしい名前に思えた。
今度こそ背を向けて歩き出すイザベルの背中を追うハンゾーの心中からは、ほんの少しだけ苛立ちが消えていた。

    拍手ありがとうございます!とても嬉しいです!

    小説のリクエストは100%お応えできるとは限りませんが、思いついた順に書かせていただいています。

    選択式ひとこと

    お名前

    メッセージ



    ハンゾー(→イザベル)プレデターズ
    うりをフォローする
    タイトルとURLをコピーしました