楽園

宇宙産業の開拓に携わる両親を持ったおかげで物心ついた頃から星々の世界を旅してきたノヴァにとって、なにより心安らぐ場所とは清潔なシーツが敷かれたベッドではなく、狭い睡眠カプセルの中だった。
その白い繭はノヴァを何ヶ月も、時には何年ものあいだ、完全な静謐と安全の中で守ってくれる。
もっとも、貨物船カノープス号の睡眠カプセルはひとつ残らず破壊されているから、本来の役割であるコールドスリープには使えない。
だけどもうそれで構わなかった。
今のノヴァにはもう二度と長い眠りにつく理由がない。

「チャップちゃーん、どこなのー? かくれんぼはしないよー?」

青白い人工灯に照らされた廊下の中央で、ノヴァは大きく声を張り上げた。わんわんと周囲に反響するほどの声だったが、それを咎め立てする者はいない。
この広大な船の乗客は、今やたった二人だけなのだから。
20分前、眠りから覚めたノヴァはビッグチャップの姿がないことに気がついた。
寂しがりやのエイリアンはいつもなら隣のカプセルで丸くなって眠っているか、さもなければこちらのカプセルに両手をかけて、「おはよう!」とばかりに尻尾を揺らしているのに。

まだ眠たい目をこすりながら覗き込む部屋はこれでみっつめだ。
内部は暗く、奇妙にあたたかく、湿気と生ぐさい臭気がこもっていた。
壁も、床も、天井さえも黒光りするうねうねした不規則な形のレリーフにすっかり覆われていて、その光景は巨大なナメクジの群れがもつれ合う繁殖場か、あるいは巨大な怪物の内臓のようだった。
壁沿いにいくつも並んだ高さ90センチほどもありそうなグロテスクな卵型の物体は、ビッグチャップが捕らえた乗組員たちを変質させて作り出した悪夢の産物だった。
もともとは自分と同じヒトであったそれを前にしても、ノヴァの顔には嫌悪のひとかけらも浮かばない。
それどころか好奇心と称賛すら漂わせた瞳で同胞の成れの果てを見つめている。
だが以前に交わした約束通り、室内に足を踏み入れることはせず、彼女は部屋に背を向けると再び廊下を歩いていった。

「チャップちゃん、おはよう?」

次に訪れた物置部屋でも返事はなかった。
今度は室内に入り、悪夢的改築こそされていないものの散らかり放題の内部を隅から隅まで見て回りながらもう一度名前を呼んでみる。

「チャップちゃん!」

やはり返事はない。足元のガラス瓶を蹴飛ばす。からっぽのそれは思いのほか勢いよく転がっていき、向こうの壁にぶつかって止まった。
再びしんと静まり返る部屋にノヴァは急に心細さを覚えた。たった二人きりで過ごす日々にさえ、少しも感じることはなかったさみしさを。
ひやりとしたものに鳩尾をつつかれた気がした。
ノヴァは慌てて首を振り、最後の可能性が残された機械室へ降りてみることにした。


船の心臓部である機械室はいつも絶え間なく熱と音を吐き出している。だが、今は静かなほうだった。それだけ船が安定して飛行しているということだ。
低い天井には無数のパイプが這い、その間を縫うようにして大きさも様々のチューブやホースが何本も何本ものたくっている。シュッと音を立てて吹き付ける冷却ガスを避けてノヴァは奥に進んだ。

「ねえ……」

恋人を呼ぶ声はほとんど自信を失って泣き出しそうになっている。
暗がりの中に目を凝らし、あちらこちらに視線を投げる。また一歩奥へ進み、そしてやっと見つけた——壁に身を押し付けるようにしてぐったりしている黒い身体を。

「チャップちゃん!? チャップちゃん!」

ノヴァは慌てて駆け寄り、横たわる体をおおきく揺さぶった。
するとそれは甲高い悲鳴を発しながらぴょんと跳び上がった。もしも猫なら風船のようにしっぽを膨らませていることだろう。
さすがのノヴァも腰を抜かして取り乱したが、驚いたのはビッグチャップも同じのようで、細長い頭が状況を飲み込めずにぐるぐるきょろきょろ辺りを見回している。

「な、なんだ寝てただけ? なんでこんなところで? 寒かったの?」

ノヴァが床に膝をついたまま恐る恐るにじり寄ると、大きな黒猫は両腕を広げて迎え入れてくれた。
昆虫を思わせるような硬くて節くれだった腕はお世辞にも肌触りがいいとは言えないが、不思議と居心地がよくて安堵の涙がこぼれた。

「死んじゃったのかと思ったの。びっくりするから勝手にどっか行ったりしないでね」

すると、それまでビッグチャップが発していた、金属がきしるような甘え鳴きがぴたりと止んだ。
半透明のフードの奥からふたつの空洞がこちらを見つめてくる。クロム色の歯が、なめらかな額が、近づいてくる。そして——

「……いっ、たぁあ!」

頭突きされたと気づくまでにはタイムラグがあった。
ノヴァはたまらずひたいを押さえてうずくまった。たいした力ではないのだろうが、油断していたのと真正面からまともに食らってしまったせいで、いまも視界に星が飛んでいる。

「何するのさ」

言葉はなく、代わりに頭のてっぺんを撫でられた。いつもノヴァがビッグチャップにしてやるのをそっくりそのまま模倣して、いいこいいこ、と何度も撫でる。
不慣れな動作がくすぐったい。なによりこちらの反応をうかがように顔を覗きこまれるのが気恥ずかしくてしょうがない。
ノヴァが照れ笑いしながらきゅっと目をつむると、今度は二本の腕が髪を不器用にかき回して、撫で付けて、頬に触れて、つついて、頭を包み込んで引き寄せてくれた。

「……うん、私も大好き。だからもう一人にしないで、約束してね?」

ノヴァは自分の唇をビッグチャップのそれに押し当てた。今度はノヴァの方から顔を覗き込む番だ。そのまっすぐな瞳にさみしさは跡形もなく、彼女の顔には自信がみなぎっていた。

ふたりぼっちの楽園は今日も廻る、廻る、宇宙の片隅で。

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