銀色の午下がり

かろうじて淡い光が射し込むだけの窓辺で、一匹のゼノモーフが灰色の空を恨めしげに睨みつけていた。
朝から続いている煙のような降雨が止む気配はなく、近所の犬にネコ、いつも賑やかな小鳥たちまでもがそっと息をひそめるなか、庭の紫陽花だけが歓喜に葉を広げている。
黒い怪物の尻尾が大きく振られ、その額がつめたいガラスに押し付けられた。
苛立たしげな仕草はこう語っている——雨も湿った空気も嫌いじゃないけど、ぱたぱた音がしない雨なんてぜんぜん楽しくない。
ゼノモーフの体内を空気が駆けめぐる。空気は背中に生えたパイプ状の器官を通り抜けて、彼女の怒りを物語るかのようにしゅうっと鋭い音を立てた。

「なあに、そんな一生懸命お外なんて見て」

背後から聞こえてきた声の主は、昼食の洗い物を終えたばかりのニーナだった。

「よしよし。いやだね、梅雨は。じめじめして」

ニーナの手のひらが結露した窓をぬぐい、いくつもの水滴がガラス面を音もなく滑り落ちていびつなストライプを描いた。
自分ほどはじりじりしていないらしいニーナの顔を見つめて、メランは筒型の頭をちょっと傾げた。今のはどういう意味?
ツユってなに? 声にしてそう問いかけてみたものの、ニーナは柔く笑むだけで、その態度はゼノモーフにとって不満の材料にしかならなかった。
——やっぱり上手くいかない。
これが兄弟たちとの“会話”であれば、頭の中で考えるだけでいい。必要であれば声も使うが、大抵は黙っていたって思考を伝えることができた。
ところが人間相手となると、メランはまごつくばかりだった。
どれだけ一生懸命話してみせてもニーナがその全てを理解することはなく、逆に自分がニーナの全てを読み取ることも叶わない。
ニーナにも自分が感じたことや考えていることの全てを伝えられたらいいのに、そうしたらもっと仲良しになれるかもしれないのに。怪物はもどかしげに長い頭を揺すった。

「何が気に入らないの? 雨? でも雨は好きでしょ?」

返事がなかったので少し機嫌を取っておいた方がいいだろうと考えたのだろうか、ニーナは猫をあやすような手つきでゼノモーフの喉をくすぐった。

「ね、いい子だから。この時期はしょうがないの。でも外で遊べないのはつまんないよね、確かに」

心地よい感覚に怪物の口元がふにゃりと緩む。知らず知らずのうちに喉が鳴り、あくびのような動作を繰り返す。もしも彼女に眼があったなら、夢見心地にうっとりと細められていただろう。
体中の力が抜けてニーナの方へもたれ掛かりかけたとき、何の前触れもなく柔らかい手がすっと離れた。
ニーナは嫌というほど見慣れた表情で壁掛け時計を見上げていた。あの気に入らない表情で!
またいつものようにどこかへ出かけるのか。「いい子にしててね」という言葉と、ドアに鍵をかける音だけを残して……。
そんなのは嫌だった。どこにも行かないでほしい。さみしい。置いていかれるのは嫌。
怪物は大きな身体を縮めて子犬のようにニーナにまとわりついた。

「えっ、えっ、どうしたの?」

今にも消え入りそうな弱々しい鳴き声は相手の心をしっかりと揺さぶったらしい。
もっとも、続く言葉は「そんなこと言っても雨はどうにもならないよ」という的外れなものだったが。
ゼノモーフが持ち合わせていない器官——ふたつのきらきらした瞳が心配そうな色を浮かべている。メランは指先でニーナの腕や肩をちょいちょいとつついてみせた。
筋張った手にはそれぞれ六本ずつ、金属をも引き裂く鉤爪を備えた指が生えていたが、彼女は人間の脆い皮膚を傷つけない力加減をよく知っていた。
そして思ったとおり、それは絶大な効果を生んだ。

「構ってほしかったの?」

ようやく彼女の意図に思い当たったニーナは笑顔を見せてくれたばかりか、両手のひらでメランの顔を優しく包んで引き寄せると、丸い額にちゅっと口づけまで落としたのだ。

「でも買い物に行きたいんだけど。帰ってから遊ぼうよ。それじゃダメ?」

だめ。絶対にだめ。メランは断固として首を振り——人間を観察するうちに会得した仕草の一つだ——必要であれば尻尾を巻き付けて捕まえてしまおうと身構えたものの、ニーナは案外あっさりと白旗を揚げたため、そこまでの実力行使は必要なかった。
「そういえば最近忙しくてあんまり遊んでやれなかったもんね、ごめんね」と詫びる鼻先に自分の鼻先をちょんとくっつけて、メランは精一杯の気持ちを込めてクルクルと喉を鳴らした。
言語の壁がどれだけ厚かろうと、今回ばかりは伝わったはずだ。

「あはは、ありがと。お前は優しいねー。どうする? 部屋の中でできることなんてあんまりないし。壁とか穴開けられても困るし。いっそお昼寝でもしちゃう?」

言うが早いが彼女は別の部屋からタオルケットを運んできて、オレンジ色のソファーの背を倒すと簡易ベッドに変えた。

「おいで」

もちろんゼノモーフは大喜びでこの勧めに従い、弾むような足取りでニーナの隣に滑り込む。
二人で一枚のタオルケットを分け合ってごろりと横向きになる。人間の足がぱたぱたと揺れ、ゼノモーフの尻尾もぱたぱた揺れた。
最初にニーナがあくびを一つ、つられてメランももう一つ。

「お前も眠たくなった?」

ほんの数分前まで声を上げてじゃれあっていたはずの二人は今や完全に睡魔の腕の中だった。それは曇った窓の外でほんの少し勢いを増した雨が子守唄さながらの音色を奏ではじめたせいかもしれない。

「せっかくの日曜だもんねえ、ゆっくりしないと……あー、月曜なんていらな……ふあ、あ」

語尾があくびと混ざって不明瞭に消える。
ニチヨウとゲツヨウってなんだろう? 怪物の脳裏を疑問がかすめたものの、結局、ニーナの暖かい手のひらに撫でられた瞬間にその全ては優しくとろけた。

「おやすみ、メラン」

おやすみ、ニーナ。
眠りに落ちる寸前、メランは明日も明後日も雨でありますようにとそっと願った。

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