バレンタインじゃない日を祝おう

「Happy ホワイトデー!」

悲喜こもごものバレンタインからちょうど一ヶ月の今日、私はハリーに会うため、遠路はるばるペンシルベニア州の片田舎までやってきていた。
クリスマスと新年は忙しくてそれどころじゃなかったし、先月はジェイソンに捕まったせいで会いに来られなかったしで、なんだかんだ顔を合わせるのは久しぶりになる気がする。
そんなわけではりきってクラッカーなんぞを鳴らしてみたはいいものの、音は炭鉱の壁にむなしく跳ね返っただけで、場はちっとも盛り上がらなかった。わかってはいたけどちょっと恥ずかしい。
肩に降りかかったカラフルな紙屑を手で払いのけてから、ハリーは手元のホワイトボードにごもっともな疑問を書き込んだ。

『ホワイトデーて何やねん』
「えっとね、日本の風習で、バレンタインデーのお返しをする日」

生粋のアメリカ人だから無理ないとはいえ、バレンタインデーを象徴する殺人鬼をやってくならこのくらいはリサーチしておいてほしいものだ。
そんなことを思いながらも私はひっくり返した木箱に腰を下ろし、もう一人のガスマスクに体を向けた。

「ワーデン君も知らない?」

ぱっと見では区別がつかないほどハリーによく似たこのハリー・ワーデン君とは最近知り合ったばかりだった。
ちょっとどんくさくて愛嬌のある人で、一応、本人が言うにはハリーの兄貴分らしい。どちらかと言うと弟みたいな気がするけど……。
ワーデン君は得心したように首を振り、ハリーとおそろいのホワイトボードを通して返事を寄越した。

『なるほどリベンジ・デイか……』
『やばいやん、俺ら不死身ちゃうねんけど』
「しまった二人にとってのバレンタインはイコール殺戮の日だった。違うよ! そういう“お返し”じゃなくて……お菓子とか金品とかを贈る日だってば」

アメリカは日本とは真逆に、男性から女性に贈り物するのがバレンタインデーの習わしだから、つまりホワイトデーは女性から男性に、ということになるだろうか。
そこまで丁寧に補足してあげたのに、二人は依然としてまったく乗り気でない。
特にワーデン君などは『ふーん。でもここ日本じゃないし』などと冷静にも程がある。
おっしゃる通りではあるけど、それを言われてしまうと返す言葉も見つからないし話が進まない。

『今しれっと金品とかって言わへんかった?』
「日本人は現実的だから。ちなみに三倍返しがスタンダードだそうだよ」
『どっちか言うたら打算的やな』
「まあまあそんなこと言わずに。せっかくお菓子持ってきてあげたんだから。ハリーそこの木箱取って。いや、それじゃなくて小さい方」

どこからか集めてきたらしい古ぼけた木箱の数々は、この場における唯一の家財道具だ。
椅子にしてよし、机にしてよし、並べてベッドに、積み上げれば足場にもなる。こんなに便利で、それでいて炭鉱の雰囲気も壊さないマストアイテムなのだとハリーは言う。
そしてもちろん、何かを入れるにも役立つわけで、私は持参したキャンバスバッグの中身を全部そこにぶちまけた。
“ぶちまける”という表現は大袈裟でもなんでもなくて、それだけたくさんのキャンディやらマシュマロやらクッキーやらが詰まっていたのだ。ほとんどはバイト先の処分品だが、わざわざ言うことでもないので黙っておく。

「どう? これ! 持ってくるの重かったんだから」

今にも箱から溢れ出しそうな色の数々にさすがのハリーも身を乗り出して驚きを示し、どうせやるなら派手にやろうという私の思惑はまんまと成功を納めたようだった。
ただ、フランスやベルギーからの輸入菓子を珍しげに眺めるハリーとは真逆に、ワーデン君はどのパッケージにも手を出そうとはしない。

「ワーデン君は甘いの嫌い?」

それに答えたのはハリーの方だった。

『ちゃうねん、コイツな、甘いもん好き言うの恥ずかしいらしいねん。かっこつかへんからって』
「それはまた……レトロな考え方だね。でも、統計では若い男性の3人に2人は甘いもの好きなんだってさ」

よほど恥ずかしかったのかハリーに殴りかかったもののあっさり避けられて、木箱に突き刺さったツルハシ相手に四苦八苦しているワーデン君の背中にそう教えてやる。
すると、ワーデン君はツルハシを抜き取るのを諦めて、のろのろとこちらを振り向いた。空っぽの両手が心もとないのか、革手袋の指先をしきりによりあわせている。
正直その様子がおもしろくてしかたなかったが、だけどここで笑ったりしたら彼のプライドをめちゃくちゃにしてしまう気がするからぐっと我慢する。まあ、ハリーはすでに噴き出しかけているが。

「ジェイソンもマイケルも好きだし、ババちゃんも甘いの大好きだよ? キャンディマンもはちみつ好きだし」

返事の代わりに、シュコー、という呼吸音がひとつ。私には彼が照れくさそうにうなずいてくれたように見えた。

「どういたしまして」

その素直さになんだかこっちまで照れてしまう。
かっこつけたがりで、でも素直で、ちょっとどんくさい……そんなワーデン君のことが私は好きになりかけていた。
それに、いい加減で意地っ張りな性格のハリーとうまくバランスが取れていると思う。ほら、なんていうか、ボケとツッコミみたいな。
そのハリーはと言えば、ちゃっかり別の木箱に座り直してパッケージ漁りを再開しているのだからまったくこいつはマイペースだ。まあ、そんなところも正直嫌いではない。
ドイツ製の、タイヤみたいな色と形をしたグミのパッケージをためつすがめつしていたハリーがこちらに文字を向けた。

『しばらく食費に困らへんわー』
「え、や、さすがにそれはどう……なの?」

彼らの食事事情についてははなから期待してないとはいえ、さすがに三食お菓子は賛成いたしかねる。
すると、そんな私に加勢するかのように、呆れた様子のワーデン君がハリーの方へホワイトボードをかかげた。

『飲み物がないと』
『あ、せやな』
「問題はそこか」

前言撤回。このボケ倒しコンビめ。

「まさか持ってこいって言うんじゃないでしょうね」

それ以上話が発展する様子もなく、沈黙に耐えかねた私がそう訊ねれば、ふたつのガスマスクが同時にうなずく。黒く反射する合計四枚のレンズのどれにも私の姿が映っていて、表情まではわからないが多分ひきつった顔をしているであろう姿勢になっていた。

「もう三倍以上返しました」
『再来年、五倍にして返したるから』
「二年越しの約束とか忘れる気満々じゃん。せめて来年でしょそこは。しかも六倍じゃないとこが微妙にケチ臭いし」

しかし私とハリーのいつもの会話は、ごはっ、と奇妙な音がしたことで中断された。見ると、ワーデン君が体をくの字に折って激しくむせている。
足元にはさっきハリーが持っていた、タイヤみたいな黒いグミ。

「え、わ、ワーデン君大丈夫……?」
『うそやろ? それそんなまずいん?』
『タイヤの味がする』

アル中もかくやというほど震えた、ほとんど判別不能な文字を最後にワーデン君はピクリとも動かなくなった。

「す、すぐ! 飲むもの買ってきます!」

私が慌てて炭鉱を飛び出したのは言うまでもない。

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