約束をください

これが悪夢だと言うのなら、私はずっとここで溺れていたい。
自分と彼女が吐き出す水泡に包まれながら、彼女の色に染まった悪夢の底に横たわり、光が乱反射する透明な水面を見上げていたい。

ふっ、と首筋に熱い息がかかって、私は目の前の夢魔——フレデリカ・クルーガーに意識を戻した。
いつもと変わらない居心地のいい夢の中と、いつも通りに気まぐれな彼女。そしてこれから迎える展開もいつもと同じはずだと、胸元までボタンが外されたブラウスと乱れたスカートを見下ろして思った。
しかし今夜、私はその“いつも通り”を崩そうとしている。
革手袋から伸びる猛禽類の爪に似たナイフが私のブラウスの四つめのボタンを引きちぎろうとしたとき、私は彼女の腕を押さえて言った。

「あのね」

ぷちん、と軽い音が弾ける。

「なに」

壊れて動かなくなったものがフレデリカの寵愛を受けることはない。転がっていったボタンの行方には目もくれず、夢魔はまっすぐに私の顔を見つめ返した。
ああ、ダメだ。この怜悧な瞳の前ではいつも何も考えられなくなってしまう。それでも今日こそはと決めてきたのだ。好きだからこそ、確かめなければいけないこと……
気持ちを整理しようと「ちょっと待って」と頼んでみたものの、短気なフレデリカの答えはいたってシンプルだった。

「嫌だね」

頭を乱暴に引き寄せられて、赤く湿った舌と唇がぐっと近づく。

「やっ、だから!」

それが触れる一歩手前で、思い切り顔を背けた。
これに対してフレデリカはとうとう本格的に腹を立てたようだった。短く切り揃えた金髪を揺らしながらイライラと首を振り、「なんなの」と私を睨みつける。
彼女の瞳に負けないくらい鋭い鉄の爪が首筋に触れた。ひんやりとした感触が尾を引きつつ胸元まで移動する。ほんの少しの力加減で私の肌はやすやすと血を流すだろう。

「さっさと言いな」
「だから、えっと……私たちもう何回も……こ、こういうことしてるじゃない? でもフレディはいつも好きとか言ってくれないからなんか宙ぶらりんな感じで嫌なの。心配っていうか落ち着かないっていうか……」

ほんの一瞬の間。

「そんなこと」とフレデリカが鼻で笑い、私は殴られたような衝撃を覚えた。
——“そんなこと”
私にとってフレデリカがくれる言葉は彼女と交わすキスやセックスと同じくらい大切なものなのに。フレデリカにとっては一言で吐き捨ててしまえる程度の行為でしかないのだろうか。

多分あなたは私がどれだけあなたを愛しているかわかっていないんだろうね。
折り合いをつけるなんて、無理。
あなたが死者だってことも、夢の中でしか生きられない存在だという事実も、私だけを見てくれないことに対する嫉妬も……全部ぜんぶ、どうでもいいなんて開き直れないの。
そのことを考えるたびにもどかしくて辛くて泣きそうになる。どうにかして一緒に生きたい。ずっと側にいたい。

ねえ、私、あなたが好きで好きで大好きすぎて、あなたのことになるとただのわがままな子供になってしまうのよ?

「……なんで泣くの。可愛い可愛いニーナちゃんはそんなことすらいちいち言われないとわからない訳?」
「わっ、わかんな、い」
「ガキだな」

ぐずぐず鼻を鳴らす私にフレデリカは更になにか言いかけて、結局は黙って私の唇に噛み付いた。
いつものように服に手を差し入れたりはしない。長い舌をねじ込んで私が苦しくなるまで咥内を荒らしたりもしない。ただ唇を重ねて吸うだけのキスはあまりにも優しかった。

「——」

まだ軽く唇が触れ合う距離でフレデリカがぽつりと呟く。くすぐったいその一言はあまりにもか細くて、あっという間に二人の吐息にさらわれて消えた。

「うん、好き。私も大好き」

溶けてしまった言葉と一緒に空気を吸い込むと、今度は私からキスをした。

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