「こんにちは、ミスター・モンティ。ごきげんはいかが? トマシーナはいますか?」
背筋を伸ばしできるだけ礼儀正しく振る舞う私に対して、車椅子の男はにこりともせずに「地下室だ」と答えた。
モンティ・ヒューイットの態度は最初の頃に比べるといくらか軟化しつつあるものの、未だに私に対する警戒心は健在らしい。単純に私のことが気に入らないだけかもしれないが。
ともかく私は老人に礼を述べると薄暗い廊下を進み、地下室へと続くコンクリートの階段をゆっくりと降りた。
トマシーナという古風な名前をもつ彼女が気になり始めたのはいつの頃からだったか……もう忘れてしまったが、とにかく私は彼女に会うためだけに寂れた町に残り、このヒューイット家に通いつめている。
「トマシーナ? 遊びにきたよー」
ぴっちりと閉ざされた鉄製の引き戸を開けると中の淀んだ空気が溢れ出てきて、私は思わず眉をひそめた。
むせ返るような新鮮な血のにおいにはいつまでたっても慣れることができない。
中央に据えられた簡素な木製の作業台にはおびただしい量の血液が残されており、ゆっくりと流れるそれが台の端から一定の間隔で滑り落ちるたびに不気味な音がする。ぽたり、ぽたり……。
つい15分か20分前までそこに横たわっていたであろう身体はすでに細かく切り分けて運び出されたあとらしいのがせめてもの救いだと思った。
「なにしてるの?」
ぎいぎいと軋む木の椅子に腰掛けたトマシーナは一瞬だけ私のほうを振り返り、だがすぐに自分の手元に意識を戻した。
彼女の手には無色透明の液体が入った円筒形のガラス瓶が握られている。
「ああ、作業中だったの。ごめんごめん」
彼女は犠牲者の身体の一部を切り取ってコレクションするのが好きだった。
たとえば華奢な指の第二間接から先。
たとえば小さな歯。
たとえば艶やかな金色の髪。
たとえば青白い健康的な眼球。
そしてもっとも極端な例では、剥いだ顔の皮。
悪臭の渦巻く地下室の片隅に雑然と飾られるか、あるいはガラス瓶の中でホルマリン浸けにされたそれらはトマシーナが切望する“美”の欠片なのだ。
彼女は美しさを閉じ込めて並べ立てることでそれらの本質をも手に入れた気になっている……なんて、まるで低俗な雑誌に書いてある心理セラピーの受け売りのようだが、実際当たらずとも遠からずといったところだろう。
角がよれた写真を形のいい左右の耳と一緒にガラス瓶の中に仕舞っているトマシーナはすでに私のことなんか忘れてしまったかのように振る舞っているが、とはいえそのことについて特に不満はなかった。私は彼女が何かに熱中している横顔が好きだ。
くすんだガラス瓶の中におさまった写真には、耳の持ち主とその両親らしき顔ぶれが笑顔で並んでいる。
豊かな黒髪をたたえた若い女性の名前を、私は知らない(それはきっとトマシーナも同じだ)。
免許証はわずかばかりの現金が入った財布と一緒にホイト保安官が回収したに違いなく、すでに“処理”されてしまった彼女について知る手だてはもはや一つも残されてはいなかった。
もちろん死人について知ったところで何が変わる訳でもないのだが、単純な好奇心というか、とても綺麗な子だから名前もさぞ美しいのだろうと思ったのだ。
そこでふと考えた。もし私が死んだらトマシーナは私をコレクションするだろうか?
——いや、それは望み薄だろうな。なにせ私は“特徴がないのが特徴”とまで言われた経験があるほどだから。
確かにその通りだ。平凡な顔立ちに平凡な体つき、記憶に残らない声。ただひとつ、他の女の子と違うところがあるとすれば……それはトマシーナを愛していることだろう。
ただし、残念ながら愛は瓶詰めにはできない。
ささやかな作業を終えたトマシーナは新たなコレクションを棚の上から二段目にそっと並べ、椅子に戻って愛用のチェーンソーを膝の上に乗せると、それを抱え込むようにして大きな体を縮めた。
うつむいた拍子に癖の強い黒髪がはらりと乱れて、長い睫毛の瞳を覆い隠す。
今日の彼女が何に対して憂いているのかは私には知る由もないが、自傷の跡も生々しい腕の中で鈍く光る凶器はそのすべてを知っているのだろう。
けれども私はあんな風に彼女の悩みに触れる特権を与えてもらったことがない。
いつか私の恋心も実を結び、あんな風に抱きしめてもらえる日がくるのだろうか。指を絡めあい、頬を寄せ、心の奥深くをなぞることを許してもらえる瞬間が……。
そのときは、私が知っているたった一つの真実を教えてあげよう。
寄せ集めた不完全な完璧よりも、不安定に生きるトマシーナ・ヒューイットのほうがずっとずっと美しいということを。