絞首台の乙女

びしっ。びしっ。
安っぽい合成皮革のベルトを振り回す音がする。
びしっ、びしっ……
階上を足音も荒く歩き回る男の声を聞くと、酒の匂いがここまで漂ってくるようだった。

「フレディ! おい、フレディ、どこいった?」

がらがらした怒鳴り声はフレディの耳を叩き、頬を叩き、心臓を叩いた。
手足は氷のように冷たくて、爪が食い込むほどにきつく自分の肩を抱いているというのに指先にはなんの感覚もない。
養父が再び声を上げる。

「おいで、何もしないよ……この間は悪かった。……くそっ、おい、フレデリカ! いるんだろ、出てこい! また殴られたいのか?」

汚れた姿見の中では、怯えた目をした痩せぎすの子供が震えながら助けを求めていた。
ぎいい、と嫌な鳴き声をあげて地下室のドアが開いた。背後に足音が近づいてくる。
嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だやめて、やめてお願い許して許して許して——

「ああ、こんな所にいたのか……可愛いフレディ」

首筋にささくれ立った手が触れる。耳元で酒臭い息がねっとり笑った。
鏡の中では子供が泣いて——いや、違う。喉を引きつらせているのは痩せた少女ではなく、ケロイド顔の女だった……。

華奢な体をびくんと跳ねさせて、フレデリカ・クルーガーは目を覚ました。
ここはどこだっけ? “あいつ”の家じゃない。地下室でもない。でも子供たちの夢の中でもない。
徐々に焦点を結ぶ視界の真ん中に、しなやかなラインの背中が映る。
ナイフ付きの手袋を外した右手で肩をつかむと、それはあっさりこちらを向いた。

「ん?」

眠たそうな表情を浮かべたニーナがそこにいた。眠る前と同じ場所に、ちゃんと。

「おはよフレデリカ。起きちゃった?」

ぼんやりとした微笑みをうかべたニーナの指が、フレデリカの頬から髪を払いのける。
ショートカットの金髪が整えられ顔があらわになるのと同時に、フレディは目元にひやりとした感触をおぼえて恐ろしくなった。自分が泣いているのではないかと思ったのだ。
だが、慌てて目元をぬぐった指先は濡れなかった。いつも通り、ぐずぐずに焼け爛れた皮膚があるだけだ。
その時、どこからか猫の吐息ほどにささやかな風が吹き込んでフレデリカの頬をかすめた。
なんだ、冷たく感じたのはこの所為か……。
当たり前だ。あたしが、フレディ・クルーガー様が泣いたりする訳ない。馬鹿馬鹿しいと笑おうとしたが、焼けた口元はぴくりとも動かなかった。
自分でも情けなくなるような痴態を同じように見ていたはずのニーナはなにか質問をするでも、ましてやからかうでもなく、ただ黙ってこちらに手を伸ばしてきた。
彼女が選んだのは夢の中で養父が触れたのと同じ場所だったが、あたたかい掌は怖くも気持ち悪くもない。

「まだ暗いよ」内緒話をするみたいにニーナがそっと囁く。「寝よ」

フレディは答えなかった。代わりにニーナの胸に顔をうずめ、一ミリの隙間すら許せないとでも言うようにきつく体を押し付けた。
ベルトを弾く音とは似ても似つかない、穏やかな鼓動がそこにはあった。

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    ♀フレディエルム街の悪夢
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