生け贄を演じる

リュゼはとあるクランを取りまとめているリーダーである。
彼女のクランには、彼女達の種族に伝わる古くからの習わし——戦士は男女別に育成するべし——に従い、女しか所属していない。
人数は自身とエルダーを入れても10名。他の多くの非血族型クランの例に漏れず、小規模な集まりと言えた。

今、リュゼは自分の部屋で一角獣の骨を磨いている。
狩りの予定のない今日はマスクは着けておらず、身体の方も軽装でかろうじて胸と腰回りが隠れている程度だった。
面倒を理由に発熱メッシュのインナーも着ていないが、もとより気温の高いこの辺りでは特に問題はない。
剥き出しの肌は仲間内でも珍しい紫がかった色をしていた。額は広く、顔は小さく、眼窩は深く落ち窪んでいる。
そして、やすりで磨いたかのように尖っている外顎の四本の牙が彼女の迫力をよりいっそう深みのあるものへと押し上げていた。
その牙があくびでもするように大きく開いて閉じた時、ドアがノックされた。

「入れ」
「失礼します。メンテナンスに出していたレイザーディスクが戻ってきました」

戸口に顔を出したのはエセルだった。
エセルはリュゼの補佐で、無駄のない筋肉質な身体ときびきびとした態度が魅力的な女性である。
細長く繊細な頭のシルエットや華奢な顎はどことなく儚げな印象を与えがちだが、実際は気丈な性格をしている。
それでいて刺々しさを少しも感じないのは、いつでも思慮深い輝きを絶やさない瞳のおかげだろう。
ほんの一瞬でも見つめ合えば、今まさに彼女の手で喉を掻き切られんとしている獲物でさえ、一種の安堵のようなものを感じうるかもしれない……そんな瞳。

その赤っぽい瞳が今日ははっきりと見えた。エセルもリュゼと同じくマスクを着けていないからだ。
そして、音もなく飛来したダガーが突き刺さったのはそんな美しい瞳の数十センチ横だった。
よく磨かれたそれを壁から引き抜きながら、エセルはうんざりした調子で首を振った。

「リーダー……」
「ほんの戯れに随分な反応じゃあないか? もとより当てるつもりなどあるまいよ」
「当然です! いい加減にしてください、ただでさえマリスの件で頭が痛いのに——」

グルル、という不機嫌な喉の音がエセルを黙らせた。リュゼはうるさい虫でも追い払うように片手を振り回している。

「いいか、マリスが何をしでかそうが、エリザが人間の雌にうつつを抜かしていようが、シーラがそれを連れ戻そうと無駄な努力をしていようが、私には関係ない。ふん、知ったことか」
「もう少し関係してもらえると私の負担も減るんですけど、そのことは考えて下さらないらしいですね」
「時にエセル、いつからそんな風に喋るようになった?」
「はい?」
「昔のお前はもっと……」

そこで言葉を切り、リュゼは肩をすくめた。続きは口にするまでもなく伝わるだろうというように。

「あなたはクランリーダーで、私は部下です。何も間違ってはいないし、おかしい事もありません」

リュゼは脚を組み替えただけで何も答えなかった。
すでに四世紀、もしかするともっと長い時間を共に生きてきたエセルでなければ、その妙に物静かな態度には恐怖すら抱いたかもしれない。
エセルはその手には乗らないとばかりにしゃんと背筋を伸ばして、レイザーディスクとダガーを机に置くと「用件はこれだけです。失礼します」と背を向けた。

だが戸口まで達した時、冷静な補佐の毅然とした歩みは突如として戸惑いに変わった。
長い脚が次の一歩を踏み出しかねて迷う。まるで今ここから出て行ったら二人は二度と逢えなくなる、そう信じているかのようだった。
やがてエセルは諦めと苛立ちの混じった顫動音を漏らすと、リュゼの元に戻ってその腕を掴んで立たせた。
背丈で10cmほど勝るリュゼをきっと睨み上げる。

「どうしたら満足だって言うの、リュゼ?」
「そこが問題だ。実際、それがわかれば話も楽になるのだけどね」
「なによそれ……」
「さあ、私にはわからんね。お前の事となるとまるで無能になる」
「またそういう……本当は逆でしょう。私の事ならなんでも知ってる、あなたは」

リュゼは答えず、獲物の選定でもするようにエセルの顎を指先で持ち上げると、彼女の視線が自分の視線と真正面からかち合うようにした。
それでいてリュゼの視線にはまるで生気が感じられなかった。彼女はエセルを通り越した向こう側にある空虚をぼんやり眺めているようだ。
普段の“リーダー”には考えられない、脆く頼りない目。こんな姿を見せられたら誰だって思わず手を差し伸べたくなるはずだ。
しかし——「引っかからないわよ」エセルは苛立たしげに首を振っただけだった。

「私に何を言わせたいの?」
「悪いけど、エセル……話が見えんね」
「やめて、無知なふりしたって無駄。言ったでしょう……あなたは何でも知ってる人だって。そして私は、あなたが何でも知ってるってことを知ってる。その私を今さら欺けると思って?」

今度はエセルがリュゼに触れる番だった。両掌で顔を挟み込み、リュゼがまっすぐこちらを見るようにする。
一瞬にしてリュゼの瞳にはいつもの好戦的で狡猾な光が戻っており、エセルは可笑しくなると同時に安らぎを憶えている自分に気づいた。

「それにあなたは“自分がやりたいこと”を見失うような人じゃない。あなたは常に知ってるのよ、自分がやりたいことを。もう認めたらどう?」

リュゼは愛すべき嘘つきだ。実に愛すべき嘘つきだ。だがそれに乗っかってやれるほど、自分は人が良くない。

「どうするの?」

黙ったままのリュゼをエセルがせっつく。誘導じみた口調は堅いが、彼女のわずかに細められた赤い瞳にはまだ優しさが宿っている。
後押しするような、つかの間の沈黙が場に落ちた。
リュゼは狡猾だが、負けを認めることも知っている。そしてまさに今がその時だ。敗北を受け入れ次の戦に向けて策戦を練るべき時。

ところが観念したリュゼが口を開こうとしたちょうどその瞬間、階下で突然の爆発音がとどろいたかと思うと、震動がここまで伝わってきた。
例のトラブルメーカー、マリスがまた何かやらかしたらしいと悟った二人が同時に顔を見合わせる。エセルはげんなりした色を、リュゼはどことない安堵をその顔に浮かべながら。

「そろそろ再教育の頃合いだろうかね」
「……よろしくお願いします」

身体を離した二人はすっかり“リーダーとその補佐”の顔に戻って、連れ立って部屋を出て行った。
自分たちにはまだ時間がある。舞台も揃っている。もうしばらくの間だけ駆け引きに興じるのも悪くない……そう思えた。

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