魚にはなれない。

意外にも、そこに居たのはファルコナーひとりだけだった。
キャンプ地の隅のほう、太い丸太の上に腰掛けた彼のマスクの目の部分が焚き火のオレンジ色を反射して濡れたように光っている。
偵察機のメンテナンスに取りかかろうとしていた彼は顔を上げて彼女の名を呼んだ。

「イスト」
「ファルコナー」

イストが頷きかけると、ファルコナーも頷きを返してくれた。しぶとい獲物を仕留めた彼女を讃えているようでもあったし、そんなことにはまるで興味がないようにも見える。
それきりうつむいて作業に没頭しだしたところを見るに、本当に興味がないのかもしれない。
他人の所行に興味がない。あるいはイスト自身に興味がないか。

急な脱力感に襲われたイストは赤いマスクの下で大きく息を吐き出した。
ファルコナーはすでにこちらのことなど忘れたかのように振る舞っており、それがまた彼女をいらつかせる。
更にこんなことでいらついている自分にもまた腹が立つから、まるで負の連鎖だった。

「……これ貰っていくから」

イストは罠を作るための金属片をいくつか掴み取ると湖へ引き返そうとした。ところが、ふと目に入った気になる光景が彼女の足を止めた。

「私もう戻るけど。ファルコナーも来れば? 洗ったほうがいいと思うけど、それ」

彼女が指し示すファルコナーの足元は、綺麗好きの彼には珍しく乾いた泥で真っ白に汚れている。
彼は言われてはじめてその惨状に気づいたらしく困ったように喉を鳴らした。

「確かに……そのようだ」


“居るべき場所”に戻った彼女は少し活力を取り戻していた。
水の中はひんやりと気持ちがよく、コンプレックスも何もかも覆い隠してくれる。
浅瀬ではファルコナーが泥汚れを洗い清めていて、イストはそれを眺めながら、水とファルコナーの取り合わせはなんだか不思議な感じがするなと考えていた。
時々思うのだ。「私は水に生きる。ファルコナーは空に生きる。だから私達はどこまで行っても交われないのかもしれない」と。
あまりに長く見つめていたせいか、ファルコナーが怪訝そうに顔を上げた。

「どうした?」
「別に。ただ考えてただけ、やっぱり地上は嫌いだって。私には合わないし……似合わない」

ファルコナーは答えず、ただ物静かな視線で彼女を見つめ返した。
いつものことだ。きっとこの後は「そうか」と虚ろな答えを寄越してそれきり黙ってしまうか、この場を立ち去るかするのだろう。
そう決め込んでいたイストは、続くファルコナーの言葉の意外さにひどく驚かされた。

「イストは地上にいても水中にいるのと同じく美しいと私は思う」
「な——何、急に」
「私は……どこに居ようとイストがイストであることに変わりはないと言いたかった。気分を害したなら——」
「そんなこと言ってない」

なかば叩きつけるような勢いで相手の言葉を遮る。このまま水底まで潜って逃げてしまおうかと、イストは本気で思った。
どうしてこんな風に他人の心をかき乱すようなことをいともあっさり口にしてしまうのだろう、この男は。
そこに隠された意味など無いとしても期待せずにはいられず、ファルコナーの何気ない言葉はいつもイストをいたずらに混乱させるばかりか、地上への未練を断ち切れなくしてしまう。

「おかげで私は魚にもなりきれない」
「何か言ったか? 聞こえなかった」
「なんでも」

ふと地平線に目を逸らすと、湖と空には境界など無く、そこにはただ一つの世界が広がっていた。

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