春にうずめる

普段は人間と野性動物で賑わっている公園も、深夜1時を回る頃ともなればさすがに昼間の生気はどこにもない。
人慣れした小鳥も元気なリスも野良猫たちも、きっと今ごろはみんな夢の中にいるのだろう。
そんな静かな公園を、足音もなく歩く人影が二つあった。
一つは平均的な女性の身長をしたもの、そしてもう一つはそれよりも……いや、成人男性よりも遥かに大きな影である。

二人の内、小さい影の持ち主——ニーナはときどき頭上にかかる三日月を仰いでみたり、足元の空き缶を蹴ってみたりと夜中の散歩を楽しんでいるふうだが、その数メートル後ろを歩く異星人は月にもゴミにも関心を示す様子はない。
更に言うなら彼女は春の夜風の香りを楽しもうともしなければ、またたく満天の星に気を取られることもなかった。
もしこの奇妙な取り合わせの女二人を目撃した者があったとすれば、まず間違いなく、たまたま進行方向が重なっただけの他人同士だと判断するだろう。
そのくらい、二人は正反対の存在だった。

エリザは、たった一つだけの街灯が放つ頼りない明かりを煩わしげに見上げた。
とはいえ本当は、申し訳程度に足元を照らす明かりが呪わしいのではない。
「眠れないから外に出たい」というニーナのわがままに乗せられて、ここまでついて来てしまった自分自身を悔いているのだ。
なぜそんな気まぐれを起こしたのか、今となっては自分でもわからない。
前を行く背中に視線を戻す。上機嫌で歩き続けていたニーナは突然立ち止まると、直径二センチほどの花が群生する花壇の前にしゃがみ込んだ。
月明かりの下の花というものは真昼のそれよりも心許なく映る。
薄青色をした小さな小さな花たちは湿った空気の中で心細く身を寄せ合いながら朝を待っているようだった。自らと同じ色をした空が恋しくて仕方ないとでも言うように。

「私この花好きなんだよね。名前知らないけど」

頼りない花びらの一枚がニーナの指につつかれて震えるように揺れた。
ニーナの背後に佇み花壇を見下ろすエリザのマスクがかすかな音を立てる。機能を切り替えることでより見やすい視界を探しているのだろう。
しかし結局のところ、彼女はなんの感想を述べるでもなく、興味なさげに背を向けると別の方向へと歩きはじめた。

「どこいくのー?」

ニーナの問いかけにも答えはない。やがて、長身の異星人は暗闇の奥へと姿を消した。


翌日の昼にエリザは帰ってきた。

「あ……おかえり? 早いね?」

意外だった。てっきりいつものように二日か三日か、あるいは一週間も留守にするものとばかり思っていたのに。
“戦利品”こそ手にしていないが、かといって途中で狩りを切り上げたわけでもなさそうだ。
そんなことを考えているとふいにエリザが右腕を持ち上げたので、ニーナはぎくりとしてソファーの背もたれから身を起こした。
鋭い鉤爪の手から何かがふわりと宙を舞う。ぞんざいに投げ渡されたそれらは、音も立てずにニーナのスカートの上に散らばった。

——花の束。目の覚めるような、青い花。
白い布地の上にたちまち現れた青空はまぶしすぎて、ニーナは目をぱちぱちさせた。

「ネモフィラ」

頭上から降ってきた機械的な声に顔を上げる。“ネモフィラ”? どこの言葉?

「え?」
「花の、名前」

その時になってニーナはやっと気づいた。いま自分の膝の上に咲いている青色の花は、昨日の夜、寂しそうに花壇に植わっていた花と同じなのだと。
自分が好きだと言った花。
名前がわからないと残念がった花。

「……エリザ」

部屋を出ていこうとしていたエリザは、名前を呼ばれて億劫そうに振り向いた。
ニーナが花の茎をつまんでくるくると回している。うつむき、レースのように薄い花びらが陽射しを浴びてきらめくのを見ている。
そのニーナが、火照った顔を上げた。

「好き」
「そう」
「うん、なんかすっごい好き」
「そう」
「花じゃなくて、」
「知ってる」

青空に影が落ちる。ニーナの上にかがみこんだエリザは、その驚き顔にむかってもう一度囁いた。

「知ってる」

花をひとつだけ拾い上げ、悪巧みをするように密やかに喉を鳴らす。
そして——マスク越しにニーナにキスをしたこの気まぐれを、彼女は後々後悔するのかもしれないし、しないのかもしれなかった。

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