愛を得て、捨てたのは恋

真夜中の部屋は暗く沈み、時計の針もよく見えないほどだった。
木の梢の小鳥も近所の犬も野良猫もまだ夢の中にいて、どこもかしこもひっそりと息を静めている、そんな時刻。
活動しているものなんて、私の部屋を歩き回っている人影くらいなものじゃないだろうか。

「エリザ……エリザ、ねえどこいくの」

窓からの薄明かりにぼんやりと浮かび上がる長身に向かって声をかけると、エリザは外出の準備を調える手を止めてやれやれとでも言いたげに頭を振った。
ドレッドヘアに似た黒い管が彼女の動きにあわせてぱたぱた揺れる。
引き締まった体に装飾の施された防具を纏い、手入れの行き届いた細身の槍を装備した彼女の目的は疑いようもなく狩猟だろう。
それ自体は構わない、だけど——

エリザ、もう一度名前を呼ぶと彼女はベッドの上にかがみ込み、鉤爪の生えた長い指で私の唇に触れた。
「うるさい子」と、無機質なマスクが確かにそう語っている。
束縛を嫌う彼女は言葉の代わりに低い顫動音で私をたしなめると、これ以上は時間が勿体ないとでも言うようにそっけなく背を向けた。
私は冷たい枕に顔をうずめて、だけど更なる不満を口にする勇気もなく黙り込む。

エリザが出掛けるのはいつだって私が眠っている間だ。
だからいつも私は彼女のいない一日——あるいは数日——を不安に明け暮れて過ごし、彼女がけろりとして家に帰ってくるのか、あるいは二度と戻ってこないのか、答えのない自問自答を続けるはめになる。
それがどんなに苦しいことなのか、このひとにはわからないのだ。
始まりが唐突なら終わりもまた唐突でしかるべきだと自分に言い聞かせられたらどんなにかいいだろう。
だけど私はすでに見知らぬ星からやってきた、本名すらも知らない彼女に溺れきっていた。

「……ちゃんと帰ってくる?」

窓に片足をかけ今にも外に飛び出そうとしていたエリザは、予想とは裏腹に私の言葉にしっかりと反応を示した。
振り返るエリザの灰色がかって爬虫類じみた皮膚は月明かりの中ではことのほか非現実的な空気を帯びる。
今このときも、彼女と過ごした数週間も、きっとすべては一夜の夢でしかなくて次の瞬間にはぱちんとはじけて消えてしまうに違いない、そんなくだらない妄想にとりつかれそうになるくらい、彼女はあまりに美しかった。

「いってらっしゃい」

お土産はいらないから、私の言葉に彼女は軽く手を挙げて応え、ひらりと窓から飛び降り闇夜の中へと消えていった。

ただ一度だけ、だが力強く頷いてくれたエリザははたして気づいているのだろうか? これが私たちが交わしたはじめての“約束”であることに。

そうだ、彼女が帰ってきたら、いままでで一番のお帰りなさいを贈ろう。
そう決めたらなんだか暖かい気持ちが沸き上がってきて、今夜はもう、眠れそうになかった。

2012-05-22T12:00:00+00:00

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