満月は焦げる

最近、エリザの様子がおかしい。
一日中ぼんやりしているかと思えば急にそわそわとあちこち歩き回るし、突然警戒心の塊になってぴりぴりしたり、逆にひどく注意散漫になったりととにかく行動に一貫性がなくなった。
狩りに行っても結果が芳しくないようなので体調でも悪いのではないかと疑っているのだが……。
そういえば猫はあの“ごろごろ音”で自身の治癒能力を高めていると聞いたことがあるが、彼女が引っ切りなしに喉を鳴らしているのもそれと関係があるのだろうか?
エリザは普段から干渉されるのを嫌がるから今回もそっとしておこうと思ってたけど、異変から今日で三日目、いい加減心配になってきた。

窓際を意味もなく行きつ戻りつしている彼女の二メートルを超す長身が、まぶしいほどの月明かりに黒いシルエットとなって浮かび上がっている。

「エリザ」

恐る恐るの呼びかけに彼女ははたと立ち止まり、私の声に耳を澄ますように少しだけ頭を傾けた。よかった、とりあえず不機嫌ではないようだ。

「具合悪いの?」

振り払われるのを覚悟して腕に触れれば、いつもの彼女らしくもなくこちらにもたれ掛かってくる。
これは相当重症らしい。かと言って病院へ連れていく訳にもいかないし……。

「どこが——」

痛いの、と尋ねることは叶わなかった。突然、本当に何の前触れもなく視界が揺れて、ふわっと体が浮いたのだ。
真っ先に脳裏をかすめたのは、私ったら悩みすぎて目眩でも起こしたんじゃないかってこと。
さほど厚くもないカーペットに叩き付けられた肩甲骨が軋み、衝撃に息が詰まる。正しい答えを導きだしたのは、それから数秒経ってからのことだった。
床に引き倒されたのだ。今、私の上に覆いかぶさっている異星人の手によって。

「い……ったい! ちょっといい加減にしてよ! なんなの、私だって怒るときは怒るよ!? っていうかほんとに痛い!」

聞いてるの、とエリザの肩を拳で叩く。
私よりも一回り以上も大きな体がぴくりと動いて、怒らせたかなと一瞬不安になったが、いやいや怒ってるのはこっちの方だ。
私が再び口を開きかけるのを遮るように、くすんだ金色のマスクがぐっと近づく。その奥でエリザが息を荒く乱しているのがはっきりと聞き取れた。

「エリザ……?」

彼女は答えない。だけど言葉よりも雄弁な顫動音のけだるい響きは例えるならば、そう、誘惑のような——

「は、発情期?」

口に出してしまってからぎくりとした。だってこれはどう考えても失言、しかも、本来ならば今頃死んでいてもおかしくないレベルの。
だけど幸い私はまだ生きていて、エリザはエリザで黙ったままで、だから、その……つまり本当にそういうことらしい。

「……否定してよ」

どうすんのこれ、どうしたらいいの。
困惑を通り越して混乱の沼に溺れそうな私の思考は頬に押し当てられた冷たい感触によって現実に引き戻された。エリザのマスクだ。
なだめようと頭を撫でるも全くの逆効果で、彼女の呼吸はますます切羽詰まった響きを伴い私の鼓膜を打つ。

「わかった、わかったから……って違うそうじゃなくて!」

逃げ出そうと必死でもがいてみるも信じられないほどの力で押さえ込まれて全く歯が立たない。
そうこうしているうちに大きな両手が私のワンピースの前をぐっと掴み——制止する間もなく引き裂いた。古い部屋着でよかった……じゃなくて!

「ちょっと——」

待って、と言いかけたもののそれに従ってくれるほどエリザは優しくなくて、彼女はやすやすと私の言葉を封じ込めてしまった。
まさか口に指を入れられるなんて思ってもみなかった私はあまりのことに全身を硬直させるしか出来ずにいる。
固い爪がかりかりと舌を引っかくその感触は脅されているようでもあり、あやされているようでもあって……ひどく後ろめたい感覚に頭の隅がかあっと熱くなるのを感じた。
エリザ、エリザ。ねえ、だめだよエリザ。

——だってそんなことされたら、私もうどうしようもなくなっちゃう。

細い糸が、ぷつんとちぎれる音がした。

2012-06-11T12:00:00+00:00

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