塞がったピアスホール

あれは忘れもしない、ひどい夕立に見舞われた日のこと。朝干した洗濯物の生存を早々に諦め無気力に帰路を歩く私の前に、彼女は突然現れた。
ヒトのようでトカゲのような、悪魔的としか言いようのない姿をした女性。
お気に入りのピアスはなくすわ頭は痛いわ宇宙人に遭遇するわ、私の人生のバランス感覚はどうなってるんだって笑っちゃったのを、よく覚えてる。

「明日は雨だってさ、姐さん」

ノートパソコンを閉じ、いましがた予報サイトで得たばかりの情報を伝えると、“姐さん”は窓越しの薄暗い庭先に視線を注いだまま、かろうじて聞こえる程度に喉を鳴らした。
“姐さん”なんて呼んでいるのは名前を知らないからだ。名前だけじゃなくて、私は彼女にまつわるあらゆることに関して無知だった。

宇宙人で、平和主義からは程遠くて、愛想がなくて、喋るのが嫌いで、雨も嫌い。それだけが彼女の全て。
まあ、なんとなく一緒に暮らしてるだけの関係にしては上出来かもしれないけど。

正午になると空にはいよいよ濁った雲が立ち込め、外から人の気配が消え失せた。季節外れのハリケーンでもくるのではないかと鎧戸を閉めた家まである。
私も彼らに倣おうかと考えたけど、そんな警報は出ていないし、なにより外を見られなくしてしまうと姐さんが嫌がりそうだからやめた。
電気を点けると薄暗かったリビングが白々と輝く。ガントレットと言うのだろうか、左腕の防具と一体になったコンピューター様のものを指で操作していた姐さんはつかの間まぶしそうに天井を仰ぎ、また手元へ視線を戻した。
私は少し離れた椅子に腰を下ろし、フェイスマスクの横顔を見つめる。

「……なんで雨が嫌いなの?」

彼女があれこれ聞かれるのを嫌うことは知っているのにこんな質問を投げかけてしまったのは、あまりにも退屈だったから。
そして多分姐さんも同じ思いを抱いていたのだろう。珍しく反応があった。

「《人間に》《見つかり》《やすくなる》」

とぎれとぎれの言葉が発せられるたびに、キュルル、と機械の作動音がする。つぎはぎの声。そのどれ一つとして彼女の本当の声でないことは容易に想像がつく。

「ふぅん……? なんで? 雨降ってるとどうなるの」

今度は答えない。その代わりにバチバチッというかすかな音がして、青い火花が灰色の肌の表面に走った。かと思うと……彼女はぱっと消えてしまった。
目を凝らせばかろうじて空気の歪みが見て取れるが、ほぼ完全な透明だ。彼女は一瞬のうちに、氷よりも水よりも精密な透き通る影となっていた。

「は……? え、なにそれ凄い」

そうか、こうやって彼女は狩りをしているのか。なんだか信じられない気持ちでつい彼女に手を伸ばしそうになったが、そんなことをして腕を切り落とされるのもつまらないのでやめておいた。
再びスパークが瞬き、大型の爬虫類を思わせる厚い鱗と細かい斑点模様に彩られた肌、無表情なマスクと、それに傷だらけの装甲が輪郭を取り戻す。

「それが雨だと使えないってこと?」

必死で推理した割にはざっくりとした予測を披露してみせると、姐さんは浅く頷き、話はおしまいとばかりに顔を背けた。
いつもと同じ冷淡な態度。だけどその奥に隠された秘密を、私は一つ知ったのだ。たった一つ、されど一つ。
もっと知りたいとうずうずしている自分に気づいて驚いた。今度は“好きなもの”を知りたいな。
だけど姐さんの張り詰めた横顔を見ていると何となく声をかけづらくて、結局、あらぬ方向へと視線を逃がす。
窓の外では風が吹きはじめ、かろうじて雲の切れ間で揺らめいていた光の一条もやがて押し潰されて消えた。


ガラスに打ち砕ける雨音が、私を暗がりから引きずり出した。夢を見たような気がするけど覚えていない。
時計を見ると起きるには早すぎる時間だったが、なぜかもう一度眠る気にはなれず私はのろのろと上半身を起こした。
悪天候の朝ほど不愉快なものはなく、気力を根こそぎ奪われる。私でさえこうなんだから今朝の姐さんはさぞかし不機嫌に違いない。

——なのに。
肌寒いリビングのどこにも彼女の姿は見当たらなかった。

「姐さん?」

がらんどうの部屋は深い水底のように呼吸を止めて死んでいた。かろうじて両開きの窓がキイキイと揺れ動き、その存在を主張する。

「……ドアから出入りしてって何度も言ってるのに」

仕方のない人。いつもみたいにそう考えながら、だけどいつもとは何かが違う事を頭の隅で感じ取っていた。
カーテンが音を立ててひるがえる。まるで、スタートダッシュの銃声みたいに。
でもどこに向かって走ればいいの。私は何も知らない。彼女が行きそうな所も帰る場所も見当すらつかないのに。
私の足は動こうとせず、そのかわり窓を閉めて鍵をかけた。彼女は今頃不愉快そうに空を睨んでいるのかなって、とりとめもなく考えながら。

姐さんは雨の日に突然現れて、やはり雨の日に突然消えた。きっともう二度と会えないだろう。
最後まで、一番教えてほしかった謎を秘めたまま。

「名前呼んでみたかったな……」

私の呟きは雨音に飲み込まれて、そして消えた。

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