彼とわたしについて

薄暗い地下室の隅っこで、椅子に腰かけて居眠りをしていたトーマスがふっと目をさました。
ランタンの火がまだいくらか眠たげな横顔を照らし出し、部屋の反対側にいるわたしからも彼があくびをするのが見えた。
家族の前ですらめったに油断した表情を晒すことのない彼が、こんなふうに自然体で振舞ってくれることが嬉しくてたまらない。
ねえ、だって、そんな顔見せるのはわたしにだけでしょ?

トーマスは壁際の棚に並んだいくつもの瓶にぼんやりした視線を漂わせている。
ガラス瓶の中ではホルマリン漬けにされた歯がゆらゆらと泳いでいて、あんなものを見ていたらまた眠たくなってしまうんじゃないかと思った。
地下室の空気はくすんだガラス瓶と同じくらいに汚れていて、あちこちに鉄と脂と泥の匂いが染み付いていて、なのにこの重苦しい部屋こそが彼にとって一番居心地のいい場所だというのだから驚きだ。
でも——彼がここを楽園と呼ぶのなら、わたしだって遠からずこの不気味な空間を好きになれるかもしれない。
そのくらいわたしは彼を信頼し、愛していた。

古ぼけた木の椅子を軋ませて立ち上がった彼は、まるでわたしの想いに応えるかのように揺るぎない足取りで近づいてくると、荒れた手のひらで体を撫でてくれた。
ささくれ立った指先がわたしのラインをなぞり、ガソリンと血の汚れを拭い取る。
トーマスの瞳は果てもなく黒く、鋭く、臆病で、その瞳に今のわたしはどんなふうに映っているのだろうと思った。
わたしたちはことばを交わさない。わたしはそれを寂しいだとかじれったいだなんて感じたことはなく、それはきっと彼も同じだと信じている。
こうして触れ合っているだけでいい。わたしの冷たい肌にあなたの体温が馴染む一瞬こそが、わたしたちの“ことば”なのだから。
ああ、そういえば初めて出会った日もこうやって静かに撫でてくれたっけ。
体が大きくてちょっと目つきの悪い男がどこかおずおずとした様子で指先を伸ばす、そのギャップがおかしくておかしくてたまらなかったのをよく覚えてる。

そのとき突如として響いた荒っぽい足音が静寂をかき乱して、トーマスはどきりとしたように手を引っ込めた。

「おい、トーマス! 上がってこい!」

階段の上からホイト保安官のだみ声が命じる。
今日は一体なんだろう……連れ立って“狩り”にでも行くのか、それともただの家の用事か。どちらにしてもトーマスはここから出て行ってしまう。
立ち去ろうとする彼を引き止めるすべなどわたしは知らず、いくらか恨めしいきもちで広い背中を見つめることしかできなかった。
けれど——神様、感謝します!——彼ははっとこちらを振り返ると、少し慌てたようにわたしの腕を掴んで側に引き寄せてくれたのだ。
連れて行ってくれるの? ありがとう!
小走りにコンクリートの階段を駆け上がるトーマスの手のひらの温もりを感じながら、わたしはずっとドキドキしていた。

彼は人間で、殺人鬼で、でもとても繊細で……少なくともわたしに対してはとてもとても優しい人。
出会ってからはずっと一緒だったし、これからもそうあればいいと思う。
大好きなトーマス、わたしはあなたの手の中でだけ息を吹き返すことができる。だからどうかずっとその力強い手でわたしを愛してください。
そしてわたしは全身全霊をかけてあなたを守ってみせる。
わたしは、わたしは。あなたの友であり家族であり、またはあなた自身の怒りや悲しみ、そして喜びでもあるのだから。

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