ひとつひとつに一喜一憂

スリッパを履いた足でトントンと階段を踏みしめるそのたびに、エミリーは平静でいるようにと自分自身に言い聞かせた。
深呼吸をひとつ、そしていざリビングのドアを開ける。

「シャーマンさん、二階の電球が切れたんで取り替えるの手伝ってほしいんですけど……」

部屋の中には四人の異星人——プレデターがいた。
真昼間だと言うのにカーテンの引かれた室内は彼ら好みにほの暗い。ともすれば相手を見間違えてしまいそうなほどだが、それでもエミリーの目は迷いなく一人だけを見据えている。
ところが、実際に動いたのは隣にいるロストだった。彼はなかなか即答しない友人に焦れて代役を名乗り出たのだ。

『デンキュウ? 俺やる』
『いやお前空気読めよ』

シャドーがすかさずロストの腕を掴む。思いがけず引き止められたロストは立ち上がりかけた姿勢のまま、シャドーの蛇模様の手と顔とを見比べて素っ頓狂な声を上げた。

『何が?』

それには答えずに、シャドーがシャーマンに向き直る。

『なあシャーマン、行ってやれば?』
『ロストが……』
『……』
『……』
『……』
『へ、俺が? 何?』
『“ロストがやると言っているんだから行かせればいい”……か?』

スカウトの助け舟になおざりな頷きを返しただけで、シャーマンはあっさり槍の刃を磨く作業に戻った。
この色白のプレデターは滅多に喋らない。それこそ一日に二言三言話せばいい方で、もはや物静かの次元を越えた振る舞いには付き合いの長い者でも戸惑うほどだ。

『お前は本当に……』

スカウトが呆れ返った時、存在を忘れられた女が咳ばらいで注目を集めかえした。
顫動音で交わされる会話の内容など知らないエミリーは、ややまごついた様子で四人を見回している。
「俺が行くから」ロストにそう言われると、彼女の戸惑いはますます濃厚なものになった。
そして、追い撃ち。

「シャーマンは嫌みたいだし」

エミリーの耳に、自分の心にヒビが入る音が聞こえた。


「ああ、もう」

そう吐き捨てたのは自分自身に対してか、それとも鈍すぎる思い人に対してか。もはやエミリー自身にもよくわからなかった。
それともただ単に、少し浮き上がったラグマットにつまずいて転びそうになった失態に対する苛立ちが口をついて出ただけかもしれない。
しゃがみ込んでマットを直していると、スカウトの声が降ってきた。

「さっきのことだけどな、あいつに悪気がないことだけはわかってやってくれ」

スカウトは、別段異種族間の恋愛沙汰に感心を寄せているわけではない。とは言え猛反対の立場かと言うとそれも当てはまらない。
彼は完全に中立を貫いていた。倫理上は間違った行為だとしても結局は当人同士の問題で、他者が口を挟むことではないと。
なのにこうしていちいちフォローに回っているのは、元来の性質が世話焼きであるためだ。
“面倒ごとを背負い込みやすい質”、本人は自嘲混じりにそう考えている。

エミリーも同じことを思ったのだろう、スカウトを横目で見遣り、「大変ね」とでも言うように片眉を吊り上げた。それから先程の言葉に答えて、「ん、わかってる。いつものことだし。っていうか、だから困ってるんだけどね」
いっそはっきりふられてしまった方がと思うこともあるが、いざとなると勇気が出ない。

「こうなったら鹿とか熊とか仕留めてアピールするしか……」
「ああ、それはいいアイディアだ」
「いやいやいや、冗談だし。そんなの無理に決まってるじゃない」
「なら諦めるか?」

脱力してしまったエミリーを眺めつつ、スカウトはそう言った。意地の悪い気持ちが含まれていたのは否めない。くるくる表情が変わるこの人間の反応をもっと楽しみたかった。
だが、返ってきた答えは彼が予想していたのとはちょっと違っていた。彼女は挑むように顎を上げると、ふふん、と笑ってみせたのだ。

「それはない。こんなことで諦めるくらいなら最初から好きになんかなってないし! もっと報われない恋もあったしこのくらいよゆーよゆー、まだまだ戦えるね!」

「だけど」と、薄暗い階段を上るエミリーは沈んだ声で呟いた。
昼間スカウトの前で見せた強がりが、いまさらながらに蘇って自分の首を絞める。

「……たまに悔しい」

スタートラインにも立てていないことが。
こんなことなら思いっきり弱音を吐いてしまえばよかった。スカウトなら少なくとも最後まで聞いてくれたはずだ。
「余裕じゃないよ、全然」ふうっと息を吐き出して、最近くせになりつつある独り言を重ねる。「いいや、もう寝よ寝よ」
全く手応えのない今日も、昨日も、その前も。全部忘れて眠ろう。

「明日はちょっと違うかもしんないし!……あれ?」

使っていないはずの部屋のドアが開きっぱなしになっているのに気づいて、エミリーは廊下を行く足を止めた。
風が吹き抜ける。窓も開いているようだ。まさか泥棒ということもあるまいし、居候の誰かに違いない。
昼間はめいめい好きな場所に偵察や狩りに行き、夜は夜でやっぱり好きな場所で休息する彼らの事は放任している。
だから夜中に誰が出歩いていようが普段なら気にしないのだが……何故か今日だけは好奇心をそそられた。
そっと中に入る。すると——

「あ」

はためくカーテンの向こう側に、シャーマンが立っていた。
エミリーが彼に気づくと同時にバルコニーにたたずむ彼もエミリーの存在に気づいて半分だけ振り返る。この角度って新鮮だな、とエミリーは思った。
頬を乾いた夜風が撫でる。まだ秋と呼ぶには早いはずだが、季節は確実に移り変わっているのだ。

「寒くないんですか」

尋ねると、青白い肌を質素な装甲で包んだ異星人は黙ったまま首を振った。

「シャドーは寒い寒いってすぐに騒ぐのに」
「あれは」

堪え性がないだけだ。言外にそう滲ませて、シャーマンは再び押し黙る。
長い髪を結わえる金色のバレッタが闇の中で妙に美しく輝いて、エミリーをどぎまぎさせた。もう一度こっちを向いてくれないかなという願いと、後ろ姿を眺めていたい思いがせめぎあう。
彼が一心に見つめているものが何なのか知りたくて視線を辿ってみるけれど、面白くもない平凡な町並みが広がっているに過ぎなかった。
——あるいは、どの家の明かりよりも誇らしく輝く月を愛でているのか。

「……月が綺麗ですね」

全く意図せずこぼれた一言だった。
それだけにエミリーは飛び上がるほど驚いて、信じられない気持ちで口元を覆った。頬に、首に、耳にまで熱が押し寄せる。どうしてこんなことを言ってしまったのだろう?
いや、そもそも異星人がその含みに気づくはずはないのだが、オーバーヒートを起こした脳はすでに思考力を失っている。
あわてふためくエミリーの口から溢れ出るのは支離滅裂な言葉の羅列ばかりだ。

「いやっ、ちが、違うの! 今のはそういうんじゃ……ほら、つっ月がね! うん、ね、うん。もー違うの、あー……」

聞いているのかいないのか、シャーマンが何の反応も示さないことが尚更羞恥を煽る。

「あのっ、じゃ、じゃあッこれで!」

これ以上墓穴を掘る前に退散した方がよさそうだ。くるりと背を向けたエミリーは、しかし夜風に混じる細い声を聞いたような気がして再び窓に向き直った。

「え? 今なにか——」
「また、明朝に」

シャーマンはまっすぐに前を向いたままでそう言った。地球の言語を使い慣れていないことを伺わせるぎこちない発音だったけれど、エミリーにはそれが嬉しかった。
嬉しくて、嬉しくて、口元が緩むのを押さえきれない。

「……はい! おやすみなさい!」

明日からも頑張れそう。
先程よりもっと赤く染まった頬もそのままに、エミリーは軽やかに廊下を走った。今度ばかりは「平静でいるように」との呪文も効きそうにはなかった。

2013-02-14T12:00:00+00:00

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