満たしてくれるなら君がいい

さびれた公園のベンチに座っているのは、彼ひとりだけだった。
あたりに子どもの声は響かず、犬の散歩をする飼い主の姿もない。ときおり無関心なスクーターや自動車が通り過ぎることで、かろうじて自分以外の存在を感じられた。
長閑な田舎町と呼べば聞こえはいいが、ここの実態はほとんどゴーストタウンのようなものだ。不便なばかりでこれといって見どころのない垢抜けない町並み、頓挫してばかりの事業開発や誘致、そして極め付けの低賃金。
人は去り、新しく入ってくる者もなく……だが人目を避けて暮らしたいダークマンにとっては好都合と言える。
いま彼は特になにをするでもなく、飛ぶ鳥の鳴き声や木々のざわめきや自分の心臓の鼓動に耳を傾けながら、「いい天気だ」なんて考えたりしている。
黒いコートとフェドーラ帽はたっぷりの陽光を吸って触ると熱いくらいで、だがそれもまた心地好かった。
ぼんやりとしかけた時、視界の端に何かが映った。細長く、ゆらりと動くそれは蛇に似ている……
だが振り向いてみれば正体は何のことはない、ただの黒猫の尻尾だった。
トコトコ近寄ってくる猫は野良のようだが、それにしては人慣れした様子で、ダークマンの脚に寄り添った。見上げる勇敢そうな瞳は深い緑色。

「いい子だね、おいで」

声をかけると、猫は迷いなく膝に乗ってきた。居心地はさほど悪くないと思ったのか、ゴロゴロと喉を鳴らす音まで聞こえる。
大きな手に撫でられると、猫はうっとりと目を細めた。
背後の植え込みががさがさ揺れる音に、ダークマンは警戒しながら振り返った。するとまた一匹、今度は茶トラ猫が出てきたではないか。
新たな闖入者はかすれた声で「にゃう」と鳴いてベンチに飛び乗り、黒猫と鼻をつき合わせて挨拶を交わしたあと、やはりダークマンの膝に落ち着いてしまった。
さすがに少し重たい……が、右手で黒猫を、左手で茶トラを撫でてやるダークマンの表情に不満の色は全くない。それどころか彼は包帯の下の顔をほころばせていた。
思いがけず幸せなひとときを過ごせそうだ。


睡魔の糸がふつりと切れたのは、どこかで声の大きい鳥が叫んだためなのか、それとも別に理由があるのか……いずれにせよこの瞬間、ダークマンは唐突に目を覚ました。
時計を持ち合わせていないので、どのくらい眠っていたのかは判断のしようがなかったが、そう長い時間ではないはずだ。
人懐っこい黒猫は相も変わらず膝の上で眠っているし、茶トラの方も変わらずそこにいる。
だが変化もあった。
いつの間にか白と灰色、それからサビ色の猫がベンチに相席しているのだ。さらに信じられないことに、足元にもふわふわのアンモナイトがいくつか転がっていた。
一体どこから湧いて出たのかと思うほどの猫、猫、猫。
もとよりダークマンは猫が、と言うより動物全般が好きだ。そんな彼だから、いま目の前に広がる光景は驚きつつも歓迎したい部類に入る。
だが一方で、自分が困った状況にあることを自覚しはじめてもいた。これでは身動きが取れない。
無理に追い払うことも出来なくはないが、やはり気が引ける。

「どうしよう……」

猫たちが顔を上げた。とはいえ彼の困り果てた呟きに反応したからではないようで、揃って公園の入口の方を注視している。
遅れて、ダークマンの耳にもこちらに近づいてくる足音が聞こえた。やがてひょっこり現れた人の姿に、彼は大きく安堵した。

「やあ、ルネ」

赤いローヒールの靴が砂の地面を踏んで音を立てる。草の香りがする風にスカートと髪を同時に揺らしつつ、ルネと呼ばれた女は答えた。

「きっとここだと思った……なにこの猫だまりは。新しい仕事は野良猫保護とかどう? 天職じゃない?」

それもいいかもしれないが、とにかく今は助けてほしい。淡い青色の目に期待を込めて、ダークマンは相手を見つめた。
だが残念ながら、ルネは時おりちょっとばかり意地が悪くなるのだ。

「大丈夫、日が暮れるまでには助けてあげるから」
「そんな……」

隣り合う別のベンチに腰を下ろして、さも楽しそうににこにこ笑うルネ。
かと思えば急に唇を尖らせて、いつもながらルネという存在は人を飽きさせないなとダークマンは思う。

「なんだい? 何か言いたそうだけど」
「いや、ずるいなーと思って。なんであなたばっかりこんな猫に好かれるのかなーって」
「ああ……」

そういうことか。
このちょっとした意地悪の原因が分かって、ダークマンは包帯の下で笑いを噛み殺した。実に可愛らしい、罪のない嫉妬ではないか。

「君はおもしろいね」
「なにそれ」
「いや、なんとなくそう思って——あっ、こら」

二人の会話にすっかり眠気を削がれた猫たちが、ダークマンの両手の包帯に興味を抱いてちょいちょいとじゃれつきはじめていた。
慌てて「だめだよ、やめて」とたしなめるダークマンにもお構いなしの野良猫たちによって、きっちり巻かれた包帯がほどけていく。
こうなるともう小さな獣の独壇場である。あっという間に“遊んでモード”に入った彼らを止められるものは誰もいない。

「どかせばいいのに」
「可哀想じゃないか、そんな無理矢理……うわ、ちょっと、ねえ君たち、ほどかれると困るんだよそれ」
「もー、しょうがないな」

ここにきて、笑い続けていたルネもようやく助け船を出す気になったらしい。
彼女はじゃれつき首謀犯の黒猫をひょいと持ち上げると地面に下ろしてくれた。続いて、他の猫たちも。
せっかくの面白いおもちゃから引き剥がされた黒猫は不満も露わにルネを見上げているが、ルネはその視線を勝ち誇った笑みひとつで跳ね除けた。

「そんなかわいい顔してもダメよ。この人をいじめていいのは私だけなんですー」
『ンニャッ』
「いいえ、ダメです。諦めた方がいいよ。それに……」

急にルネがこちらを振り返ったので、それまで成り行きを見守っていたダークマンは驚いて青い目をしばたたいた。
なにを問う暇もなく、ルネの顔が近づいてくる——そして、包帯の口元にキスが一つ。

「……この人は私の旦那です。にゃんこさんには渡しません」

愛すべきやきもち焼きの恋人は、小さなライバルに向かって高らかに宣言してみせたのだった。

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