黄昏の別れ

燃えるように赤い夕陽が、地平線の向こうに沈もうとしている。
古びた本屋がオレンジ色に染まる傍ら、高層ビルの屋上は一足先に夜の星々からキスを受けた。
けれども急勾配の坂道をくだる男の背中は夕陽の赤とは無縁だった。人目を避けて裏道ばかりを歩く彼は闇の色をしている。
深く暗い、闇の色を。

急ぎ足の彼は、やがて一軒の家の前で立ち止まった。
こじんまりとした大きさの二階建ての建物は、くすんだ外壁と修理途中で不恰好な見かけのポーチのせいでいかにも冴えない印象を与えるが、反面、みずみずしい庭は手入れが行き届いている。
ここは彼の家ではないが、しばらく前から身を寄せているのだった。
どことなくためらいの残る手つきで玄関の鍵を開け、合い鍵をコートのポケットに仕舞いながら中に入る。

「帰ったよ」

彼が声をかけると、リビングの思い思いの場所で丸くなっているネコたちは、ぱたぱたとしっぽだけを動かして返事をした。お義理程度に「にゃー」と答えてくれるのもいるが、ほとんどは顔さえ上げようとはしない。

「やあ、いい子にしてたかい」

その中の一匹の背中を撫でていると、廊下の階段を下りてくる足音が聞こえた。開けっ放しのドアから若い女が顔を覗かせる。
あとをついてきたサバトラネコが彼女よりも先にリビングに入った。
ネコが短い尻尾をピンと立てながらダークマンの汚れたスラックスの足に体を擦り寄せるのを見て、そして彼の顔を見て、女は嬉しそうに笑った。

「おかえり」
「ただいま、モニカ」
「こらー、また服汚してきたね?……あっ、ここ破れてる」
「そのままにしてくれていいよ。気にしないさ」
「私が気になるの。脱いで脱いで。ちょうど洗濯機回そうとしてたところだから」

ダークマンが言われた通りにコートから腕を抜くと、こびりついていた砂のかけらがこぼれ落ち、フローリングではじけてパラパラ音を立てる。
コートを受け取ったモニカはあわててそれをごみ箱の真上まで持っていった。今度から外で払い落としてくるよとダークマンが詫びると、彼女は表情だけでそれに答えた。
慎重に土埃を払い落とすモニカは“母親”にうってつけの性格をしている——少なくともダークマンはそう感じていた。
厳しさと優しさを等分に兼ね備え、しっかり者でよく気がつく。だからあるいは……あるいは、そう、恋人にも向いているだろう。
恋人。忘れようとしていた単語が蘇った途端にひどい苦悶に襲われて、彼は包帯の間から覗く瞳を歪ませた。
しっかりしろ、ペイトン——自分自身を叱咤する。モニカが振り向く前に落ち着くんだ。息を整えろ。気取られるな。心配をかけるんじゃない。

「あ、そうそう。今日ね、新しい服買ってきたの。部屋に置いてあるから」

ああ、間に合った。
「助かるよ」と彼は笑んだ。口元がぎこちない気がしたが、どうせ包帯に覆われているのだから問題はないだろう。
しかし自分を見るモニカの目がどうもおかしい。モニカは彼が恐れていた通りの表情をしていた。眉根を寄せ、少し小首を傾げた、不安そうな顔。

「それ、怪我してる?」
「え?」

内心を読まれたわけではないと知って安堵したが、同時にうろたえた。モニカが指摘した通り自分の脇腹に覚えのない赤い染みがあったからだ。
急いでシャツをめくると思いのほか深い傷が露わになる。痛覚を失って一番怖いのはこんなときだ。体の悲鳴に気づけないとき。
モニカがキャビネットの上から救急箱をおろしてきて、箱の中身をがさがさと探りはじめる。

「ちょっと待って。すぐ手当てするね」
「いい。平気だ」

平気なことが悲しかった。己の異常さを思い知らされて一気に情けない気持ちが吹き出してくる。どうしようもない悔しさも。

「でも血が出てるよ。やっぱり——」
「いいと言ってるだろう! ほっといてくれ!」

突然の大声に、うつらうつらしていたネコたちが揃って飛び上がった。みな散り散りになって逃げていく。彼の見えない、手の届かない場所へ……
彼ははっとしてモニカを見た。そして凍りついた。彼女はわずかに目を細めて、指をぎゅっと握りしめている。

「あ……すまない、そんな……そんなつもりじゃなかった」
「うん、いいよ」

でも手当はするからねと言うモニカの手には、すでに消毒液と真新しいガーゼが握られていた。
自分の体に独特のにおいのする軟膏が塗り付けられていく様子を見るともなしに見ながら、ダークマンは悲しそうに呟いた。

「本当に悪かった……」

向かい合わせた椅子に座るモニカはちらりと顔を上げたが、またすぐにうつむいて治療に専念する。

「気にしてないってば。謝るならあの子たちに。寝てるとこ起こされたんだから」
「モニカ」
「待った。次謝ったら私の方が怒るからね。……痛いの?」
「いや、僕は——」

痛みを感じられない。そう言い返そうとしたが、モニカの手が素早く伸びてきて胸に触れたことに驚いて、声が出なくなった。

「ここが」

“ここ”? どこだ? 心臓?

「……人間の心ってどこにあるんだろうね? 考えたことある?」
突然の問いに面食らって、ダークマンは青い目を見開いた。

「え、あ、いや……ないよ、ない」

「私は」たくましい左胸に置かれた指先にわずかだけ力をこめながら、モニカは言葉を続ける。「ここだと思う。脳のどっかだって言う人もいるけど」

そして彼女は照れたように短く笑い、足元のネコを抱き上げるとダークマンの膝に乗せた。
気がつくとネコたちはリビングに戻ってきていて、夕飯はまだかとそわそわしたり、毛づくろいをしたり、ソファーでじゃれあったりしている。

「大丈夫」

そう呟いたモニカの言葉はきょとんとしているネコに向けてのものなのか、それとも自分に対するものなのか、ダークマンには判断がつかなかったけれど、彼はにっこり笑った。
ぎこちなさなど、どこにもない顔で。

「ありがとう」

——もう痛くないよ。
輝く窓辺に、二人の頬に、そして心に、星がキスをした。

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