眼かくしの掟

思いがけず出会った相手に招かれた隠れ家の中。
かろうじて四方の壁が見渡せるくらいのよどんだ灯りの中で、生き残りの面々はうつらうつらしたり物思いに耽ったりして、つかの間の休息を過ごしていた。
メンバー唯一の女性であるイザベルは、愛用のライフルの点検を終え、見計らったように問題外の“お誘い”をかけてきた囚人を追い払ったところだった。
少し眠ろうかと思ったが、目を閉じても頭ががんがんするばかりで睡魔は訪れそうにない。

そのうえ、ふと顔を上げたとき飛び込んできた光景が彼女の睡魔をますます遠ざけた。
何やらやりとりを交わす医者と日本人。意外にもほどがある取り合わせに、イザベルの好奇心は急激にかきたてられた。
話の内容までは聞こえないが、そそくさとその場を立ち去る医者の丸めた背中やどことなく困った様子から、あまり愉快な結果には終わらなかったことだけ窺えた。もしかして脅されでもしたのだろうか?
どうせじっと座っているのにも飽きていたところだったので、イザベルは日本人に声をかけてみることにした。

部屋の隅の方に腰を下ろし、その辺で見つけたらしい日本刀をためつすがめつしている彼のそばに、イザベルは立った。
ライフルを携え背筋を伸ばしたその尊大な姿は、兵士よりかは尋問官と言った方が近いかもしれない。

「なんて名前?」

男は刀から目をあげた。底無しの沼みたいに黒い瞳をしている。
声はきっと枯れたような感じに違いない、彼女はそう踏んでいたが、しかし想像とは裏腹に彼の話し声は澄んでいて穏やかだった。

「ハンゾー」

そのあとに名字も続いたようだったが、馴染みのない発音だったのでよく聞き取れなかった。
比べると、名前の方は覚えやすい。

「ハンゾー……」

彼女はその響きを頭の中に浸透させるように呟いた。それから自分の名を告げる。
ハンゾーは復唱こそしなかったものの「わかった」と言うように頷いてくれて、たったそれだけのことが、ここしばらく他人とまともなコミュニケーションを取っていなかったイザベルには新鮮だった。

「それ使えるの?」

イザベルの興味は尽きない。好奇心の矛先は馴染みのない武器——日本刀へと向けられた。
対するハンゾーはもうおしまいだと思っていた話に続きがあったのと、彼女が隣に座ってきたことの両方に驚いて、黙って相手を見つめ返した。
だがイザベルはその沈黙を別の意味と受け取り、同じ質問を今度はゆっくり発音した。

「それ、使えるの?」
「銃よりこちらの方が慣れている」
「英語話せるんだ」
「ああ。ある程度は……」

どことなく遠慮がちなその声はとても柔らかく、イザベルをはっとさせた。
声だけではない。表情にも、ともすれば油断と見間違えられそうな静穏が浮かんでいる。
これが殺し屋の顔だとは到底思えなかった。ロイスを疑う訳じゃないが、ハンゾーは本当にそんな極限に身を置く男なのだろうか。イザベルは訝った。
だがそれも、刀を握る左手に指が三本しかないのに気づくまでのこと。……なるほど、これであの医者の態度にも合点がいく。

「何があったの?」

ハンゾーはちらりとイザベルを見たが、それきり黙り込んだまま説明しようとはしなかった。
イザベルもさすがに踏み込みすぎたと気づいて口をつぐむ。
どうして知りたいと思うのか、知ってどうしようと言うのか、そこには退屈以外の理由がありそうな気がしたが、対峙するのは恐ろしかったので彼女は自分の心に目を閉じた。

ただ一つだけ、これだけは認められる——私はこの男になら背中を預けてもいいと思ってる。
実力がどうこうじゃなく、彼は誠実に見えたから。ちょうどロシア人兵士が医者を信頼しているのと同じだ。
あるいはこの異常事態において判断力が鈍っているのかもしれないが、それならこのまま鈍らせておきたかった。

そのとき、なんの前触れもなくオレンジ色の灯りが痙攣するように揺れ、部屋中が点滅した。
それはすぐに治まったが、その間隣のハンゾーが不安げに眉根を寄せていたのにイザベルは気づいていた。

「暗闇が苦手、とか?」
「暗くて、狭い場所が」

生徒の些細な誤りを正す教師のように、ハンゾーはイザベルの発言を正した。
しかしどうやらそれは威厳を取り戻す役には立ちそうもないセリフだと知り、彼は決まり悪そうに顔を背けてしまう。そしてその態度がますますイザベルの興味をかき立てるのだ。
こんな彼にも“怖いもの”があるという事実が不思議でもあり、なんとなく心強くもあった。

「じゃあ最悪ね、ここは」

彼にとっては地獄みたいなものだろう。それも、地獄の惑星の最下層に位置する究極の地獄。
むろん、彼以外の誰にとってもそうだった。イザベルは膝に抱いたライフルをぎゅっと引き寄せた。

「私は……自分の心音しか聞こえない暗闇で、何時間も腹這いになってスコープを覗くような日もある。物陰に身を隠して。息を殺して。そんな生活してるとね、むしろ開けた場所の方が恐ろしいと思うようになる」

きっとわからないだろうけど、彼女はそう言葉を結んだ。驚いたのは、ハンゾーがふっと笑ったことだった。

「確かに俺にはわかりそうもない」

細まった目はもう沼のようではなかった。にぶい照明に当てられた二つの瞳は理知的に輝き、安心感を与えてくれる。
つられて微笑むイザベルの心境に明らかな変化が訪れていた。
もしこの地獄から抜け出せたなら……そのときは目隠しを外して自分の心を直視してみてもいいかもしれないと、彼女はそんなことを考えた。

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