サクリファイスの一幕

赤銅色の体と大蛇のような奇抜な模様が人目をひくシーラは、その迫力ある外見とは裏腹に、冷静で忍耐強い女だ。
鍛えあげられた筋肉質な長身と鋭い眼光からはいかにも暴力的な印象を受けるが、それは実際のパーソナリティからはほど遠い。
プレデター種にありがちな短絡的な思考傾向と、この種族には珍しい心配性が欠点ではあるものの、勤勉な性格がそれらを補っているためクランメンバーからの信頼は厚い。だがそんなシーラの忍耐も、今回ばかりはそろそろ臨界点に達しそうだった。
落ち着かない想いがそのまま足の動きに現れる。たくましいふくらはぎの筋肉は、つま先を上下させるたびに伸びたり縮んだりした。

「やめてもらえない?」
「えっ?」

背後からの声に、シーラは勢いよく振り返った。その声にはまぎれもない驚きが宿っている。まるで一時間も同じ部屋にいるリンセの存在に、たった今気づいたとでもいうように。
まだらな青緑色をした石灰岩の作業台でマスクの調整に取り組んでいたリンセは、手に持っていた工具を置くとシーラに向き直った。黄土色の目が怒ったように細まっている。

「苛立つのは自由だけど、床を蹴るのはやめてもらえない? 集中できないから」

山猫を思わせる黄褐色の肌をした彼女はあどけない丸顔をしているが、年齢はシーラとさほど変わらないうえ、内面はもっとずっと成熟している。
そんなリンセにうながされ、シーラはすがるような気持ちで不安を打ち明けた。

「エリちゃんが帰ってこない」
「ああ、そのこと」

うなずくリンセは大して興味もなさそうだ。
分解したマスクのパーツを正しい位置に戻すことの方がよほど大切だと言わんばかりに、もうシーラに目もくれようともしない。

「でも留守なんていつものことじゃないの。エリザがクランにいることの方が稀」
「そうだけど……」

自由というか野良猫気質というべきか、エリザはクランに“居着く”ことがない。おかげで一番新入りのフランなどは数えるほどしかエリザに会ったことがなかった。
そのとき、噂のフランがちょうど外から帰ってきたので、二人は会話を中断した。

「ただいま戻りました!」
「おかえりー、フラン」
「おつかいご苦労様。あっちはどうだった?」
「変わりありませんでした」

リンセの問いに答えるフランはマスクをつけておらず、つい先日行われたばかりの成人式での傷痕が痛々しく主張していた。
体を覆う装甲は全体に優美な彫り模様が施されたもので、古代に愛用されていたタイプの復刻デザインだ。
比較的露出が少ないのは、なにも彼女が臆病だからではない。むしろダガーナイフ一本でゼノモーフに闘いを挑む勇敢さの現れと言える。
背はシーラの肩までしかなく、このクランの中だけでなく、プレデターの雌の平均値から見ても小柄だった。
こちらにやってきたフランは首を反らして二人を仰いだ。

「問題でもありましたか?」
「べつに、ただ話してただけ。エリザが帰ってこないのが心配らしいわ、シーラは」
「あ、あのちょっと怖い人……」
「うっせーな、どーでもいいよ」

急に刺々しい声が割り込んできた。
全員が揃って振り返った先にはクランのトラブルメーカーと名高いマリスがいて、軽蔑を隠そうともせずシーラを睨みつけていた。
この場の誰より筋肉質に引き締まった身体も、銅色のマスクの表面も、なんらかの生き物の返り血でべったり汚れている。彼女はその血をシーラの足元めがけて振り払う。
リンセがその行為をとがめる前に、シーラが冷たく言い放った。

「マリスには話してない。どっか行って」
「あぁ!? やんのか!?」
「私より弱いんだからやめておいたら」
「この……てめえ!」

早くも堪忍袋の緒が切れたマリスが腰に差していた長剣を引き抜いた。よく手入れが行き届いていて鏡のような輝きを放っているが、体に浴びたのと同じ色の血を拭った形跡が生々しい。
惨劇の秒読みを前にして、リンセはほとんど諦めたようになり、若いフランはなすすべもなく二人の顔を見比べた。
この程度の小競り合いは日常茶飯事だったが、新入りの彼女にはまだまだ慣れないことばかりだ。

「はい、おしまい。そこまでそこまで」
「さっきからうるさいわね、あんた達は。特にマリス」

場の空気を変えてくれたのは、新たに割り入ってきた二つの声だった。
腰まである長い髪をしたクロアはいつも通り柔らかな物腰で、もう一人の、豪奢な装甲を身につけたヒルダは眠っているところを邪魔されたせいでピリピリしている。
どちらともこの騒ぎを聞きつけて、慌てて飛んできたのだった。
クロアは火に油を注ぎかねないヒルダに向かってとりあえず黙っていてくれるよう視線だけで伝えると、まだいがみ合っている二人の方に向き直った。

「マリスは狩りに行ってたの? いい成果が出せたみたいでおめでとう。シーラも珍しく怒っちゃって。でもほら、もうおしまい」

そう話すクロアの声は、どこかおっとりと優しげに聞こえる。
それは模様がほとんど入らない乳白色の肌や、柔らかそうな胸元や、ふっくらした腰回り、そして太腿と相まって、いかにも女性的で頼りない印象を与えるかもしれない。
だが、外見だけで彼女を見くびるのは大変な間違いだ。
割れた腹筋からもうかがえる通り、その肉体は一分の隙もなく鍛え上げられているのだし、腕力だってマリスにも引けを取らない。なによりクロアは、ひとたび狩りを始めればどこまででも冷酷になれる女なのだから。
フランが自分の体に羨望と感嘆の視線を走らせていることには気づかないクロアは、いつもの穏やかな調子で嵐を収めようとした。

「同族狩りは重罪って知ってるよね。ゼノモーフの群れの中に放り込まれたい? それも何百匹もの」

マリスはバカにするように喉をゴロゴロいわせただけだった。

「ただの口喧嘩だろ」
「言い訳はそれを仕舞ってからにすることね」

友人のように婉曲的な物言いをするつもりなどないヒルダがマリスの右手に握られたものを指摘する。それから、これ以上付き合っていられないとばかりにクロアの二の腕をつかんで引っ張った。

「もうほっといて戻るよ。うるさくてかなわないわ」

だがそのとき、クランリーダーのリュゼがやって来るのが見えたので、ヒルダもクロアも、そして他の全員までもが揃って動きを止めた。
リュゼの後ろには補佐のエセルが控えており、疲れた眼差しで争いの様子を一瞥した。なんて手のかかる妹たちなの、そう嘆くように。

「そこのふたりがすこし小競り合いを……でももう解決しましたから」
「シーラはエリザがずっと帰ってこないのが心配だそうです」

一番最初に事情を説明したのはクロアで、補足を加えたのはリンセだったが、トップの二人の登場を一番喜んだのはシーラであろう。
シーラは礼儀正しく、だが意気込んだ様子でリュゼに駆け寄った。

「エリちゃ……エリザが地球に行ってからどれだけ経ちます?」

一方、リュゼの態度にはまるで覇気が感じられない。その口調も気のないものだった。

「めんどくさい、好きにさせておきたまえ」少し考えてつけ足す。「まあ、式典への出席でもあれば、うちの体面的にも居てもらわんとならんが」

リーダーはかたわらに立つ補佐を見やった。エセルはしばし口をつぐみ、マスク内部の小さな記録チップに蓄積された膨大なデータから予定表を引っ張り出す作業に専念した。

「そういった催しはありません。なにも」
「死んだのか? エリザだが」
「いえ、生体反応は出てますね」
「救難信号」
「発信はありません」
「船は」
「船からも救難信号は出てません」
「自らの意思で地球にとどまっている、と」
「そういうことになりますね」

一足先にこの会議の行き着く先を察したシーラががっくりと肩を落とす。案の定、リュゼは素っ気なく言い放った。

「なら問題ないな。ほら、話は終わったんだから散れ散れ」
「でも、リーダー!」

なおも食い下がってくるシーラに正面から向き直ると、うんざりした内心を隠そうともせずリュゼは言った。

「だが訊くがな、あれが他人の言うことを聞いたためしがあるか? 自分が納得しないことにはテコでも動かんさ、昔からそうだ」
「だからリーダーに頼みたくて! さすがにリーダーの命令なら聞かざるを得ないと思うし……」
「くだらん戯れ言を。私がそこまでの骨折りを引き受ける正当な理由があるのなら説明してほしいね」

残念ながら、ない。
シーラはますますしょんぼりとうなだれ、議決は確定したかに思えた。
ところがそのとき、「僭越ながら、リーダー」とクロアが声を発した。判決に納得いかないのはシーラだけではなかったらしい。

「わたしはシーラの意見に賛成します。あまり個人のわがままを許容するのもよろしくないかと……」
「ま、あいつはこれ以上つけあがる余地とかないくらいつけあがってっけど」
「マリスは少し黙ってなさいな。……でもそうね、そろそろエルダーが戻るころのはずですし」
「そうだったかね」

エセルが発した『エルダー』の一言に、リュゼの眉間に皺が寄る。ただでさえ眼光の鋭い彼女の迫力が増して何人かのメンバーをひるませたが、当人は気にする様子もない。
エルダーが絡むとなれば話は変わってくる。出迎えにメンバーが欠けているのも格好がつかないし、なにより無礼になるだろう。
尊敬すべき長老を出されるとさすがのリュゼも知らぬふりを続けることはできず、とうとう折れた。

「仕方ないか。ではシーラ、お前が話をつけに行くんで構わんね?」
「もちろんです!」

マリスがカタカタと牙を鳴らして笑った。

「ぜってー独りですごすご戻ってくる事になんじゃん?」
「いい加減やめたらどうなの、マリス」と、リンセが叱りつける。「黙ってると死ぬわけでもあるまいし」
「シーラは“エリちゃん”がいないと死ぬんだろ」
「そうかもね。あんたなんかよりよっぽど信頼できるし優しいし大切には違いないからね。……ではさっそく準備してきます!」

最後の言葉はリーダーに向けて、シーラは自分の部屋へと駆け出した。相変わらず気のない視線でその背中を見送ったリュゼは、やがてやれやれと小さく首を振った。

「ま、エリザがたまたま上機嫌で、たまたま他人の言葉に従う気分であることを願うよ。私が腰を上げるはめになるのはごめんだからね」
「……あなたが? どうせそうなったところで私にしわ寄せが来るんじゃ?」
「悲劇だな。長年の友人であり補佐であるお前に信用されてないとは」
「信用に足るだけの実績が見当たらないんじゃ仕方ありませんね」

すかさずぴしゃりとやり返してくるエセルの声は硬く、リュゼはふむと唸った。この様子だと、あとで少し機嫌を取っておいた方がいいかもしれない。
何はともあれ一段落はついた。その場の全員が、ほっとしたように肩の力を抜いていた。もっとも、マリスだけは暴れ足りないらしくぶつぶつ言っているが。
あとはシーラが首尾よくやってくれることを願うばかりだ——エセルが地球くんだりまで足をのばすはめに陥らないためにも(もちろんリュゼは、エセルを遣いにやる心づもりでいた)。
そんな中、背の低いフランがおずおずと右手を上げて発言許可を求めた。さきほどの会話の中に、どうしてもひっかかる部分があるらしい。

「あのひと優しい……んですか? 私、前に会ったとき思いきり睨まれた記憶が……」
「大丈夫、あなたが悪いんじゃないから」

クロアが肩をすくめ、そうそうと頷くリンセがあとを引き取る。

「エリザは普段から目付きが悪いし愛想もないの、あれが普通なのよ」
「そうなんですか……慣れるようにがんばります。あの、ところでシーラさんはうまくやってくれるでしょうか?」

どこか疑わしそうなこの声に、今度はヒルダが真っ先に反応を示した。美しい髪をばさりと後ろへはね除けると、挑発的に小首を傾げながら低い声で言う。

「何言ってるの、無理に決まってるじゃない。なんなら賭ける?」

しばしの無言が落ちた。
やがて、リーダーが真剣な口調で「馬鹿な。全員一致の賭けなんぞ賭けにならんじゃないか」と呟いた言葉に、その場の全員がうなずいた。

タイトルとURLをコピーしました