Predator VS Jason

自分が相手を見くびっていたと思い知らされたとき、彼女の胸を満たしたものは、まぎれもない歓喜であった。
いま彼女は、高鳴る心に突き動かされるままに森の中を疾走している。久しぶりの強敵。素晴らしい獲物!
豹のごとくしなやかな脚が地面を蹴る。静かな森では落ち葉や小枝が砕ける音すら銃声に等しいが、彼女は一向に意に介さない。
もはや奇襲をかけるつもりはなく、真っ向勝負を挑むことしか考えていないからだ。相手が自分を見つけてくれるなら好都合。

彼女は人間を獲物に狩りを楽しむために地球へやってきた、いわゆる異星人だ。名前はなく――少なくとも地球人が発音できる名前はなく、ただ“プレデター”と呼ばれている。
いや、過去形にするべきだろうか。その名を提唱した人間は彼女自身の手で屠られ、今は呼ぶ者さえいないのだから。

プレデターは立ち止まり、辺り一帯に視線を走らせた。狩人の鋭い目は何もとらえない。
怯えた小動物が散り散りに逃げていく気配、天高くそびえる木々のざわめき、風の温度、獣道を覆いつくす乾いた葉の匂い。あらゆる要素が五感を刺激して、だが肝心の獲物の気配だけが見当たらない。
もどかしい――先の戦いで負った傷口から滲む血を乱暴に指で拭う。
しばしの逡巡ののち、彼女は手近な樹の幹を目掛けて跳躍した。

枝から枝を跳び移り、やがて理想的な高さの樹の上に落ち着いたプレデターは、低く、か細い音で喉を鳴らしはじめた。
興奮状態の気を静めるためのそのゆっくりとしたリズムは猫の顫動音にも似ているし、あるいは、母親が泣く子をなだめる声にも似ている。
せわしなく上下していた胸の動きが、徐々に落ち着きを取り戻しはじめる。深呼吸を一度、二度……最後に後ろ髪をまとめるリボンをきつく結び直した。
とにかく、どうにかして獲物を見つけ出さなくては始まらない。
外顎の牙でマスクの内側にあるパネルを操作する。すると周囲の音が増幅されて、ずっと遠くの音まで鮮明に拾えるようになった。
しばらく耳を澄ましてみる……だが敵の足音を拾うには至らず、プレデターは苛立たしげに首を振った。

問題は――と、立て掛けてあった槍をきつく握り直しながら、彼女は考えた。
問題は敵の熱を感知出来ない事にある。
敵が周囲の温度と完全に同化できる事。敵の体温が“見えない”事。
体温のない人間? まさか、ありえない……だが、そうとしか考えられなかった。敵は確かにこちらの警戒網をすり抜けてくるのだから。
プレデターは通常、赤外線を探知して獲物を見分けている。だから彼女らにとっては、獲物が発する熱がなにより重要な信号になるのだ。
今回の敵は熱を遮断する特殊な衣服でも身につけているのかもしれない。
あるいは、人間ではないかだ。
森の隅々にまで響き渡るような声でプレデターが吠えた。木々を震わせる腹の底からの咆哮には、抑え切れない歓喜が満ちあふれている。
――面白い。手強い相手であればあるほど、こちらも奮い立つというものだ。

夏の盛りを過ぎてなお、たっぷりと葉をたくわえた木々の枝が揺れている。
その木のひときわ太い一本の上で、プレデターは新たに設定した視界を使って周囲をゆっくりと見回した。
慣れない視界にしばらくは目眩がしたが、今は贅沢は言っていられない。これは空気の流れを視認化したモードで、気流が障害物にぶつかった際に生じる歪みで立体物の存在を浮かび上がらせることが出来る。
もっとも、本来はこのような障壁の多い場所で使うものではない。こんな場所ではいたずらに視界を混乱させるばかりで、本来の性能の半分も生かされないだろう。
彼女は神秘などというものはどんなものであれこれっぽっちも信じていなかったが、今回ばかりは奇跡を願うしかなさそうだった。

――だがそのとき、奇跡が起きた。奇跡は巨体の男の姿をしていた。


穴だらけの汚れた服と古びたホッケーマスクを身に付け、右手に鉈を握りしめた男は、突然行く手を阻まれても驚いた様子ひとつ見せなかった。
その無関心すぎる反応は、目の前にいるのが先ほど自分が一撃食らわせた相手であると気づいているかどうかも疑わしい。
だが前を見据える瞳には、確かに異形の姿が映っているはずだ。
二メートルを優に越える身体、爬虫類じみた皮膚とそれを守る金属の装甲。ドレッドヘアを思わせる、触手のような頭髪と、そこにきらめいている小さな飾り。
そして、まっすぐに下ろした左手には彫り模様も美しい細身の槍が握られている。穂先を地面に垂れた構えはともすれば隙だらけのように見えるが、それでいてどこにも油断はない。
ふいに全ての音が消えた。プレデターは手の中の槍をくるりと回すと、輝く切っ先を相手へと突き付けた。

――試合開始の合図として。

先に動いたのはプレデターだった。
長い脚が地を蹴る。強靭な筋肉をフルに使い、バネが弾けるような勢いで彼女は跳んだ。
銃弾さながらの勢いに男は成すすべもなかった。渾身の一撃に鳩尾を打たれ、声も出せずに背後に吹き飛ぶ。
男の体重で落ち葉が水しぶきのように飛び散り、地面がえぐれた。地響きが収まると、あたりには物音ひとつなくなった。
巨体は仰向けに倒れたままぴくりとも動かず、プレデターはその体を近くからまじまじと見下ろした。
その様子は、あまりの手応えのなさに落胆しているように見える。
が、次の瞬間、彼女は感電でもしたかのように急に後ろにとびのいた。男の指がぴくりと動いたのを見逃しはしなかったのだ。
男はまるで先ほどの一撃などなかったみたいにけろりとして立ち上がった。その様は一種異様でさえあるが、プレデターはむしろ歓喜していた。

男が刃渡りの長い鉈をきつく握り直し、プレデターもそれに応じるかのごとく槍を握る手に力を込める。
――そうよ。それでいいの。さあ、おいで。
飾り立てた長い髪を揺らし、プレデターは挑発するように首を傾げた。
正面ではホッケーマスクの顔が同じように頭を傾けていたが、それはどちらかと言えば子供がするような、無邪気と好奇心がないまぜになった動きに見える。
だが続く攻撃には確かに“邪気”が満ちており、男がここにきてようやく自分を敵と認識しはじめたことをプレデターは悟った。彼女にとっては身体が震えるほど喜ばしい。

横薙ぎに振り払う鉈がプレデターを襲う。切っ先は彼女の胸すれすれを掠めたものの、傷を付けるには至らず空振った。
プレデターはこれを絶好の機会と見た。腕を振り上げた恰好のままがら空きになった脇にすかさず槍を撃ち込む。
ところが、それが命取りとなった。
男は相手の奇襲にも慌てた様子ひとつ見せず、むしろ最初からこれを狙っていたかのように冷静に、空いた左手で槍の柄をがっちりと掴んだのである。
プレデターは並の人間には考えられないほどの腕力を有するが、男の力もそれに負けず劣らず強く、体勢を立て直そうにも槍はびくともしない。男の肩に力がこもる。さっき振り上げた鉈を今度は振り下ろそうとしているのだとプレデターは気づいた。
地面に張り付けられたも同然の状態では、刃をまともに食らうだろう。仕方なく掌を開いた瞬間、槍は呆気なく奪い取られ遥か彼方に投げ捨てられた。
後ろへ飛びすさり、男から十分距離を置いた場所から、彼女はそちらの方向をさっと目で追った――拾うのは難しそうだ。
残ったのは肩のプラズマキャノンとリストブレイド、それから太腿のホルダーに収めたダガー。男は攻撃を避けるということをほとんどしないから、プラズマキャノンを使えば楽に仕留められるだろう。だが……そんな敬意に欠ける行為はしたくない。

大きく息を吸い、吐く。
プレデターの斑点模様のある灰色の腕がゆっくりと持ち上がり、フェイスマスクと制御装置とを繋ぐ細いチューブを引き抜いた。ぷしゅっ、というかすかな音とともに気体が噴き出る。
マスクが地面に落とされ、彼女の素顔が露わになった。身体と同じく爬虫類じみた斑点のある広い額と、獰猛な獣そのものの瞳が。
金色の円の中心にうがたれた針の先ほどしかない瞳孔を見れば、並の人間なら震え上がるのは間違いない。
しかし男の視線は変わらず平然としたままで、プレデターはますます相手への興味が募るのを感じた。こうあっても素顔をさらさない無礼はこの際見逃してやってもいいだろう。

再び襲い来る鉈の一撃を、プレデターは横に飛び退いてかわした。間髪入れずにまた次の一撃。
緩慢かと思えば次の瞬間には信じられないほど素早い一撃を投げ掛けてくる男の攻撃はまるで予測がつかない。万全ではない視界が煩わしかった。
風を切る鋭い音とともに凶器が襲い来る。今度は不意を突かれたせいで避けられず、咄嗟に腕を持ち上げた。刃先はきわどいところでガントレットにぶつかって火花を散らした。
雪上に口を開けるクレバスのように抉れた防具をちらりと確認して、まともに食らっていたら腕を失っていたかもしれない、と思った。
プレデターの背中が木の幹にぶつかる。彼女はそこに寄りかかって体重を預けると、素早く左足を持ち上げ、膝を曲げたまま、鍛え上げられた筋肉に力を込めた。
狙いを定め、男の腹を目掛けて渾身の蹴りをお見舞いする。
だが、ピンボールの球よろしく吹き飛んだ男の姿を楽しむゆとりはなかった。ホッケーマスクは仰向けに倒れているが、どうせまたすぐに立ち上がるだろう。その前に始末をつけなければならない。
プレデターは咆哮と共に右腕を払った。だが、リストブレイドをうまく引き出すことができない。先ほどの攻撃でガントレットが故障したようだ。一瞬だけそちらに視線をやるとうっすらと煙がたなびいている。
もう一度操作して、やっと二本の刃が飛び出した。逆刺のある刃で敵の喉をかき切ろうと右腕を構える。だが彼女は武器を振るえなかった。

振るう対象が消えていたのだ。あるはずのものが——男の姿も気配も——まるで空気中に溶けてしまったかのように、そこから消え失せていた。
目を離したのはほんの一瞬、数秒にも満たない時間のはずなのに。苛立ちから、喉の奥で低い唸り声が滞る。
そこへふいに聞こえた落ち葉を踏む音が、プレデターを現実へと引き戻した。
はっとして背後を振り向いたものの、反撃の構えをとるひまはなく、そこにいるはずの敵に向かってやみくもにリストブレイドを突き出す。
同時に腹部を襲った衝撃と、耐えがたい熱さ。いや、それとも冷たさだろうか、痛覚が混乱を起こしている。刃こぼれした鉈の先が体内に埋まっていた。
一方プレデターの繰り出した刃は男の首をわずかに逸れ、その広い肩にめり込んでいた。
確かな手応えがあるから、いくらか苦痛は与えられたはずだが、致命傷は望めないだろう。ならばせめて動きを封じられればと思い二連の刃を骨を砕かんばかりに深く埋め込んでやるが、男は苦悶の声一つ上げない。
その時はじめて、プレデターの金色の眼に狼狽がよぎった。どうして? これじゃまるで――まるで、少しも痛みを感じていないみたい。
だがその疑問もたちまち苦痛によって吹き飛んだ。男が鉈をねじるように動かしたのだ。腹の中を冷たい切っ先にえぐられたプレデターは、たまらず高い悲鳴を漏らした。
のけ反った拍子に男の肩からリストブレイドが抜けて、あたりにどす黒い血が飛び散った。
プレデターは鉈の刃を掴んだ。裂けた掌からも蛍光グリーンの血が流れ出し、滴り落ちたそれは地面で男の血と混じり合う。

数秒のあいだ――体感では何時間も――二人はそのまま膠着していたが、やがて、がくりと膝を折ったのはプレデターの方だった。
ホッケーマスクの男は左肩からとめどなく血を流しながら、歓喜も安堵もない無表情な瞳でプレデターを見下ろしていた。
二人の視線がぶつかり合う。
いい日だった、と彼女は思った。こんな強敵と合間見えたのだ。ここで首を取られるのなら、それもまた本望。
疲れ果ててうまく動かない喉がかすかに顫動音を奏でる。いまさら目の前の人間に何か伝えたかったわけではない。賞賛はもう十分だろう。
自然と奏でられたその旋律は、充足のため息にも、死の間際に吐き出す最期の吐息にも、はたまた笑い声にも聞こえた。
男のだらりと垂れ下がった腕が動く。蛍光グリーンの血にまみれた鉈を握った方の腕だ。
そこでふいに後ろを振り向いた。体をわずかに傾けて、自分の肩越しに何かを見つめて……あるいは聞いている。
ホッケーマスクの男はなにもない場所に向かってしばらくじっと耳を澄ましていたが、やがて踵を返すと、森の奥深くへと消えていった。
その悠々たる足取りはまるで、先ほどまで死闘を繰り広げた異形の存在などすっかり忘れたように。あるいは、完全に興味をなくしたように。


プレデターの喉が再び低い音色を奏でた。
だがそれは先程までの満ち足りた心地から来る音とは違い、今はマスクを拾い上げる指先にまで隠しきれない怒りが滲んでいる。
許しがたかった。あんな風に、神聖な戦いに泥を塗る行為は。なにより自分を侮辱されたことが。
まるで自分にはとどめを差す価値さえないと言われたかのようだ。
怒り任せの乱暴な手つきでガントレットを開く。自爆装置が壊れている事に気がついて、彼女は忌々しげな唸り声を上げた。プラズマキャノンは……こちらも使えない。
それでも彼女は最後まで戦い抜くつもりだった。死ぬならせめて相打ちに持ち込みたい。こんなところでひとり朽ちるなどは論外だ。
あの男に自分を殺さなかったことを後悔させてやるまでは死ぬわけにはいかない。

そのためにも負傷した箇所の手当と体力の回復をはからなければと彼女は考えた。
だがあいにく医療品のたぐいは湖の底に隠した船の中で、この怪我ではとてもじゃないが辿り着けそうにない。
一番痛むのは腹の傷だが、他にもあちこち裂けた皮膚が疼痛を訴えている。
もはや木の上に飛び上がることもできず、彼女はふらふらと歩き続け、やがて一軒の小屋に目を付けた。
内部をスキャンする。生き物の姿はない。裏口のドアを素手で壊して開けたのち、プレデターは脚を引きずりながら中に入った。
自分の身体が自分のものでないような、ふわふわした感覚に吐き気を催す。
マスクの奥で浅い呼吸を繰り返すが、そのたびに焼けるような痛みが全身を苛み、自然と声がこぼれた。
ふたつめの部屋に差し掛かったとき、プレデターはとうとうその場に崩れ落ち、両の膝を床に打ち付けた。
上半身がぐらりと揺らぐ。自分の苦痛の呻きを聞いたのを最後に、女は意識を手放した。

どのくらいそうしていたのだろう。
急な物音で目を覚ましたプレデターは、一瞬自分がどこにいるのかわからなかった。それでもたちまちの内に甦った全身の痛みで現実に引き戻される。
ありとあらゆる種類と強度の痛みが記憶を引き連れてやってくる。獲物に不覚をとったこと、自分が痛手を負ったこと、しかしあの獲物を仕留めるまでは絶対に死ねないこと。
やがて気づいた——人間だ。人間の気配が近づいてくる。
あの男が気を変えて追ってきたのだろうか。
真っ先に考えたのは、今の状態では満足な戦いは出来ないであろうこと。すでに彼女の脳裏からは敗北を感受する想いは消え失せていた。
床に爪を突き立て、言うことを聞かない身体を引きずって移動をはかる。強化ブーツの脚が床を擦るたびにぎくりとするくらい大袈裟な音がしたが、かと言って他にどうしようもない。
しかしとうとう這いつくばって動くことすら出来なくなって、プレデターは血だまりの上に横ざまに身体を丸めた。傷口の血は凝固し始めているものの、焼け付くような痛みは少しも変わらない。
また意識が遠退きかけたとき、ごとん、となにかが落ちる音がした。それから息を呑む音と女の声。

「あの……、ねえ、どうしたの……」

気配が恐る恐る近づいてくる。吠えかかろうとしたが声にはならず、ただ掠れたような頼りない音が喉を通り抜ける。
同情をかけられているらしいことを声音から悟ったプレデターの脳が怒りと屈辱で焼けた。
それは八つ当たりに近い感情だったかもしれない。だがそんなことを意識する余裕もないほどに、全てが怒りに呑み込まれていた。

――覚えてるがいい。お前もあの獲物も、必ず殺してやるから。

手を差し伸ばす人間に威嚇の唸り声を浴びせかけたのを最後に、プレデターの意識は再び泥濘の中へと沈んでいった。

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